NO.2583 西鉄福岡市内線千鳥橋~貝塚間廃線跡探訪(前編、旧千鳥橋(西鉄博多)~旧浜松町編) | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 福岡市博多区千代5丁目、千鳥橋近くにあたります所に、「アクロスガーデン千鳥橋」と呼ばれます商業施設があります(画像は「Googleストリートビュー」より)。

 

 ここには、画像にもあります回転寿司店や、カレー店、しゃぶしゃぶ店などと言った、いわゆる料理店関係の商業施設がありまして、週末を中心に多くの方々が利用されている施設でもあります。

 

 私自身も、このうち回転寿司店・カレー店に何度か利用した事がありまして、大変おいしくいただいておりました。特に回転寿司店は、寿司ネタが良い事もありまして、知らぬ間にお腹いっぱいになるほどでもありますので、出向いた時にはよく世話になるほどでもあります。

 

 

 そんなこの「アクロスガーデン千鳥橋」は、元々は西日本鉄道(西鉄)の施設でもありまして、その前には西鉄バス・西鉄観光バスの車庫、さらにその前には鉄道の駅(電停)としての姿が見られておりました。

 

 画像は平成24年頃撮影の、当時存在しておりました西鉄観光バス旧千代支社でありますが、ここは平成22年にこれまで中央区地行にありました旧本社車庫が閉鎖した事に伴いまして、この年閉所しておりました西鉄バス千代営業所跡地を活用したものでありまして、以来バスの車庫として活用しておりました。それにしても、上の画像を見ましても貸切バスの並んだ姿が見ていて素晴らしくも感じさせる所ではないかとも思いますが、そのほとんどが廃車となっている今を思いますと懐かしささえも感じさせられます。
イメージ 1イメージ 2

 

 そして、こちらの画像が西鉄バス旧千代営業所時代の画像でありますが、以下画像が平成21年撮影、その下の画像が平成22年撮影画像でありますが、画像のように西鉄バスの路線車両に加えまして、他社の夜行高速バスの駐車場としての姿も見られておりました。特に現在は「出雲エクスプレス博多号」となっております、中国ジェイアールバスの撮影当時は「出雲路号」時代にはジェイアール九州バス(当時)博多支店には駐車せずこの千代営業所が駐車場所の姿が最初の頃は見られておりましたので(後にジェイアール九州バス博多支店で駐車)、JR系ではない所で駐車する姿も見られておりました。

 

 (平成21年撮影)~右から3番目、中国ジェイアールバス「出雲路号」も駐車していました

 

 (平成22年撮影)

 

 

 そして、西鉄観光バス旧千代支社→西鉄バス旧千代営業所のさらに前身は、以下にもありますように、西日本鉄道(西鉄)旧福岡市内線の千鳥橋駅(電停)、さらに西鉄旧宮地岳線の西鉄博多駅、そして西鉄の前身でありました旧博多湾鉄道汽船時代には新博多駅と称されておりまして、バスの車庫でありましたこの地はかつては鉄道駅であった事がお分かりいただけるのではないかと思います。尚、西鉄福岡市内線編入後も貝塚駅までの区間は宮地岳線名義でありましたので、「」とも称されますし、「電停」とも称されておりました。

 

 大正13年~昭和17年 (博多湾鉄道汽船時代) 新博多駅
 昭和17年~昭和29年 (西鉄宮地岳線時代) 西鉄博多駅
 昭和29年~昭和38年 (西鉄福岡市内線時代) 新博多駅
(電停)
 昭和38年~昭和54年 (西鉄福岡市内線時代) 千鳥橋駅(電停)

 

 

 さて、ここからはこれまでのバスとは違い、鉄道と言う形で皆様にご紹介してまいりますが、過去にこの地から貝塚駅まで歩きまして廃線跡の姿を収めてまいりましたので、前編・後編の2回にわたりまして皆様にご紹介してまいります。

 

 

 画像は、旧千代営業所・支社の南側にあたる部分でありまして、上の画像1・2でしたら現在の回転寿司店にあたる部分です。当時、旧博多湾鉄道汽船、その後の西鉄旧宮地岳線時代はこの地が始終着駅として存在しておりましたが、福岡市内線編入後は、既に運行されておりました軌道線の循環線とつながるようになりまして、旧千鳥橋(新博多・西鉄博多)駅のつくりは、西側と東側にホームを設けておりまして、画像奥の部分に博多築港・天神方面が、手前の部分に博多駅・住吉方面のホームが設置されておりました。  
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 西鉄観光バス旧千代支社の事務所であった建物です。現在は回転寿司店の駐車場にあたる部分ですが、この建物も、かつては駅の待合室として設けられていたようでありますが、建物の古さがそういう所を伺わせていたようにも感じさせられました。
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 貝塚寄りの所から、天神・博多駅方を収めたものであります。画像奥が現在のコンビニ、手前側が回転寿司店にあたりますが、昔の写真によりますと、当時は画像右側の事務所(←待合室?)付近でポイントが分かれまして、天神方面・博多駅方面が分かれていたようでした。確かに考えてみましても、その後の車庫のつくりから見ましても名残が伺えるのではないかとも思います。
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 こちらは、現在はしゃぶしゃぶ店・カレー店、及び駐車場となっております、北側のバス車庫でありました部分であります。この部分も、かつては旧千鳥橋駅の構内であった部分でもありましたが、名残も見ていて伺える所でもあります。本当に、今と比べましても大きく様変わりしている事が伺える場所でもあります。
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 ここまで、かつての西鉄バス車庫、さらにその前の旧千鳥橋駅にあたる姿をご紹介しましたが、ここからは現在も名残が見られます廃線跡部分をご紹介します。画像は、貝塚方を収めたものでありますが、画像の駐車場の位置に線路が設けられておりまして、その駐車場の裏側には後述のように緑道が設けられております。
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 画像がその緑道であります。途中にはベンチも設けられているなど、散歩をするにはもってこいの場所となっておりますが、この地も複線であった事から2本の線路があった訳でもありますので、その名残も伺えるのではないかとも思います。
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 緑道の末端であります。この先には西鉄グループ関係の施設がその後設けられておりまして、西鉄の整備部門であります「西鉄エムテック」の本社、「福岡小松リフト」の本社がそれぞれ設けられております。やはり、かつての西鉄の線路であった部分にこういったグループ関係の施設が設けられるのもわからなくはないのではないでしょうか。
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 (西鉄エムテック本社の裏側)~ここに線路が設けられていました。
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 その西鉄エムテック・九州小松リフトの裏側の住居には、画像のような不自然な姿が見られておりまして、かつてその住居の裏側には線路が設けられていた事がわかります。やはり、屋根が画像のように片側しか見られないのも、かつて線路があった証と言えましょうか。
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 さらに線路は、画像奥のインターネットカフェの部分まで続いておりました。現在は画像のようにそのインターネットカフェ・駐車場となっておりますが、現状から見ましても、かつてここに線路があった事はこの地では伺う事ができなくなっております。
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 現在はインターネットカフェの駐車場となっておりますこの地が、「馬出三丁目」電停があったと思われる場所であります。現在の姿は画像のように駐車場となっている訳ではありますが、かつてここに電停があったという面影は残念ながら見る事ができません。
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 上の画像の所を過ぎまして、これから筥崎宮の手前まで続く事になります「馬出緑地」へと至ります。この緑地も、かつての線路跡でもありましたので、その線路跡をこのような緑地帯として活用しているのは散歩などをされる方にとってはありがたい所でもあります。
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 さらに、現在の「馬出三丁目」の「バス停」付近であります。「電停」に関しましては、先述のように上の画像の現在はインターネットカフェの駐車場の所にあったようですが、「バス停」はこの地でが設けられておりまして、画像のバス停左側に見えております「ゆめタウン博多」の利用客が特にこのバス停を利用されているようであります。
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 この撮影を行いました日は暑い中でありましたが、緑道は比較的陽にあたらない事もありまして、そこまで暑いという印象は感じられませんでした。そう言う所から、これまでも述べておりますように散歩される方にはもってこいである事もわかるのではないかとも思います。
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 さらに歩いてまいりまして、この「馬出緑地」の中にありました旧「浜松町」電停にやってまいりました。旧浜松町電停は、以下画像にあります中央の道路を境にしまして、旧千鳥橋方に貝塚方面のホームが、貝塚方に旧千鳥橋・旧天神方面のホームが設けられておりまして、いわゆる相対式ホームであったようであります。こうして見ましても、かつてのホームがあった部分はともに木が生い茂っておりましてその名残は見られませんが、両側の広い部分がそれを伺わせているようであります。

 

 (旧千鳥橋方、右側に貝塚方面のホーム)
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 (貝塚方、右側に旧千鳥橋・旧天神方面のホーム)
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 画像は貝塚方を少々進んだ所でありますが、この右側に旧千鳥橋・旧天神方面のホームがあった所のようであります。やはり名残というものはもう見られない訳ではありますが、それでもどんな感じではあったのかイメージしてしまうほどでもあります。
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 所で、この「馬出緑地」や、それ以外のこの廃線跡区間には、画像のような用地杭が残されておりまして、ここにかつて鉄道が存在していた事を現在にも伝えております。実際によく見ましても、画像のように西鉄の旧社章が残されておりまして、かつての姿を偲ばせているのがわかるのではないかと思います。
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 (別の位置)
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 今回は、過去に撮影を行いました西鉄旧福岡市内線の旧千鳥橋電停から旧浜松町電停までの廃線跡区間探訪の前編をご紹介しましたが、特にご覧の皆様にとりましては現在の回転寿司店などがある所にバスの車庫、さらには駅(電停)も設けられていた事を存じていない方もいらっしゃるでしょうから、この記事を見ましてそうだったのかと思われた方もいらっしゃるのではないかと思います。冒頭にもありましたように、私自身も何度か「アクロスガーデン千鳥橋」には訪れていますが、かつての名残が見られなくなっているのも残念でしょうか。次回後編では、名残も見られる貝塚駅までの模様をご紹介しますので、次回もご覧になっていただきたいと思います。
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