(同、筑前勝田→吉塚間)
こうして、「香椎線」の宇美駅へとやってまいりました。ここから粕屋町の長者原、福岡市の香椎・海ノ中道・西戸崎方面へ819系蓄電池電車によります普通列車が運行されておりまして、そう言った事もありまして、福岡市のベットタウンとなっている事から、この宇美駅までの利用者も多く見られております。
(旧勝田線線路跡上から)
そんな宇美駅の向かい側に、実は「旧勝田線」の宇美駅も別に存在しておりました。それが以下画像の位置右側にあったと思われまして、ここに片面のホームが設置、また道路側に別に駅舎が建てられておりました。
この理由としましては、かつて旧勝田線が筑前参宮鉄道の路線として建設されていたのに対しまして、香椎線が博多湾鉄道の路線として建設されていたためでありました。そのため、その後国有化されましても一つの駅として統合される事はありませんでした。そう言った事もありまして、宇美駅の駅前広場が広い理由もそういった理由がある事がお分かりいただけるのではないかと思いますが、もしも統合されていた・現在も存在していたならば、どんな感じになっていただろうかと思わざるを得ない所でしょうか。
宇美駅の画像奥の旧筑前勝田方には、画像中央に木が見られておりますが、この部分から奥が旧勝田線があった部分にあたります。これだけ生い茂っている所からも、恐らくは旧勝田線があった頃からの存在のようですが、これこそいわゆる生き証木(?)ではないかとも思う所でもありましょうか。
さて、これからさらに北上してまいります。旧勝田線は、かつて画像中央の位置の横断歩道がある部分に線路が延びておりまして、そこからその下の画像にあります今の細い路地の部分に線路が存在しておりました。この姿からも、かつて線路があったと言う印象はあまり見られなくなってしまっているのも伺わせる所でしょうか。
(その先、細い路地を通ります)
けれども、しばらく進みますとかつて線路があった事を表すようなものが続きます。まずは画像の橋の部分でありますが、よく見ますとSLの絵が描かれている事がわかります。
さらに少々進みますと、宇美川に架かります「みやいで歩道橋」には、その下の画像のように動輪のモニュメントもありまして、ここに線路・橋梁があった事が見ていて伺えるようにもなっております。
それら線路・橋梁があった事が伺える部分を過ぎますと階段が見られておりますが、おそらくは橋梁の手前あたりから勾配があったようです(最後の画像からそう言った事が伺わせます)。ですから、今はそんな面影は見られなくなってしまっておりますが、階段の上にかつて線路があったとしますと、そう思われましてもおかしくはない所ではあります。
この階段を上りますと、廃線跡は車道として入ってまいります。それでも緑道は道路の左側に続いておりまして、歩行者はその部分を歩く事になります。ちなみに、画像奥にあります歩道橋がもしも廃止前から存在していたならば、その橋の下に勝田線は走っていたでしょうから、撮影にはもってこいの場所でもあったのかもしれません・・・。
(歩道橋より)
画像は旧勝田方を収めておりますが、緑道が見られていた中でこの部分は雑草が生い茂っている部分が見られております。けれども、この先は現在はコンビニが存在しておりまして、そして先の車道へとつながるようになっております。本当に、わずかではありますが、このような姿は全体的には少ない中で数少ない廃線跡の部分ではないかとも思います。
そして、この撮影位置の反対側が、「下宇美緑道」となっておりまして、この下宇美緑道に入りましてガソリンスタンドの先の所に、旧下宇美駅のホーム跡が残されております。
この旧下宇美駅ホーム跡も、おそらくは手前側の部分を短くしたのではないかと思われまして、それらしき跡が残されております。それでも、ホーム自体が撤去されている例もあるだけに、このように残されている事自体ありがたい事であると言えましょうか。
また、この旧下宇美駅自体は、現在下宇美緑道公園として整備されております。よく見ましても手前にはベンチもありまして、今回の廃線跡撮影時によく見られましたウォーキングの休憩場所としてはふさわしい所でもあります。
今回は、旧勝田線廃線跡探訪のその1として旧勝田~旧下宇美間をご紹介しましたが、ここまでご紹介した中でもこの旧勝田線自体廃線跡をよく活用されているのではないかと思っております。しかも緑道として歩道や自転車道として活用する事で、自動車の進入自体もありませんので、利用者にとりましても利用しやすいという利点もありますが、正直もしも鉄道として存在していたならばどうなのか徒歩思ってならない所ではあります。次回はさらに北上しまして、旧志免駅までの模様をご紹介してまいりますので、次回もご覧になっていただきたいと思います。