番外 かつての賑やかさも見られていた、長崎線肥前七浦駅内で見られていた昭和55年当時の駅通過時刻 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 佐賀県鹿島市にあります長崎線肥前七浦駅は、昭和8年に建てられました駅舎が現在も健在な姿を見せておりまして、80年以上経過している訳ではありますが、時代を感じさせております。
 
 この駅の特徴は、普段駅自体は利用者もさほど多くはない無人駅でありますが、年に一度駅近くの有明海の所にあります「七浦海浜スポーツ公園」で開催されております「鹿島ガタリンピック」の際は、特急列車も臨時停車するほど賑わう駅でもあります(令和3年度は令和2年度に続き中止)。
 
 そんなこの駅では、現在は毎週月曜日に787系電車で運行します観光特急列車(D&S列車)でもあります、「36ぷらす3」がこの肥前七浦駅に運転停車を上り博多行きで行っております。ちなみに、下り長崎行きでは隣の肥前浜駅で観光を兼ねた運転停車を行っておりますが、それに次ぐこの運転停車でもありますので、行き合い待ち合わせのためではあれども、こういった列車が停車するだけでも注目される所ではないでしょうか。
 
 
 所で、この肥前七浦駅は、80年以上経過している事もありまして、駅舎や駅内はかつての姿を残しておりまして、まさに時代を感じるような印象がある駅でもあります。それでも、以下画像のように駅員室であった部分には利用客の待合室に改造されておりますし、テーブルも設けましてギャラリースペース化されてもいるなど、一般に開放されている姿も見られております。
 
 (平成30年撮影)
 
 (現在)~ギャラリースペース化されています、以下画像奥端には金庫もあります(後述)
 
 また、これまでの待合スペースであった部分にも、丸い大きなテーブル(!?)が真ん中に鎮座しておりますが、これは電線を巻いてあったものでありまして、使わなくなりましてからもこのようにテーブルとして再利用しているようでもあります。
 
 さらに、駅員室も待合スペースとして解放しておりますが、画像のように切符売場は残されております。もちろん開放している事から、画像のようにその裏側も見る事ができておりまして、昔懐かしい引き出しにも目をやってしまいます。おそらくは、かつて引き出しの中には切符やお金などを入れていたのではないかと思われますが、今なら子供であるならばここで切符売りの遊びもやっていいのではないか?とも思ってしまうほどであります。
 
 
 そしてこちらは肥前七浦駅のホームでありますが、ホームは相対式2面2線のホームとなっておりまして、信号機が両方向片側しか設置していない事から単線スルー式ではく、特急列車が通過する時は、長崎方面は1番ホーム、肥前山口方面は2番ホームを通過するようになります。尚、通過する際は通過制限は60キロとなっておりますので、撮影はゆっくり走行する分しやすいのではないでしょうか。

 (長崎方)
 
 (肥前山口方)
 
 (885系電車「かもめ」博多行きが通過)
 
 
 ここまで、肥前七浦駅の特徴を簡単にご紹介しましたが、実はこの肥前七浦駅で現在は見られなくなったものもあります。今回はその件に関しましてご紹介しますとともに、解説も行ってまいります。
 
 
 それが、画像にあります昭和55年当時の通過時刻表でありまして、平成24年の訪問時に収めていたものでありましたが、これにはかつて運行されておりました列車の姿を見る事ができておりました。しかも、これは駅員向けでありましたので、旅客列車の他に、通過扱いになります長崎駅発着などの特急列車や貨物列車の時刻もこの通過時刻表に記載されておりました。
 
 (下り、長崎方面)
 
 (上り、肥前山口・鳥栖方面)
 
 上の画像の時刻を見ますと、当時は・・・

 貨物列車 下り6本・上り8本
 臨時貨物列車 上下各1本
 特急列車(電車)上下各10本
 特急列車(ブルートレイン)上下各4本
 急行列車(気動車)上下各3本
 普通列車(電車)上下各4本
 普通列車(気動車)下り7本・上り6本
 回送列車(気動車)上りのみ1本
 臨時列車(客車)下り3本・上り4本

の本数となっておりました。
 
 こうして見まして、特急電車はおそらく「かもめ」ではないかと思われますが、今と比べると少ないですし、さらに急行「出島」と言った急行列車も走っていた事もわかります。そして、寝台特急も現在は新幹線の愛称となっております「さくら」や「みずほ」、そして「あかつき」と言った列車が運行されていたようですが、今は寝台特急自体ないですので、当時の賑やかさが伺われるような姿でもありました。
 
 さらには、現在は415・811・813・817系各電車が運行されております普通列車につきましては、当時はわずか各4本でおそらくは415・423系各電車が運行されていたのではないかと思われますし、当時は上下各7本で運行されておりました気動車については、キハ55形気動車などと言った列車が使用されていたのではないかとも思われます。
 
 以下画像では、詳しく残されておりました上りの行先の姿も見る事ができますが、行先も鳥栖や東折尾(現・黒崎駅の構内扱い)各駅と言った区間もあれば、大阪市場(現存せず)駅と言った区間も運行されていた事もわかります。それにしても、手書きでもここまで詳しく残っていたのは良かったのではなかったかと思います。
 
 また、旧門司鉄道管理局の女性のポスターも見られておりました。このポスターにつきましても、おそらくはこの頃からだと思われますが、駅員室だった事を思えばこのポスターの存在もわからなくはなかったでしょうし、国鉄時代の姿が偲ばれる部分でもなかったかとも思います。
 
 
 しかし、そんなかつての姿が偲ばれていたものも、平成29年頃に姿を消してしまいました。実際に、かつてそういった掲示物があった場所には、これまでの面影はなくなっておりまして、まっさらとした姿が見られておりましたが、現在は上の画像にもありましたようにミニギャラリーとして写真が展示されている姿が見られております。そう思いますと、以前の訪問時に貴重な所を収めておいてよかったなとも思う所でもありましたでしょうか。
 
 それでも、画像の金庫は現在も上の画像にもありますように残されております。現在は金目のものというものは恐らくは入れていないのではないかとは思われますが、それでも年季の入った金庫が当時は使用されていた事を伺わせる所ではなかったかとも思います。
 
 
 今回は、長~い歴史もあります肥前七浦駅で残念ながら見られなくなったものとしてご紹介させていただきましたが、やはり時刻表の画像を以前収めておいて良かったのではないかと思いました。先述のように、かつての姿を偲ぶものではありますので、現在のように貨物列車やブルートレインが運行されなくなっている事などを思いますと貴重ではなかったかとも思います。そんなこの駅は、来年秋の「西九州新幹線」開通後には気動車が運行される路線として姿を変える事になりますので、運行される列車も様変わりするようです。とにかく、面影となるものが姿を消しているのは残念ですが、駅としてはいつまでもこの姿を維持していただきたいと思います。