番外 平成20年撮影、本州~九州「走るホテル」の末期時、寝台特急「富士」・「はやぶさ」運行時の姿 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 ご覧の皆様の中にもご存知の方もいらっしゃるのではないかと思いますが、平成21年3月改正を持ちまして本州~九州間を走っておりました「ブルートレイン」は廃止されまして、以来本州~九州間の「ブルートレイン」は運行されておりません。


 かつては、東京駅発着関西圏(京都・新大阪各駅)発着で九州方面の夜行寝台特急列車が運行されておりまして、画像1の下関駅の現在は降車ホームともなっております3・4番ホームではこれから九州方面へと向かう事にもなります「ブルートレイン」が発着していたものでもありまして、画像2の「富士」「はやぶさ」のように、東京駅から牽引してまいりましたEF66形電気機関車から、関門トンネルを経由するための牽引機でもありますEF81形電気機関車に付け替える姿も見られていたほどでもありました。

 

 実際に、昭和58年の時刻表からもわかりますように、両発着から多くの「ブルートレイン」が運行されておりました。しかし、現在はここに記載されております「ブルートレイン」がいずれも存在しない訳でもありますので、時刻表からもわかりますかつての賑わいも過去の姿となってしまった事に関しましては正直残念ではなかったかと思います。

 

 (東京~九州)

 

 (九州→関西)


 私自身、正直ブルートレインにはあまり乗車した事がないので詳しくは言われませんが、それでも、「はやぶさ」に利用しました時の場合、全体の2割にも満たない、熊本~博多間で(立席券)で乗車しました時は、いい「ヒルネ」列車としては十分な印象を得ていた事を覚えております。特に、ロビーカーの印象がよかったのではないかと思いますが、いつかこれで東京までと思っていただけに、現在存在しないのが残念な所ではないかと思います。

 


 さて、今回ここからご紹介しますのは、その本州~九州間の「ブルートレイン」の最後に残りました列車でもありました、寝台特急「富士」・「はやぶさ」の平成20年に撮影しておりました画像(特記以外)をもとにしまして、皆様にご紹介してまいります。

 

 (高架化される前の大分駅にて)

 

 

 まずご紹介します寝台特急「富士」は、昭和4年の長距離列車の愛称が「さくら(櫻)とともに初めて選ばれた由緒ある列車でもありまして、当初は東京~下関間で運行されておりました。


 その後、関門トンネル開通に伴い長崎駅まで延長、しかし、戦況悪化によりまして名称は一時消えてしまいましたが、戦後は、昭和36年151系特急電車を使用しまして東京~宇野間で復活、四国への連絡列車としても活躍しますが、昭和39年の東海道新幹線開通によりまして、「富士」は現在の「ブルートレイン(20系客車)」に移行しまして、東京~大分間で運行されておりました。
 

 さらに、運行区間も西鹿児島(現・鹿児島中央)駅へ日豊線経由で運行、もちろん、当時の長距離列車では最長距離でもありました。当時は24時間以上かかっていた訳ですので、どれだけ時間がかかっていたのかがわかるのではないかとも思います。


 そして、24系(後に24系25形)客車に置き換えられますが、昭和55年には宮崎駅止まりに短縮(後に平成2年に南宮崎駅へ延長)しまして運行されておりましたが、平成9年にさらに大分駅までに短縮、そして平成17年には以下画像の「さくら」廃止で完全14系客車化(すでに一部編成は14系客車に変わっておりました)されまして、加えまして東京~門司間が「はやぶさ」との併結運行を行っておりました。

 

 この時は、これまでの画像からもわかりますように、高架化前の大分駅での撮影画像でありましたが、やはりこの1本しか「ブルートレイン」は運行されておりませんでしたので、到着時には撮影される方が多くいらっしゃっておりました。その後、この「富士」、そして後述の「はやぶさ」の廃止が発表された訳でもありましたので、正直収めてよかったなと思っております。

 

 

 一方、「はやぶさ」は、昭和33年に東京~鹿児島間で鹿児島線経由で運行されていたのが始まりでありまして、その後、昭和35年に20系客車に移行、東京~西鹿児島間(移行時に変更)の「ブルートレイン」として定着しておりました。さらに、西鹿児島駅以外にも、長崎線経由で長崎駅へも運行区間を増やしておりました。


 その後、24系(後に24系25形)客車置き換え時には、長崎駅への列車は「みずほ」に置き換えられまして、その後先述の「富士」が宮崎駅止まりに短縮されますと、最長距離を行く寝台特急となりました。


 しかし、平成9年には現在の熊本駅止まりに運行区間が変更、さらに「さくら」との併結で編成も短くなりまして、その後平成17年に「さくら」が廃止されたため以下画像のように14系客車化されまして、「富士」と併結されるようにもなっておりました。

 

 上の画像は、当時の博多駅での撮影画像でありましたが、発車時間が夕刻でもありましたので、ラッシュ時を縫うかのように運行されておりました。そのため、多くの通勤・通学客の姿が見られていた時でもあった訳でもありましたが、こういった列車がこの時間帯に運行されていた事を思いますと、もうこの時間から出ていたんだというのがわかった姿ではなかったかとも思います。
 

 

 そんな「富士」・「はやぶさ」の編成の中には、画像にありますようにかつては食堂車、そして冒頭にも述べましたロビーカーも連結されておりました。正直、本州~北海道間の「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」と比べますと、豪華さはだいぶ違っていたのではないかと思いますし、それでも個室寝台車を連結していた訳でしたので、豪華さの維持はしていたのではなかったでしょうか。


 (食堂車、オシ24形)

 

 (車内)~平成9年乗車時撮影


 (ロビーカー、オハ24形700番台)

 

 (車内)~平成9年乗車時撮影

 

 

 その後は、ご紹介しておりますように翌平成21年をもって「富士」・「はやぶさ」は廃止されまして、その結果九州方面への「ブルートレイン」は全廃となってしまいました。

 

 【平成21年廃止直前撮影】

 (「はやぶさ」)~後追い

 

 (「富士」)

 

 

 また、九州方面への「ブルートレイン」は全廃となってしまいましたが、その「ブルートレイン」自体も、最後まで残されておりました以下画像の「北斗星」平成27年に廃止されておりまして、青い客車の寝台列車は見られなくなってしまっております。

 

 

 尚、「富士」の名称はなくなってしまいましたが、ご覧の皆様もご存知の方もいらっしゃるのではないかと思いますが、「はやぶさ」の名称に関しましては、これまでの関東~九州間の「ブルートレイン」から、以下画像にあります関東~東北・北海道間の新幹線の名称として現在に至っておりますし、本文で出てまいりました「さくら」・「みずほ」も山陽~九州新幹線間でも運行されておりまして、新幹線で継続している愛称も実際見られております。

 

 

 所で、ED76形電気機関車+14系客車の「富士」と言いますと、大分県日田市内にあります「元気の駅」にED76 91+14系客車2両が保存されておりましたが、令和3年に解体されております。私自身もこの解体に関しましては正直驚きましたが、やはり何らかの事情あって一気に姿を消さないといけなかったのかなと思ってならない所ではあります。

 

 (平成24年撮影)

 

 

 今回は、九州で最後まで残っておりました「富士」・「はやぶさ」に関しましてご紹介しましたが、現在の寝台列車は「移動する手段」ではなく「楽しむ手段」へと移行しておりまして、その証としまして、JR九州のエリア内を運行しております「ななつ星 in 九州」、JR東日本エリアを中心に運行しております「トランスイート四季島」、JR西日本エリアを運行します「トワイライトエクスプレス瑞風」と言った列車がそれら「楽しむ手段」に相当します。本当に、かつては「走るホテル」とも称されておりました寝台列車ですが、現状から見ましても流れも大きく変わってしまったなと思ってならない所でもありましょうか。