NO.2881 ついに7050形電車に置き換えが発表、最古参は還暦の西鉄貝塚線600形電車紹介 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 西日本鉄道(西鉄)と言いますと、これまでもご紹介しておりますように、最も需要が高い福岡(天神)~大牟田間の天神大牟田線には、上の画像の3000形・9000形各電車をはじめとします電車、さらに最も両数が多い5000形電車や、4扉車の6000形・6050形各電車、主に南側で活躍します、ワンマン対応で2両固定編成の7000形・7050形各電車と様々な車両が活躍している事はご存知の事と思います。
 
 これらの運行も、全ての形式で普通列車から急行列車特急列車まで使用される事もありますので、特急用車両であります3000形電車も上の画像にもあります「水都」でも普通列車での運行の姿が見られる事もありますし、逆に後述の画像にもありますように、通勤型の5000形電車の特急運用の姿も見られますので、それほど需要に応じた運行が行われている事も伺わせております。
 
 また、枝線の太宰府線・甘木線に関しましても天神大牟田線間の直通運転が行われておりまして、太宰府線では福岡(天神)駅からの直通急行が運行されている場合もありますし、甘木線も先述の7000形・7050形各電車による大牟田駅までの直通運転もワンマンの形で見られております。
 
 
 その一方、貝塚~新宮間の貝塚線は、これからご紹介します電車が1形式のみが活躍を行っておりまして、現在はその1形式のみ、8編成16両がこの貝塚線で活躍を行っております。
 
 
 それが元天神大牟田線の電車であります600形電車でありまして、古い車で60年以上になりながらも活躍を続けておりますが、後半ご紹介しますが、このほどこの形式によりまして今後大きな動きが見られる事が明らかになっております。今回は、この600形電車に関しまして、特筆する編成を中心に皆様にご紹介してまいります。
 

 600形電車は、最も古い車で今年で61年になる電車でありまして、平成29年に全廃しました8000形電車からしますとかなり古い電車である事が伺わせておりますが、先述のように8編成が今でも現役であるなど、貝塚線におきまして大変元気な姿を見せております。
 

 以下画像が601F(601+651)でありますが、現在の川崎車両の前身であります川崎車輛(現在まで川崎車輌→川崎重工→川崎車両の流れになっています)で昭和37年に製造された車であります。実際に、銘板をご覧いただきますとお分かりいただけるのではないかとも思いますが、それだけもう経過しながらも運行されている事が実感できるのではないかと思います。
 
 (601号)
 
 (651号)
 
 (車内にある銘板)
 
 尚、この601Fは、現在は閉園しております「かしいかえん シルバニアガーデン」のデザインとなっておりましたり、その後新宮町相島をアピールする「にゃんこ電車(にゃん電)」として運行されておりましたが、現在は上の姿となっております。
 
 (平成28年撮影)~「かしいかえんシルバニアガーデン」ラッピング時代
 
 (601号)
 
 こちらの画像は、新宮駅より東の旧津屋崎駅まで運行されておりました、旧宮地岳線運行時の画像(平成19年撮影)での601Fでありまして、その証しとしまして行先が「津屋崎」となっている事も見ていてわかるのではないかと思います。この廃止も、もう16年が経過しておりますが、ここまで経過していた事が正直早い印象でもありますし、旧線も一部宅地化されたりしている所もありますので、廃止後の変化も計り知れない所でもあるようです。
 

 所で、この600形電車は、当初は現在の天神大牟田線であります、旧大牟田線で運行されていた頃は画像のような形ではありませんでした。前照灯も現在の窓下には設置されてはおらず、現在の前面方向幕の所に設置、行先表示もサボ式で貫通扉の窓下の所に設けられておりましたし、313形電車の末期でも見られましたクリーム・小豆両色のツートンカラーと言った塗装でもありました。
 
 その後、行先表示器も貫通扉の窓下に設けられるようになりましたが、さらに現在のように貫通扉上部に移動、さらに前照灯も窓下に移設されるなどの近代的な変化が生じておりました。ですから、601Fも上の画像のような姿になるまでは登場から10数年かかっておりまして、その分かつての面影も今は見られなくなっております。尚、塗装もアイスグリーンの塗装、そして宮地岳線(→貝塚線)転用車は現在の黄色赤ラインの塗装に変化しております。
 

 それでも、新製導入時より両開扉3扉を採用しておりましたので、当時としては先進的な車両ではあった訳でありますが、それが現在も生かしている事はいいのではないかとも思います。確かに以下画像のこの後登場する事になります画像の5000形電車と比べてみましても、運転席部分の窓や前照灯の形など細かな部分の違いは見られますが、それ以外はあまり違いもないのがわかるのではないかとも思います。
 
 (特急列車運行時)
 

 そんな600形電車は、平成2年~3年にかけまして大牟田線(→天神大牟田線)から宮地岳線(→貝塚線)に5編成11両(608Fが3両で転用のため)が転用されておりまして、それに伴いましてこれまでの広軌1435ミリから狭軌1067ミリに線路幅が変わる事になりましたので、それによりまして東急電鉄5000系電車の台車に変更されておりました。
 
 その後、現在は西武鉄道701系電車の台車に変更されておりまして現在に至っておりますが、6000形電車の宮地岳線・貝塚線転用も、平成15年に619F、平成17年に616F、平成27年に後述の900形電車から614Fが転用されましたが、これらは転用時より西武701系電車の台車に変更されております。

 また、このほかにも画像のように自動連結器に変更されておりまして、これまでの密着式連結器からの変化も生じております。
 

 車内は、画像のようなロングシートの車内となっておりまして、後方一組を青のシートであります優先座席として使用されております。また、前後の車両へは扉自体設けられておりませんので、通り抜け自体も可能であります。このようなパターンも、今後の車両へ反映される事にもなりますので、まさに先進的である事も伺えるのではないでしょうか。
 
 【車内画像は平成26年撮影】
 (後方から前方)
 
 (車両後方から隣車両)
 

 600形電車の運転席は、画像のような運転席となっております。こうして見ましても、計器類もまとめられているのもわかるのではないかとも思いますが、5000形電車と比べましてもシンプルではありますし、通り抜け可能の貫通扉の車両でもありますので、見ていて狭そうな感じも否めないのではないかとも思う所でもあります。
 

 画像は、運転席反対側にあります600形電車の行先指令機でありますが、この行先指令機は平成22年に交換されたものでありますが、こうして見ましても、間に貝塚線の駅名が1(貝塚)・3(新宮番と奇数番で、あと、2(試運転)・4(回送)番にそれぞれ偶数番でまとめられているのもわかるのではないでしょうか。
 
 ちなみに、画像は宮地岳線廃止前に撮影していたものでありますが、行先指令機自体旧大牟田線時代に使用されていたものでありましたので、コマのボタンが多かった事もお分かりいただけます。それにしても、02 津屋崎」が見ていて懐かしい所でもありましょうか。
 

 こちらは、600形電車608F(608+658)であります。この608Fは昭和39年川崎車輛製でありますが、この車自体も翌令和6年には60歳となりまして、この姿を見ましても還暦近くまで運行されている事自体驚きな所でもあります。
 
 (608号)
 
 (銘板(車外))
 
 (銘板(車内))

 そんなこの600形電車608Fは、旧宮地岳線転用時は3両で転用されたものでありまして、旧大牟田線時代から3両化されていたものでありました。実際に平成19年に撮影していた画像からもわかりますように、3両編成であった事がわかります。しかし、平成19年暮れの改正で2両化されておりまして、その結果中間車両の609号は廃車されております。

 
 この600形電車609号を撮影していたものです(いずれも平成19年撮影)。この609号は、旧大牟田線運行時の昭和50年代に3両化していた車でありました。それが宮地岳線に転用されてもこのように残されておりましたが、よく見ますと乗務員扉も残されていた事も見ていてわかるのではないでしょうか。

 
 609号の乗務員室部分です。その下の画像にもありますように、運転席も計器類・マスコンは残されておりましたが、ブレーキは撤去されておりました。やはり長らく使用されていなかった事も伺える姿ではないかとも思いますが、もしも使用されていたならばどんな形で使用されていただろうかとも思う所でした。
 
 (609号乗務員室部分)

 
 (609号運転席部分)~ブレーキは撤去
 
 尚、実はこの609号が600形電車初期を知る車でもありました。この3両化では前照灯が残されておりましたり、ドア下の方向幕が設けられていた跡もしばらく見られておりました。私自身ものちにその事を知る事になりますが、知っていたならば前照灯の部分だけでも収めていればよかったなと悔やむ所でもありました・・・。
 
 
 こちらは、平成27年に全廃となりました313形電車に代わります電車として、この年平成27年に天神大牟田線より移ってまいりました600形電車614F(614+664)であります。
 
 (664号)

 この614Fは、昭和41年に川崎車輌に新製導入されておりまして、以来大牟田線で普通列車を中心に急行・特急列車としても運行されておりました。
 
 平成元年に甘木線に転用、それに伴いましてワンマン改造も行われまして、花畑~甘木間で運行されておりましたし、平成13年には、久留米~大牟田間のワンマン運転開始に伴いまして、甘木~大牟田間まで運用を拡大しておりまして、他の600形電車と同様、久留米駅以南の主力車両として運行されるに至っておりました。尚、この間には、更新工事も施工されてもいまして、パンタグラフの交換も行われておりました。
 
 平成15年には、7000形電車・7050形電車の導入に伴いまして順次600形電車は甘木線から撤退しましたが、614Fに関しましては画像にはありませんが救援車として900形電車に改番されまして、614→901、654→902に改番されまして、筑紫車両基地に常駐しながら非常時には天神大牟田線・甘木線の救援として運行されておりました。尚、車体は黄色一色となっておりまして、救援車としての姿を見せておりました。
 
 そして平成27年に313形電車全廃に伴いまして再び旅客用として貝塚線に転用、転用に際しましては、旅客用の再整備が行われておりまして、特に654号(902号)に関しましてはクレーンなど機材が置かれていた事もありまして座席が撤去されてもいましたので、座席の再設置が行われておりますし、614号に関しましても654号に合った形となっております。尚、654号に関しましては車椅子スペースも設けられております。
 
 (再び取り付けられた「614」と昭和41年川崎車輌製銘板)
 
 (614号車内)
 
 (654号車内)
 
 また、車外にあります銘板も900形電車から600形電車向けに修正されております。それにしても、書かれてありました銘板が手書きであったのには驚きでありましたが、それに伴いまして文字も薄くなってしまっているのは正直残念ではありましょうか。
 
 (654号銘板)
 
 (614号銘板)~何と書いてあるかわかりません・・・
 
 
 そして、画像が604F(604+654)であります。この編成では画像のようにラッピングがなされておりまして、愛称はさんくすしんぐうとも呼ばれております。
 
 (654号)
 
 (604号)
 
 この「さんくすしんぐう」は、国の特別記念物で新宮町の町木でもあります「クス」と、 町や山、海を温かく照らす太陽(SUN)を組み合わせ、 町を訪れる方や町を愛している方への 「感謝」の気持ちを込めているそうでありまして、601Fに施されておりました「にゃん電」に次ぐ新宮町に関しましたラッピング電車でもあります。
 
 また、上の画像にありますように、外装には新宮町の特産品でもあります「立花みかん」やいちご、観光名所であります立花山をモチーフにしたキャラクターが描かれておりますし、604号・654号先頭には以下画像のように猫が描かれておりまして、かつての「にゃん電」の印象を出しているようにも思う所でもあります。
 
 そして、車内の座席には「ねこのしま」と呼ばれます相島の猫をモチーフにした猫が描かれました座席も見られておりまして、多くの猫の姿が見られております。まさに新宮町の名所がこの中に積まれている事も伺えるのではないでしょうか。
 
 
 ここまで貝塚線の600形電車に関しましてご紹介しておりますが、そんなこの600形電車ももう60年前後経過している事もありまして、このほどついに置き換えの話が出てまいりました。それによりますと、以下画像の7050形電車が貝塚線に移る事が明らかとなっておりまして、60年前後の車両ばかりが集まりますこの路線にもついに置き換えのメスが入れられるに至っておりまして、3扉である事もありましてこの電車が選ばれるに至っております。
 

 今回は、ついに置き換えが発表されました、西鉄貝塚線の600形電車に関しまして現状をご紹介しましたが、この600形電車8編成16両すべてが貝塚線の主力車両である事には変わりなく運行されている事がわかりますし、この8編成の中にもそれぞれ特筆する車もある事も伺わせております。本当に、速度自体もあまり出さない事や距離自体も短い事もありますので、そう言った事から60年前後の車両が元気で運行する事がわかりますが、先述のように7050形電車に置き換えられる事が決まった事でいよいよタイムリミットが迫っているだけに、とにかくその時まで活躍を引き続き続けていただきたいと思っております。