NO.2790 ステンレス車両に様変わりしました、関門間で運行されている415系1500番台の姿 | コウさんのコウ通大百科 PART3

コウさんのコウ通大百科 PART3

在住する九州を中心に、鉄道・バスを中心としました記事を毎日更新しております。
(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 これまでもご紹介しておりますように、令和4年9月22日をもちまして、415系電車の鋼製車両の運行は終了しておりまして、これによりまして翌9月23日改正より運行車両はステンレス車両に改められております。

 

 415系電車の鋼製車両は、大分車両センターに16編成64両、鹿児島車両センターに5編成20両が存在しておりましたが、9月23日改正でこれら計21編成が全車運用を離脱しまして、九州内の各地に疎開されております。このうち4編成がこれからご紹介します場所にも疎開されておりまして、今後ある事になります、小倉総合車両センターへの廃車回送までの間、これら場所に留置される事にもなります。

 

 この415系電車と言いますと、大分車両センター所属車の場合は鹿児島線・日豊線・長崎線・佐世保線が運行区間でありましたが、それに加えまして、最も交直流電車としての姿を発揮する所が山陽線の(小倉・)門司~下関間でありました。この区間は、わずか1区間ではありますが、それでも交流と直流とが入れ替わる区間を運行しておりますので、電車ではこの1形式しか存在しない分、特に本領を発揮する所でもありました。

 

 また、南福岡車両区所属車が下関駅までの運用を持たなかったため、大分車両センターの車両が中心となって運行されてもいました。しかも、ステンレスの1500番台も改正前の時点で6本しかありませんでしたので、それほど関門間におきまして鋼製車の割合も高かった事も伺わせておりました。

 

 

 しかし、ご紹介しておりますように鋼製車両は全車離脱しております。その代わり、全てのステンレス車両であります1500番台が関門間を運行するようになっておりまして、様子も様変わりしております。今回は、昨年12月訪問時に収めておりました、関門間を走る415系1500番台電車の姿に関しまして、皆様にご紹介してまいります。

 

 

 415系1500番台電車は、先述のように大分車両センターには改正前の時点で6編成24両は在籍しておりまして、この関門間や、鹿児島線・長崎線・佐世保線で運行する姿が見られておりました。

 

 (関門間運行時のFo1511編成)

 

 (肥前山口(現・江北)駅留置線でのFo1510編成)

 

 

 しかし、9月23日改正で南福岡車両区に所属しておりました8編成が大分車両センターに転属しまして、所属車両はいずれもFMからFoに変わりました。

 

 これによりまして、元南福岡車両区所属車はいずれも関門間の運用に再び就くようにもなりましたが、運行区間は以下のように改められております。

 

 鹿児島線 門司港~小倉~博多~鳥栖~久留米

 日豊線  小倉~行橋~中津~柳ヶ浦~宇佐~大分

 長崎線  鳥栖~佐賀

 山陽線  門司~下関

 

と、9月23日の改正前までメインでありました長崎線も佐賀駅までしか乗り入れず、鹿児島線も久留米駅以南の乗り入れがなくなっております。

 

 また、日豊線に関しましても、所属車両の大分車両センターがあります大分駅までの運用も1運用しかなく、しかも車両差し替えがなければその日のうちに大分を離れる運用となっておりまして、帰る事ができても離れないといけない場合もある運用となってしまっております。

 

 けれども、やはりメインとなりますのが関門間であります。運用8運用中5運用でこの関門運用が入っておりまして、運用によりましては朝から晩まで関門間と言う運用さえも見られておりまして、何度も小倉・門司~下関間と、正直しんどいのではないかとも思うような運用が存在してもいます。

 

 

 さて、ここからはその関門間の運用の姿を収め・乗車した際の姿をご紹介してまいります。まず画像は、門司港駅から小倉駅まで回送しますFo1516編成でありますが、途中の門司駅で一旦停車している姿でもあります。その酷とされます運用の間には昼間一旦門司港駅まで回送しまして一休みする運用も見られておりますが、これがその運用時の姿でもあります(午前中の5159Mの運用の後門司港駅まで回送)。この後この編成は後述の5182Mとして再び関門間の運用に就く事にもなります。

 

 

 所で、門司駅の関門トンネル入口の両側にあります留置線には鋼製車両の疎開留置している姿が見られております。現在この留置線に留置されておりますのは、Fo117・118・122・520の各編成であります。この4編成も改正前まで活躍する姿が見られていたものでしたが、いざ全車離脱となりますと残念でならなかった所ではありましょうか。

 

 (Fo117編成)

 

 (Fo118編成)

 

 (Fo122編成)

 

 (Fo520編成)~上の画像

 

 

 この後、Fo1517編成によります、下関駅からの5183Mが門司駅4番ホームに入線してきました。この時点では、直流から交流に変わっておりまして、交直流デッドセクションを通過した時でもあります。

 

 この時6番ホームには、小倉駅からの5180M(Fo1513編成)も入線して来ておりまして、1500番台が揃って見られておりました。5180Mは、交直流デッドセクションに入る前に行う切り替えテストを行っていたため、ヘッドライトが片目の状態となっておりましたが、テストが終わりましたら両目に戻っておりました。先述のように、改正前は多く運行されておりました鋼製車から全車ステンレス車に変わった訳ですから、このような姿も日常的になった事も伺える姿でもあります。

 

 (テストが終わったため両目に戻ります)

 

 5180Mは、門司駅を発ちました。発車直後には交直流デットセクションを通過する事もありまして、再びヘッドライトは片目、車内は消えておりました。

 

 交直流デッドセクションを通過しますと、直流区間に変わりましたので、ヘッドライトも両目に戻りまして車内も点灯したようであります。この後関門トンネルに入りまして、下関駅へと進んで行く事にもなります。

 

 

 この後、私も後続の5182Mに乗車しまして、下関駅へと向かいます。この日この5182Mを運行しますのは、先程上の画像のように門司港駅から小倉駅まで回送しておりまして、小倉駅から折り返して運行されますFo1516編成でありました。

 

 Fo1516編成と言いますと、FM1516編成として最後の日であります昨年9月22日に、最後の肥前大浦行きとして運行されておりました編成でもあります。残念ながら、先述のように415系電車も9月23日以降は長崎線では佐賀駅まで短縮されておりますが、この画像の姿も今後は記録として残る事ではありましょうか。

 

 

 門司駅発車直後の画像です。上の画像にもありましたように、交直流デッドセクションを通過する際には車内の照明も1つの非常灯を残し消えてから通過して行きます。その際には車内も暗くなりますので、交直流デッドセクションを通過している事をも伺わせております。

 

 

 5182Mは、本州に入りまして、JR西日本の駅でもあります下関駅へとやってまいりました。この後、折り返しで5187Mとして小倉駅へと運行される事にもなります。

 

 この下関駅と言いますと、JR西日本側も国鉄型の車両であります115系電車が多く見られております。特に、いずれも昭和50年代に製造された車両ばかりでもありますので、昨年9月22日まででしたらJR西日本・JR九州と鋼製車ばかりが見られる印象ではなかったかと思う所でしょうか。

 

 

 下関に着きまして7分後、Fo1516編成は5187Mとして小倉駅へと向かいます。正直、折り返し時間が短い事は致し方ないですが、それだけ慌ただしい印象でもありましょうか。尚、この編成の運用は下関駅最終の5246Mまで、あと8往復小倉~下関間を往復する事にもなります。

 

 (下関駅発車直後)

 

 

 私は、この後の5184Mからの折り返しの5189Mに乗車します。この時乗車しましたのは、Fo1517編成でありまして、この編成も南福岡車両区から9月23日より転属した編成でもあります。そのため、表示も「FM」から「Fo」に、表記も「本ミフ」から「分オイ」に変更されておりました。 

 

 (Fo1517表示)

 

 (「分オイ」表記)

 

 5189Mの下関駅発車は17時38分であります。5184Mとしては下関駅17時30分着でしたので、わずか8分で折り返す事にもなりますが、時間帯にもよる部分もありますが、正直慌ただしい所でもある事には間違いないでしょうか。

 

 

 5189Mは、17時54分に小倉駅に到着しました。この後5分後の17時59分発の5190Mとして再び下関駅へと向かう事にもなります。

 

 折り返し時間はわずか5分ですので、行先表示は既に「下関」に変わっておりました。その下の画像にあります行先表は40番に記されておりますが、以前は以東の行先も存在していただけに、今は本州の行先は「下関」だけと言うのも運用を考えれば致し方ない所でもありましょうか。

 

 その行先表は、見た所変更は見られないようであります。変更あるならば「江北」の行先が追加されているはずですが、運用が佐賀駅までに短縮されている事を思えば致し方ない所ではあります。それでも、今後「有田陶器市」などで運行する機会は考えられるだけに、今後追加はあるのかなと思ってもおかしくない所ではあります。

 

 (上の画像を写したものです)

 

 さて、5190Mとして再び下関駅へと向かいます。この編成に関しましてもこの後下関行き最終列車5246Mまで8往復運行される事になっておりまして、本州~九州間を行き来する方々を支えつつ運行していく事にもなります。

 

 

 今回は、関門間が全車ステンレス車両に変わりました415系1500番台電車運行シーンに関しまして実際に乗車までしましてご紹介しましたが、やはり415系電車の独壇場である事を思いますとわかるような姿ではないかとも思います。それにしても、昭和50年代まで製造されていた電車から昭和60年代に製造された車両に変わった事で若返りを果たしている事には間違いないですが、それでも国鉄末期前後に導入された車両たちですので30年以上は経過している事にはなります。ですから、こうした姿も正直いつまでもとは言えない域に差し掛かりつつある事には間違いないでしょうか。