NO.2522 福岡の郊外にかつて存在、旧国鉄勝田線廃線跡探訪(その2、旧下宇美駅~旧志免駅編) | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 前回より、タイトルにもありますように、福岡の郊外に存在しておりました鉄道路線でありました、旧国鉄勝田線の廃線跡探訪の話題を過去に撮影した画像からご紹介しておりますが、前回は旧筑前勝田駅から旧下宇美駅までの区間をご紹介しておりました。

 

 旧国鉄勝田線は、福岡市博多区の吉塚駅より、福岡県宇美町の筑前勝田駅までの13.8キロで存在しておりまして、このうちの1.5キロが篠栗線と共用で線路を使用していた区間でありましたので、分岐部分に設けられました粕屋町の柚須駅から筑前勝田駅までが廃線跡区間となっておりまして、途中駅には現在も香椎線の起終点駅として存在します宇美駅も別の所で見られておりました。

 

 そんな旧国鉄勝田線は、元々が筑前参宮鉄道が敷設しました鉄道路線でありまして、大正8年に全線が開業されておりまして、その後、現在の西日本鉄道(西鉄)であります九州電気軌道の宇美線として運行されておりましたが、昭和19年に国有化されまして、勝田線となったものでありましたが、戦前・戦後には沿線の糟屋炭田から産出する石炭の輸送で賑わっておりまして、志免町には「国鉄志免炭鉱」と言う炭鉱も存在しておりましてこの路線も賑わいを見せておりました。

 

 しかし、その後閉山しまして貨物輸送自体は衰退しますが、その後沿線では宅地化するも、並行するように運行されております路線バスに客を奪われた事もありまして、結局昭和60年に廃止となっております。

 

 廃止後は、ほとんどの区間で緑道といわゆるウォーキング・サイクリングをするための道路として整備されておりますし、駅跡も公園としても整備されておりまして、一部の場所では画像のように名残も見られている所さえもあります。

 

 

 さて、今回その2ではさらに北上しまして、上の画像にもあります旧下宇美駅から旧志免駅間の廃線跡区間に関しまして皆様にご紹介してまいります。

 

 

 画像は、前回もご紹介しておりました福岡県宇美町の旧下宇美駅でありますが、この駅の前には西鉄バスのバス停が存在しておりまして、宇美町内方面・福岡市内方面の路線バスがここから運行されております。ちょうどこの撮影時には、画像にはありませんが、福岡市博多駅・天神方面の利用者が数名ほど待っている姿を見る事ができておりまして、それほど福岡市内方面へ足を運ばれる方が多い事も伺えておりました。それにしても、この先志免町の交差点などでは渋滞も頻発しているだけに、もしも今残っていたならどうなっているのだろうかと思わざるを得ない所でもあります・・・。
 

 (旧下宇美駅跡)

 

 (旧下宇美駅ホーム前にあります下宇美バス停)

 

 

 ここからは、旧下宇美駅から先へと進んでまいります。この旧下宇美駅より先は前回もご紹介しましたように緑道(「下宇美緑道」)となっておりまして、自転車・歩行者が通行可能となっております。そんな緑道も、このように九州自動車道の架道橋を抜ける事になりまして、かつては実際に列車が九州自動車道を抜けていた事自体今となれば信じられない所でもありましょうか。

 

 

 「トンネルを抜ければ・・・」と言う訳ではありませんが、この九州自動車道より手前(旧筑前勝田駅→)の区間が冬場に撮影したものであるのに対しまして、これから先(→柚須駅)の区間は桜が咲く春に撮影した画像でありましたが、画像のようにこの時には桜が満開となっておりまして、大変美しい姿を見る事がこの緑道でも見る事ができておりました。
 
 (筑前勝田方)
 
 (吉塚方)
 
 
 さらに進みまして、上の画像の先の方に丸くくぼんだ部分が見られておりますが、この部分は以下画像のように「光正寺古墳」と呼ばれる古墳が存在しておりますし、その先には「七夕池古墳」も見られております。実際に旧勝田線も、これら古墳の南側を走っておりまして、車中からもその姿を見る事ができていたようです。ちなみに、これら古墳あたりより宇美町から志免町に入ってまいります。

 

 

 その古墳を少々進みますと、画像のような生い茂った緑道を通る事になります。それにしても、桜も見られる、それ以外の木々なども見られるなど、勝田線の廃線跡もよく変わっている事が見ていて伺えるのではないかと思いますし、ウォーキングにはもってこいの場所である事もわかるのではないでしょうか。
 
 
 さらに進んでまいりますと、上に道路橋が見られておりますが、この橋は志免町の隣町であります須恵町へ行く県道91号線が走っておりまして、JR須恵中央駅や、九州自動車道須恵パーキングエリアへの道でもあります。尚、須恵パーキングエリアにはETC専用のスマートインターが設置されておりまして、高速に乗るために志免方面から行かれる方が多い道でもあります。
 
 
 この橋を抜けますと、画像のように美しい桜が見られておりますが、この桜の上には志免東中学校がありまして、いわゆる通学路としても活用されているようです。それにしても、この撮影時は桜が満開の頃でもありましたが、花見をしながらウォーキングも良かったのではないかとも思う所でもありましたでしょうか。
 
 
 そう言った桜も見られる緑道を抜けますと、今度は車道に入ってまいります。ちょうどこの辺りには団地もあるなど宅地化している場所でもあります。それにしても、考えてみましても勝田線も画像のような高低差があった事が伺える部分でもありましたでしょうか。
 
 
 この車道を抜けますと、再び緑道へ入ってまいります。その緑道から、その下の画像にもあります旧志免駅へと進む事になりまして、旧志免駅の構内へと進む事になります。こうして見ましても、美しい姿が各地で見られた事を思いますと、それほど跡地活用がなされている事がわかりますし、かつて線路があった事も忘れさせるほどでもあります。
 
 (旧志免駅より旧筑前勝田方)

 

 
 さて、旧志免駅へやってまいりましたが、ここは画像にもありますように「志免鉄道記念公園」として整備されておりまして、ここにかつて駅・鉄道が存在していた事を後世に伝えております。

 

 この「志免鉄道公園」は、旧志免駅の構内であった場所に置かれておりまして、廃止前の時点では行き合いが可能でありました1面2線のホーム配置となっておりました。廃止後は、画像でもありますようにホームが2分化されておりまして、ホームの中央に県道91号線が整備されたため、現在はホームが2箇所に分かれてしまっております。

 

 (旧筑前勝田方ホーム跡)~手前が旧筑前勝田駅側です

 

 (吉塚方ホーム跡)

 

 けれども、画像でもわかりますようにこのホーム跡にも線路も残されておりまして、かつての姿を偲ばせております。それにしても、現在のホームはかさ上げもしている駅もありますが、ホームの高さ自体それほど高くはない事も見ていて伺えるのではないでしょうか。


 また、旧筑前勝田駅方には画像のように腕木式信号機も残されております。この腕木式信号機も、かつて使用していたものではないかと思われますが、残念ながら老朽化が進んでおりまして、赤と青の色ガラス板はすでに割られて見られなくなっておりました。

 

 さらに、転轍機も見られております。こういった転轍機も入換の時などには使用していたものではないかと思われますが、鉄道記念公園である事を思えばふさわしいものではないかとも思います。

 

 

 そして、この「志免鉄道記念公園」の西側にある壁には、廃止前の旧勝田線の陶板によるモニュメントが取り付けられておりまして、かつての姿を偲ぶ事もできております。中でも、画像にありますキハ58系気動車の運行されていた姿が、よりこの地に鉄道が存在していた事を伺える姿ではないかとも思うほどでもありましょうか。

 

 

 そんな面影残ります志免鉄道公園へは、福岡空港より佐谷方面の西鉄バスの路線バスに乗車しまして、志免鉄道公園バス停下車であります。尚、残念ながら福岡市の天神・博多駅方面からは直通バスは運行されておりませんが、博多駅方面からは宇美方面のバスに乗りまして、下志免バス停下車で徒歩5分ほどに存在しております。


 

 今回は、その2としまして旧下宇美駅から旧志免駅間に関しましてご紹介しましたが、前回と同様、ほとんどの区間で緑道の整備がなされている所が見られている事がお分かりいただけたのではないかと思います。それほどウォーキングを行うにはもってこいかなとも思いますので。そんな中でも、旧志免駅のように公園として整備されているという事で、こういった所がここに鉄道があったと言う証としても見られているのがいいのではないかとも思う所でもありましょうか。次回最終回では、現在の柚須駅までの区間までご紹介する予定でありますので、最終回もご覧になっていただきたいと思います。