番外 かつて肥薩線を運行していた優等列車で特急・急行・快速と存在した愛称、「くまがわ」ヒストリー | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 当ブログでもこれまでもご紹介しておりますように、「令和2年7月豪雨」によりまして、八代~人吉~吉松~隼人間を結びます肥薩線は、このうちの八代~人吉~吉松間86.8キロで大きな被害を受けておりまして、被害状況もありまして全線運行再開までにはかなりの時間を要するようになっております。
 
 当ブログでも、令和3年に寸断区間探訪を4回にわたりましてご紹介しておりましたが(NO.2470NO.2473参照)、上の画像1にもありますように球磨川第一橋梁が流失しておりますし、瀬戸石駅もホームや周辺の建物までも流失しておりまして、沿線を流れます球磨川が「暴れ川」と化した事もありまして、結果流域を走る肥薩線も大きな被害を受けるに至っております。
 
 これによりまして、肥薩線を走ります優等列車も現在は運行区間の変更を行っておりまして、以下画像のキハ40系気動車で運行されております「かわせみ やませみ」は熊本~宮地間で、「いさぶろう」・「しんぺい」は小倉総合車両センター内に設けられております「小倉工場鉄道ランド」への団体運行を行っておりますし、
 
 【以下の画像は肥薩線運行時の画像です】
 (「かわせみ やませみ」)
 
 (「いさぶろう」・「しんぺい」)
 
 「SL人吉」も熊本~鳥栖間で臨時運行を行うようになっておりまして、往路の熊本→鳥栖間では先頭に8620形蒸気機関車58654号が付いておりまして、令和2年秋に運行されておりました「SL鬼滅の刃」の時に見られました姿が再び見られておりまして、これら列車も別区間で肥薩線が全線復旧する事を願いながらイレギュラー区間で活躍を行っております。尚、この運行は令和6年3月23日までとなっておりまして、30年以上にわたりまして運行されてきましたJR九州のSLも終止符を打つ事になっております。
 
 こちらの画像は「かわせみ やませみ」車内でありますが、まさに観光列車としての姿が見られている事がお分かりいただけるのではないかと思います。特に、球磨川の眺望も見やすくするためにカウンター席もある事もありまして横向きになっている部分もあります。現在はご紹介しておりますように熊本~宮地間で運行されておりますので光景も違いますが、そう言った装備が見られている事はこの姿からも伺えるのではないかとも思います。
 
 (カウンター席)
 
 
 所で、実は平成28年から翌平成29年までの1年間は、肥薩線にはキハ40系気動車によります快速列車が運行されておりましたが、それ以前にはキハ185系気動車によります特急列車も運行されておりまして、キハ185系気動車運行末期には、別府駅発着であります「九州横断特急」が下り3本・上り4本、熊本駅発着の以下画像の「くまがわ」が下り2本・上り1本が運行されておりまして、合計しますと5往復もの特急列車がこの区間を運行しておりました。
 
 
 しかし、先述のように平成28年3月のダイヤ改正におきまして全ての特急列車の運行が一度廃止されまして、その代わりに以下画像のキハ40系気動車によります快速列車が運行されておりましたので、キハ185系気動車もこの路線からは撤退しております。
 
 
 さて、ここからご紹介しますのは、その愛称から消滅しました「くまがわ」に関しまして、私が所蔵しております昭和60年の時刻表(一部昭和58年時刻表)から出しまして、かつての姿を皆様にご紹介してまいります。
 
 
 この「くまがわ」は、昭和34年に門司港~博多~熊本~人吉間で運行されておりました準急列車の愛称において付けられていた列車でありました。昭和41年には急行列車に昇格されまして運行されておりまして、のちに湯前線(現・くま川鉄道)湯前駅発着に改められまして運行されておりました(但し、湯前線区間は普通列車)
 
 (くま川鉄道、湯前駅)~国鉄時代からの駅舎が残ります
 
 
 昭和55年、博多駅発着に改められるも、この改正より博多~熊本間は快速列車に降格、以来JR化後までこのパターンは続く事になりました。
 
 画像が、昭和60年時刻表での「くまがわ」でありまして、画像の赤い点が入っている列車がその列車であります。よく見ますと、博多~熊本間が快速列車で運行されていた事がわかりますが、当時の停車駅は、二日市・鳥栖・久留米・荒木・羽犬塚・瀬高・大牟田・荒尾・長洲・玉名・木葉・植木・上熊本・熊本と、快速停車駅に停車していた事がお分かりいただけるのではないかと思います。
 
 また、ちょうどこの列車時間帯も博多~熊本間の快速区間に関しましては通学(下校)時間帯にも当たっておりましたし、急行となりましてからも熊本駅からも宇土・松橋両駅にも停車しておりましたので、利用者はこの区間を通しては比較的あっていたのではないかと思われます。
 
 
 こちらは、肥薩線の時刻表でありまして、「くまがわ」に関しましては赤点の時刻表をご覧いただければと思いますが、他の急行「えびの」と同様、八代駅からは坂本駅に停車する以外となっていた事がわかります。それにしても、現在の「かわせみ やませみ」・「いさぶろう・しんぺい」、その前の「くまがわ」・「九州横断特急」では一勝地・渡の各駅に停車する列車もあります(した)が、当時の「くまがわ」・「えびの」ではこれら駅にも停車していなかった事もわかるのではないでしょうか(但し、後述の画像のように一部一勝地駅に臨時停車していた列車は存在していました)
 
 「くまがわ」部分をアップしたものであります。この列車は、先述のように人吉駅から湯前駅まで運行されていた事も述べておりましたが、昭和55年の改正では下り列車に限り人吉駅から「山線」経由で吉松駅まで運行されていた列車も存在しておりました(~昭和61年まで)。したがって、編成自体も博多~人吉間では6両、人吉~湯前間は4両、人吉~吉松間は2両で運行されていたとの事であります。  
 
 
 一方、こちらは下り列車でありますが、こちらの場合は吉松駅発はありませんが、湯前駅発の列車は存在しておりました。こちらの場合も、時間的に通勤・通学時間帯に相当する時間帯でもありましたので、おそらく湯前~人吉~八代~熊本間の利用者は特にあっていたのではないかとは思われます。
 
 また、下り列車も終着駅は博多駅でありまして、熊本駅から快速列車としての運行となっておりました。この列車の熊本駅の到着は9時18分着でありますが、博多駅着は11時31分着でありましたので、さすがに通し利用はいらっしゃらなかったのではないかとは思われますが、それだけ長時間による運行であった事は伺えていたようでもあります。
 
 
 尚、昭和59年まではこれら列車にはグリーン車も連結されておりました。実際に昭和58年の時刻表からもグリーン車のマークがあった事が伺わせておりますが、グリーン車自体は白地で書かれている事からもわかりますように自由席として扱われておりまして、グリーン券を支払うとどの座席にも座る事ができておりました。
 
 
 それにしても、全体の時刻表からもわかりますように、この頃でも様々な優等列車が運行されていた事もお分かりいただけるのではないかとは思います。この中には、「くまがわ」より先に廃止されました以下画像の「えびの」も存在しておりましたし、それ以外にも快速「やたけ」と言った列車も運行されておりまして、普通列車以外の列車はこの頃からも賑やかであった事も伺えていたようでもあります。
 
 (JR化後「DC-EXP」塗装の「えびの」・「くまがわ」)~平成10年撮影
 
 
 今回は肥薩線の優等列車でありました「くまがわ」ヒストリーと称してご紹介しましたが、そんな「くまがわ」の名も、平成28年の改正で姿を消しましたが、その「くまがわ」の名前自体もその名の通り以下画像の球磨川から取ったものでありましたが、清流の場所あれば激流の場所もあるなど様々でありますし、「令和2年7月豪雨」の時のように「暴れ川」となる場合もあります。そんな特徴あるこの川を愛称にしていたこの列車でもありましたが、今やその名称自体は姿を消しております。現在は、この川沿いを運行する列車自体ないですが、それでもいつまでも記憶に残していただきたい愛称である事には間違いないでしょうか。
 
 (注)画像が見にくい方は、画像をクリックしてご覧ください。