番外 平成22年・令和元年、MR線でリバイバル運行がありました、急行九十九島及び急行平戸のご紹介 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 これまでも当ブログでもご紹介しておりますように、佐世保車両センターにはキハ66・67系気動車が所属しておりまして、このうち上の画像1のように1番ユニット、画像2のように10番(110番)ユニットにおきましては「国鉄色」をまといまして運行されておりまして、運行区間の長崎線(長崎~諫早間)・佐世保線(佐世保~早岐間)・大村線では大変目立った姿が見られております。
 
 このうち、1番ユニットに関しましては、2000年の「ミレニアム」記念として「国鉄色」に塗り替えられておりましたし、10番(110番)ユニットに関しましては前回番外

 でもご紹介しましたように、平成21年に発生しました推進軸の落下のために運用を離脱しておりましたが、平成23年に運用に復帰、キハ66 10がキハ66-110に番号を変えております。

 
 そんな目立つこの両ユニットの車両は、団体臨時列車でも運行されていた経歴もありまして、平成25年には10番ユニットを使いまして「国鉄色キハ66・67で行く西九州ぐるり撮り旅」と呼ばれます団体臨時列車が、平成27年にはこのほど添田~夜明間がBRT化が決定しました日田彦山線に1番ユニットが運行されていたなど、様々な団体臨時列車の運行が行われておりました。
 
 
 そして、令和元年8月、10番(110番)ユニットを使用しましてリバイバル列車「急行 九十九島号の旅」が運行されまして、大きなポイントとしましては旧国鉄→JR松浦線でもありました、松浦鉄道(MR)に乗り入れまして、長崎→佐世保→たびら平戸口→伊万里→有田→肥前山口間で運行されました。
 
 (「急行 九十九島号の旅」の画像がありませんので、平成25年撮影の「国鉄色キハ66・67で行く西九州ぐるり撮り旅」時の画像を使用しております)~ヘッドマークも掲示しています
 
 
 「急行 九十九島号の旅」に使用されましたキハ66・67系気動車と言いますと、定期列車では平成13年の長崎運輸センター(当時)転属から平成18年まで佐々駅までしか運行されておらず、佐々駅より先は運行された事がないため、そう言った所も楽しみでもありました。しかも、画像の伊万里駅は後述のように分断されておりますので、左側のJR駅ではなく、右側のMR駅に停車する事になりますので、そう言った所も楽しみな所でもありました。
 
 (JR・MR伊万里駅を分断する道路、左がJR側、右がMR側)
 
 (MR伊万里駅)
 
 (JR伊万里駅)
 
 
 ちなみに、MR乗り入れのリバイバル団体臨時列車と言いますと、平成22年に長崎→佐世保→松浦鉄道西九州線→有田→武雄温泉間を「急行 平戸」として運行されていた事がありまして、実際に長崎→佐世保→伊万里間がかつて急行「平戸」として運行されていた該当する区間として運行されておりまして、使用車両も画像のキハ58系気動車、しかも「国鉄色」で運行されておりましたので、まさにリバイバルとしての姿が見られておりました。
 
 
 さて今回ご紹介しますのは、その急行「九十九島」、そしてその後運行される事になります急行「平戸」に関しまして、皆様にご紹介してまいります。
 
 
 「九十九島」は、昭和37年に博多~佐世保間を筑肥線、松浦鉄道の前身であります国鉄松浦線を経由しまして運行されておりまして、当時は準急の形で運行されておりました。ちなみに、筑肥線は現在の形とは大きく異なりまして、以下画像の旧東唐津駅(現・ホテル&リゾーツ佐賀唐津がある所)がスイッチバックとなっておりましたので、東唐津駅からは逆向きと言う形で運行されておりました。
 
 (ホテル&リゾーツ佐賀唐津)~旧東唐津駅があった所
 
 博多~(筑肥線)~筑前前原~東唐津(旧駅)~山本~伊万里~(松浦線)~松浦~平戸口(旧称)~佐々~佐世保
 
 
 翌昭和38年には、「九十九島」は長崎駅まで延長されまして、以下の通りに運行されておりました。ちなみに、当時は長崎線喜々津~浦上間には新線が開通しておりませんでしたので、長与経由の形でも運行されておりました。
 
 博多~(筑肥線)~東唐津(旧駅)~伊万里~(松浦線)~平戸口(旧称)~佐世保~(佐世保線)~早岐~(大村線)~大村~諫早~(長崎線・当時は長与経由の旧線のみ)~長崎
 
 
 昭和41年には、「九十九島」は急行化されまして、それとともに博多~東唐津~伊万里間には有田・佐世保線経由で佐世保駅まで運行されておりました急行「からつ」も連結しまして運行されておりましたが、急行「からつ」は翌昭和42年に廃止、急行「九十九島」もその翌年の昭和43年に急行「平戸」に改称されまして、同区間で運行される事になります。
 
 
 そして、昭和58年に福岡市地下鉄相互乗り入れによる筑肥線電化(唐津~姪浜間)・一部区間廃止(博多~姪浜・虹ノ松原~山本間)によりまして唐津駅発着に変更、そしてJR化後翌年の昭和63年の松浦鉄道転換時に「平戸」は廃止へと至っております。
 
 
 画像は、昭和58年の松浦線時刻表であります。恐らく当時の急行「九十九島」も同じような形で運行されていたのではないかとは思われますが、先述のように昭和41年~42年にかけましては伊万里~有田間でも急行「からつ」も運行されてもいましたので、その時は松浦線全線で優等列車が見られていたようではあったようです。それにしても、現在の松浦鉄道からしますとピーク時よりは減便されているとはいえども、それよりも当時は非常に少ない本数であった事が伺えます。
 
 (松浦線、有田・伊万里→平戸口→佐世保)
 
 (松浦線、佐世保→平戸口→伊万里・有田)
 
 
 今回は、令和元年に運行されましたリバイバル「急行 九十九島の旅」をヒントに、急行「九十九島」・「平戸」に関しましてご紹介しましたが、急行「九十九島」に関しましては準急時代から合わせましても6年しか続かなかった(急行としては2年しか続かなかった)訳ですが、その後の急行「平戸」は20年続いていただけに、どちらかと言いますと「平戸」の方が定着していたのではないかと思います。本当に、平成22年・令和元年と運行されました団体臨時列車は、MR線に入るJR車両でもあっただけに、より注目されておりましたが、ご覧の皆様も、時刻表などかつての事を偲んでいかがかなとも思います。

 (注)投稿当初とタイトルを修正しています(7月19日朝修正)。