NO.2848 3年ぶりでも健在の車が見られていました、今回訪問時撮影、宮崎交通「三十路」路線車 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 3年ぶりの宮崎訪問となりました今回でありますが、今回の訪問の目的の一つが、宮崎交通で運行されております古参車両の姿を拝見する事でありました。

 

 宮崎交通と言いますと、現在も昭和時代の路線車両が見られている事業者でもありまして、昭和63年式でも既に35年になる事にもなりますので、それほど大切に扱われている車が見られている事を伺う事ができております。

 

 しかし、近年は既に経年に達している訳ではありますし、移籍車両も各地で見られるようにもなっておりまして、その分古参車両の廃車も目立ち始めております。やはり先述のように昭和63年式でも35年になる訳でもありますので、よりそう思ってもおかしくない所ではありましょうか。

 

 実際に、上の画像の2台に関しましてもこの3年の間に廃車となっております。画像1の宮崎22か・763(日野P-RJ172BA)は西都バスセンター~村所間を運行します客貨混載バスのうちの一台ではありましたが、残念ながら今回の訪問で廃車となっている所を確認しましたし、画像2の宮崎22か・773(日産デP-RM81G)も既に廃車になっているそうでありまして、それだけ引退となった車も目立ち始めているのが現状でもあります。

 

 

 さて、今回ご紹介しますのは、今回訪問時、宮崎中央営業所・宮交シティ・宮崎駅で収める事ができておりました、「三十路(30年超)の路線車に関しまして皆様にご紹介してまいります。尚、30年超になりますので、平成5年式以前の路線車をご紹介してまいります(今回はナンバープレートが付いた離脱車両も含みます)

 

 

 今回は平成5年式の路線車は収める事はできておりませんでしたが、平成4年式以前の路線車に関しましては収める事ができておりまして、以下画像が昨年「三十路」の仲間入りを果たした車たちでもあります。

 

 (宮崎22か・967、いすゞU-LR232J)

 

 (宮崎22か・961、日野U-RR3HJAA)

 

 (宮崎22か・960、日野U-RR3HJAA)~運用離脱

 

 (宮崎22か・959、日産デU-JM210GCN)

 

 以上が、今回収める事ができました平成4年式の路線車であります。このうちいすゞLRに関しましては後述のように昭和時代より長らく導入されて来ておりましたが、こちらに関しましてはU-規制にあたりまして、最終グループにもあたる域でもあります。それでもスタイルはあまり変わりませんので、判断はナンバープレートである事が言えるのではないでしょうか。

 

 また、今回日野レインボーを2台収めておりましたが、このうちの宮崎22か・960が離脱しております。僚車ではまだ一線の車もある中、また大先輩も健在である中での離脱ではありますが、それだけ経年に差し掛かって来ている事も伺えるのではないでしょうか。

 

 そして、宮崎22か・959は、マニア間では通称「チャボ」とも呼ばれる西日本車体(西工)SRボディ車でもあります。今回乗車を果たしておりましたが、30年以上になるとは思えないほどの走りを見せてくれていたのが良かったのではないかとも思っております。

 

 (車窓より)

 

 

 次は、宮崎22か・900番台の残りの車、希望ナンバーの1台の計3台をご紹介します。

 

 (宮崎22か・911、日野P-RR172CA)

 

 (宮崎22か・909、日産デP-RM81G)~運用離脱

 

 (宮崎230あ・・83、日産デP-UA33N)

 

 以上の車は、いずれも平成2年式にあたる車でありますが、このうち富士重工6E架装車でもあります日産ディーゼルRMこと宮崎22か・909は訪問時残念ながら運用を離脱しておりまして、6E末期の車の離脱を確認するに至っておりました。既にいすゞジャーニーLR・日野レインボー・日産ディーゼルRMの昭和時代からのタイプのうち、日産ディーゼルRMが一番減らしている印象でもあります。やはり富士重工の部品供給も行われておりませんので、このあとの7E・8E架装車とともにより減りつつある事も否めない所ではあります。

 

 また、富士重工7E架装車であります宮崎230あ・・83の姿も収めておりましたが、この車は希望ナンバーとなっておりますが、この「83」は、「読売ジャイアンツ(巨人)の原辰徳監督が最初の監督(平成14~15年、令和元年からも同じ背番号)の時に付けられていた背番号にあやかって改番されたものでありまして、ジャイアンツキャンプの直行バスとしても使用されていた事が伺えるのではないかとも思います。ちなみに、この車は現在は「福岡ソフトバンクホークス」のキャンプ地(生目の杜運動公園)への直行バスでも運行されております。

 

 (平成27年撮影)
イメージ 5イメージ 6

 

 

 次は、平成元年式の大型車2台をご紹介しますが、まずはいすゞLVキュービック(宮崎22か・873、P-LV214M)であります。

 

 この車は、同年に2台導入されたうちの1台でありまして、宮崎市内や西都・日南で活躍しておりましたが、現在はこのように宮崎中央営業所に所属しております。尚、相方の・872は令和3年に廃車になっておりまして、現在同年式のこのタイプはこの車のみとなっております。

 

 

 次は、西日本車体(西工)58MCB型架装の日産ディーゼルUA(宮崎22か・866、P-UA33L)であります。このタイプに関しましては、宮崎交通では2台しかいない58MCのうちの1台でありまして、宮崎交通では貴重な車でもありましたが、相方の・867が令和3年に廃車となっておりますので、より貴重さが伺えるのではないでしょうか。尚、上の画像の富士重工架装車とともに、これら車の座席はハイバックシートとなっておりまして、比較的長距離向けであるのも特徴であります。

 

 

 次からは、今回収めました昭和年式の車であります。数が少なくなる中ではありますが、それでも見る事・収める事ができてよかったと思っております。

 

 

 まずは、画像の三菱エアロバス(宮崎22か・793、P-MS725S)でありますが、この車に関しましては、昭和63年式と今年で35年になりますが、現在も画像のように健在な姿を見る事ができておりました。このエアロバスも、当時小学生でした私自身も、登場した際にはこれまでにないスタイルでしたので驚いた事を覚えておりますが、それが各社採用されましてこのように宮崎交通でも採用・健在な姿が見られておりますので、末永く走っていただきたいものであります。

 

 

 次は、いすゞジャーニーLR(宮崎22か・755、P-LR312J)であります。今回ジャーニーLRは、先述のU-規制車にあたります平成4年式の・967、そして昭和62年式でありますこの車を収める事ができておりましたが、それ以外でも収める事はできませんでしたが宮崎市内で数台見る事ができておりました。けれども、それだけ収める車も減ってきている所からも台数が減って来ている事には間違いないのではないかと思います。

 

 

 そして、日野レインボー(いずれもP-RR172BA)であります。今回は、以下画像の3台+αを収める事ができておりまして、昭和年式グループでは一番多く見られておりましたが、画像の車はいずれもエアサス車という事もありまして、これまでのリーフサス車でありますRJ(~昭和62年式)からRRに形式が変わっている事がわかります。それにしても、エアサス車に変わっている所からも乗り心地はこれまでのRJから改善されていたのではないでしょうか。

 

 (宮崎22か・823)

 

 (宮崎22か・829)

 

 (宮崎22か・832)

 

 

 今回このうちの・832に、宮崎駅から宮交シティまで乗車しておりましたが、車内も30年以上経過しているとは思えないほどきれいな姿がみられておりました。また、エンジン音が「ガ~!」と言う所からも、昔の車らしさが見られてはいたものの、それが35年経過していると言う印象はあまり感じさせられませんでした。

 

(車内)

 

 

 今回は、今回訪問時に収める事ができておりました、宮崎交通の「三十路」路線車に関しましてご紹介しましたが、やはり行く事ができかった3年のブランクを感じさせられる所ではなかったかと思います。この間にも、多くの車が廃車・離脱に至ってしまっておりますので正直台数が減ったなとは実感する所ではあります。それでも見る事ができました車たちに関しましては、まだ一線でも活躍している場合もありますので、とにかく今回ご紹介した車で現役の車も「その時」まで元気に運行していただきたいですし、残念ながら離脱に至ってしまった車に関しましては、お疲れさんと言いたいと思います。