NO.2618 現在は一般道化、平成27年訪問時撮影、西鉄バス北九州旧「バス専用道」区間乗車記録 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 当ブログでは、「西鉄バス58MCラストラン」の中の最終回(その5)におきまして「バス専用道」に関しまして少々ご紹介しておりました。
 
 この「バス専用道」とは、かつての西鉄旧戸畑線であった区間でした、幸町~大門(小倉高校下)間を表していたものでありまして、この旧戸畑線の大門~戸畑間は5.5キロの区間に大門・戸畑電停を含め10箇所の電停が設けられておりました。
 
 この旧戸畑線で使用されていた車両は、基本的には以下画像のように1両編成の電車が運行されておりましたが、ラッシュ時には連接車も運行されていたなど、様々な姿も見られておりました。また、旧北九州本線や同時期廃止の旧枝光線との直通運転も行われておりまして、遠くは門司(現・レトロ桟橋通付近)・砂津発着便も存在しておりました。
 
 (戸畑線運行時の300形電車)~ウィキペディアより

 

 しかし、交通量の変化等もありましてこの旧西鉄戸畑線は昭和60年に廃止、その後西鉄バスでは「バス専用道」として三六~小倉高校下間で整備されました。その際には、バス停に屋根まで整備されたバス停まであるなど、まさに「バス専用道」としての姿を見せておりました。

 

 その後、並行します区間が渋滞が激しい事もありまして、それらの渋滞緩和のために、平成18年よりこのバス専用道路を一般道として開放する事になりまして、さらに一般車もさらに通りやすくするために道を広くするなどして整備されておりまして、現在に至っております。尚、電停からバス停になりましてからも残されておりました屋根はその後全て撤去されておりますし、一部の電停→バス停であった所では一部バス停自体が移設されている所もありまして、「バス専用道」としての面影も見れなくなっております。

 

 

 こちらは、平成27年訪問時の若戸大橋の下にあります戸畑渡場バス停であります。戸畑渡場バス停は「戸畑バスセンター」とも呼ばれていた所でもありましたが、この地はかつては西鉄旧戸畑線戸畑電停の駅舎があった所でもありました。しかし、昭和60年の廃止後に駅舎の一部が解体されまして、訪問時は以下画像の奥にもありますように2番ホームであった部分・電停の北寄りの部分が残されておりまして、かつての路面電車の発着電停であった姿を残しておりましたが、現在はこの戸畑渡場バス停も移設されておりまして、バスセンターも解体された事から名残も見られなくなっております。

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 現在は、西鉄バス北九州の70番系統(戸畑渡場~幸町~三六~魚町~砂津~レトロ桟橋通~(海岸)~田野浦)の路線バスがこの区間を運行されておりまして、旧戸畑線・旧枝光線を通っておりました区間を西鉄バス北九州の路線バスが運行されております。尚、戸畑渡場方面は以前は他の系統も運行されておりましたが、それ以外の系統が製鉄飛幡門発着で短縮運行されておりまして、そう言った事から発着本数も少なくなっております。

 

 (70番、7741・日野QPG-KV234N3)

 

 

 さて、今回ここからご紹介しますのは、以前戸畑渡場バス停などを撮影しておりました平成27年訪問時におきまして、その旧「バス専用道」区間を収めておりました。今回は、その「旧バス専用道」区間利用時の記録を皆様にご紹介してまいります。
 
 
 画像は、戸畑渡場方面・戸畑駅・枝光方面・日明方面への交差点でもあります幸町交差点であります。戸畑渡場方面は画像奥に、戸畑駅・枝光方面は画像左側に、日明方面は画像右方向となっております。かつて存在しました幸町電停も、画像中央の位置に設けられておりましたが、この訪問時の時点で面影がなくなっておりました。
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 こちらの画像は三六バス停であります。この地にはかつて三六電停が設けられておりまして、その下の画像右側の位置にかつての電停が設けられておりました。その廃止後に屋根付きのバス停が設けられまして、このバス停から小倉高校下間で見られておりました「バス専用道」としての姿を見せておりましたが、現在は屋根もなくなった状態で南側に移設されております。
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 (画像右側の道路部分にかつての電車ホームが存在)
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 また、このバス停から少々離れた所には画像のようにゲートが設けられておりました。これはかつての架線柱であった部分を「バス専用道」出入口として残されておりましたが、その後撤去されております。本当に、かつての旧戸畑線の名残としてでもあっただけに、これはより残念であったと言える所ではあります。
 
 (平成21年撮影)
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 三六バス停(戸畑方面)から小倉方の画像です。かつてのゲートも、画像右にあります黄色いものがある位置に存在しておりましたが、この時点でも面影は見られなくなっておりました。このように、かつての路面電車が走っていた名残が見られなくなって行くのも残念な所でもあったようにも思います。
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 先へ進みまして、画像はこの先が工大入口バス停となる付近であります。かつての工大前電停も、その工大入口バス停付近に設けられておりましたが、この姿からもかつての路面電車時代の面影も見られなくなっていた事がわかります。
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 こちらの画像は、工大入口~中原西3丁目の区間であります。この姿を見ましても、この旧西鉄戸畑線・旧「バス専用道」の通りも、マンション・アパートの建設が進んでおりまして、宅地化が進んでいた事もわかります。ちなみに、この通りはちょうど九州工大前駅にも近い位置にもある所でもありますので、このように進んでいるのもわからなくはない所ではあります。
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 さらに先へと進みますと、画像の橋は新日鐵住金八幡製鐵所(当時、現在は日本製鉄九州製鉄所)の八幡工場~戸畑工場間を結びます「くろがね線」の上を通ります橋に差し掛かる所でありますが、この道路は新たに造られた橋・道路でありまして、かつての路面電車→自動車が走っていた区間は画像右側にある部分でありましたが、そこを迂回する形で現在の道路が整備されております。
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 こちらの画像は、中原東二丁目~真颯館(しんそうかん)高校前間の区間であります。かつての旧戸畑線は画像の坂道がある区間を運行しておりまして、それを並行する形で画像右にあります一般道が存在しておりました。しかし、現在は「バス専用道」が廃止されておりますのでほとんどの車が旧バス専用道を走行しているのがわかります。
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 その先の真颯館高校前バス停であります。かつてこのバス停は旧校称でもあります「九州工業高校」と呼ばれていたバス停でもありまして、訪問時は戸畑方面は撤去されたものの、小倉方面は屋根付きで残されておりましたが、その後屋根は撤去されておりまして、「バス専用道」時代の面影も消えてしまっておりました。
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 車は中井口バス停付近にやってまいります。その中井口バス停付近にかつての中井口電停も存在しておりまして、それを並行するように一般道も画像右側に設けられておりましたが、西鉄旧戸畑線廃止後に設けられましたバス専用道廃止後はその一般道と合わせまして4車線化しておりまして、その区間はこの後の小倉高校前交差点まで続く事になります。
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 こちらは、平成20年撮影のその区間内にあります日明5丁目バス停の上に設けられております橋より中井口・戸畑方に収めたものであります。当時は道路拡張に伴う買収がなされていなかったと思われる部分もありまして、一部2車線となっている区間もありますが、その後その部分も4車線化されております。
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 こちらの画像は、日明4丁目バス停付近でありますが、この付近に日明西口電停があった付近でもあります。当時路面電車は画像左側を走っておりまして、その右側に一般道路が存在しておりましたが、その面影は残念ながら見当たる事はできませんでした。
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 さらに画像は日明付近に達しますが、山陽新幹線の高架橋を抜けましてすぐの所に日明電停が設けられておりました。それにしても、今回作成にあたっては様々なHP等の資料・グーグルマップ・ストリートビューを見ながらかつての電停があった場所なども探っておりましたが、やはり時が経っている分面影自体も見られなくなったのは残念な所ではないかとも思います。 
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 そして、こちらの画像は小倉高校下バス停にありました屋根付き待合部分でありますが、肝心の小倉高校下バス停自体は残念ながら西側に移動した事から、平成27年訪問時の時点でこの屋根付き待合所は使用されなくなっておりましたし、その後撤去されております。それでも、このようにかつての名残が残されている事はいいのではないかとは思っておりましたが、できれば「バス専用道」時代の名残として移設してくれた方が一番ではなかったかと思っております。
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 この屋根付きバス停が使用されていた頃の画像です(平成21年撮影)。歩道上を覆っておりましたので、暑い時などには特に重宝されていたのではないかと思われますが、この姿だけでも待合として立派な印象はあったようではあります。
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 これまでご紹介しました屋根付きバス停には、「バス専用道」が存在していた頃には画像のような表示の仕方(それでもガムテープでふさがれている事に関しましてはご了承ください)となっておりました。その後この看板は全てのバス停で撤去されましたが、やはりバス専用道当時を偲ばせる部分ではなかったでしょうか。それでも、わかりやすさがあっただけに、残されていた所では引き続き残してくれていてもよかったようにも思ったほどでした。
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 今回は、平成27年当時の旧「バス専用道」を経由しました路線バスに利用しました記録をご紹介しましたが、私自身、バス専用道と言いますと福岡市の箱崎地区にありました区間が思い出されますが、それとともにこの地にもあった訳ですので、このバス専用道の存在は路面電車の名残でもある分大きな存在ではなかったのではないかとは思います。しかし、交通の変化を思いますとこのような流れだけでは済まなくなった事は正直残念ではあしますが、とにかくかつては路面電車も走っていた訳でもありますので、それを偲びつつ今に至っていただければとも思います。
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 (注)今回書庫では鉄道(路面電車)のみの区間がない事から、「バス関係(総合)」として掲載しております。