NO.2783 改正後初乗車、長崎線「上下分離区間」、(牛津)→肥前浜→諫早間キハ47形乗車記録 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 当ブログでもこれまでもご紹介しておりますように、9月23日改正より、長崎線は肥前浜駅以南が非電化されておりまして、この区間では全ての定期列車で気動車による運行に改められております。

 

 このうち、「上下分離区間」と呼ばれます、佐賀県・長崎県が線路・施設を所有します江北(←肥前山口)~諫早間のうち、非電化区間となります肥前浜~諫早間では、主に上の画像にありますキハ47形気動車が運行されておりまして、佐世保車両センター所属の車両が計10両配置されております。

 

 この内訳は、上の画像にあります青地に白・橙・赤のラインが入った車が8両、そして長崎県出身でもありますEXILEのTAKAHIROさんがプロデュースしました「ChooChoo西九州TRAIN」が2両存在しておりまして、長崎線の江北~肥前浜~諫早~長崎間、送り込みとして佐世保線の江北~早岐間でそれぞれ運行されております。

 

 これら車には、リニューアルとして以下画像のようにステップが追加されておりますし、トイレもこれまでの和式から洋式に改装されておりまして、これまでの近郊用キハ40系気動車とは違った所を見せております。

 

 ただ、車内はこれまでとは変わっておらず、シートも過去の検査時にモケット交換された車両となっておりまして、車内はほぼオリジナルな姿を見せております。やはり塗装やトイレ等が変わった所は良かったですが、車内はあまり変わらない訳ですので、後述のように昭和50年代製でもある事から、時がさかのぼったような印象でもありましょうか。

 

 

 さて、この12月に私はこの「上下分離区間」を乗車しておりました。今回は以下画像にありますキハ47形気動車に乗車しての模様を皆様にご紹介してまいります。

 

 

 今回は、バス乗り放題乗車券「SUNQパス」を使用していた事から、佐賀駅→牛津駅までは路線バス利用でありましたが、牛津駅からは817系電車で運行されます肥前浜行きの列車(2849M)に乗車しまして終点肥前浜駅まで乗車します。そんな817系電車も、改正以前は肥前浜駅以南も運行されていた訳ですが、現在は肥前浜駅以南が運行されなくなったのが正直残念な所ではあります・・・。

 

 

 乗車しまして26分ほどで、肥前浜駅に到着します。肥前浜駅では、以下画像の島式ホームであります2・3番ホームで乗り換えが行われております。よく見ますと、この2・3番ホームはホームの幅も広く、同一ホームの乗り換えにはふさわしい事がお分かりいただけます。

 

 (8月撮影)~3番ホームのYC1系気動車は試運転列車です

 

 

 さて、817系電車の2849Mが3番ホームに入線しまして、2番ホームには長崎行きでもあります2147Dが待機しておりましたのでこの列車に乗車しまして、途中の諫早駅へと向かいます。

 

 (2147D、長崎行き)

 

 (同・サボ)

 

 今回乗車しました2147Dは、肥前浜駅を13時58分発、諫早駅には14時57分着、終点長崎駅には15時34分着と、途中行き合いは「上下分離区間」ではありません(諫早駅以南では現川駅で4238D)。以前は特急列車の行き合いが必ず見られておりました長崎線ではありますが、特急列車の行き合いがなくなりましたので(注)、それだけ所要時間もほとんどの列車で短縮が見られております。

 

 

 2147Dは、肥前浜駅発車の時点で20名ほどの乗客が乗り換えておりましたが、降車の際に前の車両で下車する方式でありますので、ほとんどは1両目に集中しておりました。実際に、その下の画像にあります案内表示でも、「上下分離区間」ではピンクを表す運賃箱収受方式を表しますピンクの表示が肥前鹿島駅を除きましてすべての駅で見られているのもわかります。

 

 (ドア上部にある案内表示)

 

 

 さて、今回乗車しましたのは(←長崎)キハ47 3509+キハ47 8158でありましたが、キハ47 3509はその下の画像にありますように昭和54年新潟鐵工所製、台車が空気ばね台車であるのが特徴の寒冷地向けの車両でもありまして、元はキハ47 509となっていた同車でありますが、国鉄時代の昭和60年に新潟運転所(現・新潟車両センター)から唐津運転区(現・唐津車両センター)に510・1509・1510とともに転属、唐津線・筑肥線におきまして運行されておりました。

 

 しかし、JR九州がキハ40系気動車の一部車両に行っておりました機関改造によりまして、平成17年に+8000を追加してキハ47 8509となっておりましたが、空転対策による駆動変更もありまして、平成18年に−5000となりました3000番台に改番し、キハ47 3509となりまして、さらに平成19年に熊本車両センターにキハ47 4510(←1510)とともに転属しまして運行されておりましたが、令和3年に運用を離脱するも、今年他の3両(3510・4509・4510)も含めまして空気ばね台車の車両は復活に至っております。

 

 

 一方、相方のキハ47 8158は、昭和56年新潟鐵工所製でありまして、新製は旧竹下気動車区でありまして、(竹下→)直方時代では後述の装備もありまして香椎線などで運行されておりました。しかし、平成18年に鹿児島総合車両所(現・鹿児島車両センター)に転属、鹿児島地区の路線で運行されておりましたが、令和3年に定期運用を離脱しておりました。

 

 (銘板がありませんのでシールでの表示です)

 

 そして、一度疎開後に運用から復帰するべく「青一色」化されまして、今回の転用へと至っております。本当に、「青一色」など小倉総合車両センター出場時には「謎の姿」が見られていたものでしたが、それがこの転用でしたので、正直納得ではないかと思います。

 

 ちなみに、画像はキハ47 4509の消毒実施済票ですが、前所属の熊本車両センター時代の消毒実施が令和3年2月まで行われておりましたが、一度離脱期間がありましたので、約1年9ヶ月間空きがあるのがわかります。

 

 そしてサボです。サボもラミネート加工されたものが使用されている事がお分かりいただけます。この方式自体は令和3年の改正で南九州で採用されていいたものでしたが、それが初めて北部九州地区での採用となっております。それにしても、令和の世の中でサボ方式での採用ですので、幕式行先も九州内の路線で見られる中でのこの姿は、これまでのサボ受け位置とは違うとはいえ時がさかのぼったような印象でしょうか。

 

 (もちろん「持出禁止」です)

 

 

 さて、列車は有明海沿いを走行します。画像は多良駅を出てしばらくした所での光景ですが、奥にはうっすらと島原半島の姿が見られている事がお分かりいただけます。

 

 (右奥に見られるのが波瀬ノ浦橋)

 

 

 さらに進みますと、里信号場へとやってまいります。この信号場は、これまでもご紹介しておりますようにくぼんだ所にありますので、特急列車でもスピードを落として通過しておりましたし、停車しておりましたのでそういった所がわかるのではないでしょうか。

 

 (最もくぼんだ部分)

 

(対岸)

 

 

 里信号場を過ぎまして、大浦港へとやってまいりますが、この大浦港を過ぎますと肥前大浦駅へとやってまいります。先述のように、行き合いもない列車でもありますので、肥前大浦駅も24分ほどで着く事ができるようになっております。

 

 

 肥前大浦駅を過ぎたあとのキハ47形気動車の車内です。肥前大浦駅を過ぎますと長崎県に入る事にもなりますが、1両目(キハ47 3509)では10数名ほどの乗客の姿が見られておりました。

 

 しかし、2両目では2名ほどしか乗車している方が見られておりまして、正直寂しい姿がみられております。所で、このキハ47 8158は香椎線運行時にドア際の座席・間のボックスを撤去した車でして、元祖「座席撤去車」でもあります。このような経験あってこそ813系電車のドア際座席へとつながったのでしょうか・・・!?

 

 それでも、運転室寄りには座席が設けられておりまして、正直こんな所に・・・と言う印象でしょうか。と言いますのも、九州のキハ47形気動車の場合では運転室寄りの座席は撤去されているのがほとんどですので、そう言われてもおかしくはないでしょうか。

 

 

 2147Dは、佐賀県から長崎県へ、さらに長崎県に入った所にあります土井崎信号場を経まして南下して行きます。この土井崎信号場・先述の里信号場とも、特急列車運行時にはよく使われていた信号場でしたが、土井崎信号場の場合は今となれば小長井駅発着列車の折り返しが代表的な所でしょうか。

 

 (佐賀県から長崎県へ)

 

 (土井崎信号場通過)

 

 

 列車は小長井駅を経まして、湯江駅へとやってまいります。湯江駅へと近くなりますと、画像の島原半島への光景もより近くなってまいります。

 

 

 その湯江駅到着時の画像です。この湯江駅は2面3線のホームではありますが、すべてのホームを使っている事もありまして、見た目からは光景も以前と変わらないような印象ではあります。

 

 この湯江駅の上を見ますと、使用されなくなりました架線の姿が見られておりました。この時点でもまだ残されておりましたが、今後撤去へと進む事になるのかなと思いますと、電車が来なくなった事をより実感させる事にもなるのでしょうか。

 

 

 画像は肥前長田駅であります。この駅に関しましては2面2線の駅ではありますが、「一線スルー」の構造から主に上下1番ホーム発着となっておりますが、国道側になります2番ホームも線路がさびていない事からわかりますように使用されている事が見ていてわかるのではないかと思います。

 

 (2番ホームの線路)~さびていない事から使用されている事がわかります

 

 

 しかし、その先の東諌早駅へとやってきますと、2番ホームの線路は錆びておりまして、9月23日改正以降は使用されていない事がわかります。この駅に関しましても、「一線スルー」の駅ではありますが、それが災いしまして使用されなくなってしまった事は特急列車が運行されなくなった事にもつながっているのではないでしょうか。それでも、信号機は使用可能となっておりまして、この時も赤が点灯しておりました。

 

 (信号機「赤」が点灯していました)

 

 

 こうして、列車は諫早駅にやってまいりました。この所要時間も1時間もかからずに肥前浜駅から来る事ができている訳ですので、特急列車がなくなるだけでもここまで早く行かれるようになっている事も伺えるのではないでしょうか。ちなみに、まだ架線がこの時点では残されておりますが、今後撤去へと至る事にはなるようではあります。

 

 諫早駅ホームには、ICカード対応の特急券売機が見られておりました。しかし、自由席が利用できる特急列車がなくなりましたので、使用停止となった事もわかるのではないでしょうか。

 

 そんな諫早駅の在来線時刻表です。9月22日までは電車も見られていたこの区間でしたが、電車が見られなくなった今としては主にYC1系気動車を中心とした姿に変わってしまった事が新幹線開業に伴う所ではないかとも思う部分でもありましょうか。

 

 

 こうして、2147Dは諫早駅を発ちまして、長崎駅へと向かって行きました。終点長崎駅までも15時34分着ですので、1時間30分ほどで行かれるようになっている事も実感できるのではないでしょうか。

 

 

 今回は、9月改正以降初めて長崎線の「上下分離区間」に乗車した事をご紹介しましたが、改正前は817系電車・415系電車、特急列車も787系電車・885系電車が運行されていたこの区間も今やキハ47形気動車がメイン路線となってしまいましたので、40年超の車両が活躍する場が再び見られるようになった事もわかるような姿ではなかったかと思います。それにしても、この昼間の列車のように行き合い列車に遭わないというのもそれだけ特急列車を含め本数が減ってしまった事がわかるのではないかとは思いますが、実際早くは行かれるようにはなっておりますので、これからも時間に余裕ある場合は利用していただければと思います。

 

 (注)長崎線では、肥前浜駅以降も特急列車「ふたつ星4047」が運行されております。ただ、片道1本のみですので、大きく本数削減されたことに変わりない事にはご理解いただきたいと思います。