NO.2288 実際35年前までその区間に鉄道が走っていました、旧香月線中間~旧香月間廃線跡探訪 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 上の画像にあります福岡県中間市の中間駅から、北九州市八幡西区の旧香月駅間にはかつて昭和60年まで香月線が存在しておりまして、最盛期には石炭を中心としました貨物輸送が、閉山後は旅客輸送が中心となりましたが、その旅客輸送の衰退によりまして廃止となっております。
 
 この旧香月線は、全長は中間駅~旧香月駅間のわずか3.5キロの路線でありまして、この区間には、新手・岩崎の途中駅が設けておりまして、それぞれ駅間も約1キロ前後の駅間が設けられておりました。

 

 また、先述のように元々は石炭輸送のための貨物線として開業していたものでありまして、最盛期には一部区間が3線区間まで設けられるなど活気があった区間でもありました。しかし、その後の沿線の炭鉱の閉山によりまして輸送量は激減、さらには旧国鉄の廃止対象路線にまで指定された上に、中間市の都市開発の阻害となるなどの理由から廃止運動まで起こるなど、末期の旧香月線は正直いいような路線ではなかったようでありました。
 
 
 香月線の昭和57年改正の時刻表です。末期は下り10本・上り11本の本数が確保されておりまして、ほとんどの列車が筑豊線まで乗り入れておりまして、折尾駅や若松駅まで運行されていた列車もありましたし、朝には客車列車が運行されてもいまして、沿線の通勤・通学の方を支えている姿も見られておりました。

 

 

 さて、今回ご紹介しますのは、以前中間駅から旧香月駅間を歩いておりました。今回はその模様を皆様にご紹介してまいりますとともに、今回訪問時の内容も併せてご紹介してまいります。

 

 

 画像が、中間駅の南側にあります記念碑です。この記念碑は、「旧香月線起点地」と書かれている事からもわかりますように、旧香月線の起点を表す記念碑となっておりまして、ここから旧香月線が始まっていた事をこの記念碑自体が表している事もわかります。

 
 (起点地の記念碑)
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 旧香月線は、現在中間駅から南方面に走っている道路の部分(筑豊線から分かれるところより先)に存在しておりました。その通りは後述のように「もやい通り」とも呼ばれておりまして、「屋根のない博物館」と言う名称の遊歩道となっております。
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 中間駅南側の踏切よりの撮影です。旧香月線のホームは、画像の右側にあったのではないかと思われますが、そんな面影は残念ながら見る事ができなくなっております。
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 一方、逆方向(直方方)でありますが、旧香月線は画像左側の方向に分かれていたのではないかと思われますが、残念ながら架線柱が設けられている事もありまして、こちらの方も面影は見る事ができませんでした。
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 そんな中でも、画像のようにこうして817系電車が中間駅を発車して行く姿が見られておりました。当然の事ではありますが、旧香月線が廃止された頃はまだ電化すらなされていなかっただけに、廃止からの時の流れを感じてしまうような印象でもありました。
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 さて、旧香月線の廃線跡数百メートルには、先述のように「もやい通り」と呼ばれる通りになっておりまして、その通りには「屋根のない博物館」と呼ばれる遊歩道が設けられております。ここには、「ふるさと」・「やすらぎ」・「古代」・「もやい」の4つの道の愛称が名付けられておりまして、色々なレプリカ石造や緑地帯が見られているなど、廃線跡をこのような形で活用されている事が伺わせております。また、桜の木も歩道・沿道沿いに植えられておりますので、この時期は花見も兼ねて行くのもいいのではないかとも思います。

 

 (中間駅側入口)
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 (「屋根のない博物館」の案内)
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 (レプリカ石造)
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 この「屋根のない博物館」の終点です。両側には道路が整備されている中でのこのような遊歩道は見ていてかつて鉄道が走っていたと言う印象は感じられないほどでした。ちなみに「もやい」と言う名称は、ここでは「結びつき」などといった意味もありまして、かつての炭鉱産業が全盛の頃から仕事仲間や兄弟や姉妹・隣近所同士らで物を「もやい分け」しあっていた事から名付けられたのだそうです。
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 さらに、その「もやい通り」を南下します。この姿を見ましても、かつて線路があったという印象は感じさせられません。本当にその下の画像のカーブを見ますと、もしも線路があったならばいい撮影場所ではなかったのかなと思ってしまう所でもあります。
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 (カーブ)
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 このカーブを過ぎますと、本町交差点、そしてくぼみがある部分には西鉄バス北九州のバス停であります「中間3丁目」のバス停が存在しております。また、このバス停付近にはかつては新手駅が設けられておりましたが、そんな面影は画像を見る限り見る事ができません。
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 (中間3丁目バス停)
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 少しでもかつての面影があるかと思いまして、実際に下に降りても見ましたが、やはり面影は見る事ができませんでした。それほど旧香月線の廃止後に道路の整備が進んでいる事が伺えておりましたし、その下の画像にありますように、橋脚があったと思われた部分も新たに整備し直しておりまして、こちらの方も面影は見られておりませんでした。
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 (橋脚があったと思われる部分)
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 さらに先へと進みますと、筑豊電気鉄道(筑豊電鉄)の路線とクロスする事になります。考えてみましても、かつてこの部分には上下に鉄道が走っていた訳でもありましたが、そんな面影はこれまでと同様、もう見る事ができなくなっております。
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 上の画像の筑豊電鉄との交差している所を過ぎますと、引き続き画像のように道路・歩道化された場所が続きます。これらの画像からは、どこが旧香月線の線路であったかは見ていてわかりにくいようですが、他のHPにありました参考にしております昔の写真によりますと、以下の画像の左側あたりにかつての炭鉱の石炭の積み込み場が存在していたようです。
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 さらに進みまして、旧岩崎駅手前付近になりますと、恐らく歩道部分に線路があったのではないかと思われるようでありまして、それは後述の所を見ますとそう言った所が伺えるようになります。
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 その旧岩崎駅付近に設置されております西鉄バス北九州の岩崎バス停です。このバス停の前には、画像にはありませんがコンビニも設置されておりまして、かつて駅があった部分には変化が生じているようであります。
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 そのコンビニより少々進みますと、より駅があった事が伺える部分が見られました。実際に参考の昔の写真を見て比べて見ましたが、画像のベンチがある辺りに駅舎が、奥に見えております黒色のポールがある所から花壇がある部分にホームが、そして現在歩道がある部分に線路が存在していたようでした。
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 線路はそれから現在の道路がある部分を横切りまして、香月へ向けてさらに進みます。
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 上の画像の逆方向が以下画像であります。よく見ますと奥に旧香月線の黒川に架かっていた橋脚跡が見られます。これまでご紹介しておりますように、かつての線路跡と言うもの自体見る事はできなかっただけに、ようやくここまで来てかつての姿が見られるようになっている事がわかります。
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 奥に橋脚跡が見られると言う事は、手前側にも橋脚跡があるものです。実際に画像のように橋脚跡が見られておりまして、数少ないかつての姿が残っていて良かったと実感する部分でもあります。
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 線路は、画像奥あたりに存在していたようです。尚、橋を渡ったあたりより岩崎炭鉱への引込み線が分かれていたようですが、そういった面影は残念ながら見る事はできませんでした。
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 旧岩崎~旧香月間には、黒川を2度渡っておりました。実際上の画像の対岸に当たります、その2つ目の橋梁の部分にも台座の跡が存在しておりました。それにしても、このようなレンガのタイプこそ、旧香月線が明治41年に開業していた事から、100年以上前にこの橋脚が造られていた証しの部分ではないかと思う所ではあります。
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 さらに進みますが、線路は盛り上がっている部分に存在していたのではないかと思われますが、実際見てみましてもそういった面影は見られておりません。しかし、そういった部分こそ路盤があった事を伺う部分でもあるようです。
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 そこから道路を越えますと、画像のような部分が見られます。実際にここも線路があった場所でもありますが、ここはこのように歩道が中間市と北九州市八幡西区との境目辺りまで見る事ができます。
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 その末端部分です。奥に見えます老人保健施設・グループホームの建物より先が北九州市にあたりますが、その施設がこうして建設されている所を見ますと、廃線跡をうまく活用している事が伺う事ができました。それにしても、逆に言いますと面影もなくなった訳で、これに関しましては仕方がないようにも思ってしまいます。
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 (老人保健施設・グループホーム沿いに廃線跡があります)
 
 その奥へと進みますと、西鉄バス北九州の香月自動車営業所が存在しておりますが、ちょうどこの営業所内が旧香月駅の構内跡にあたります。尚、営業所の上の方には高台があるのがわかりますが、ここはかつては炭鉱の貯炭場が存在しておりまして、ここから下に停車していた貨車に積み込まれていたようであります。
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 所で、この西鉄バス北九州の香月自動車営業所は、横長にある営業所でありますが、この横長の中にバス車両や営業所の社員の方の車が駐車できるようになっております。そんな中にも、その下の画像のように橋脚跡も営業所構内には残されておりまして、細かいながらも旧香月線の跡は残されておりました。
 
 (横長な香月営業所)
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 (橋脚跡)
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 こうして、旧香月駅にやってまいります。旧香月駅も末期は一面一線のホーム配置でありまして、画像の駅板・説明板がある辺りに駅舎があったようでありまして、最後の画像の左側あたりにホームがあったようでした。けれども、そんな面影も全く見られなくなっておりまして、時が経つにつれてかつての事を知らない方が多くなって行く訳でもありますので、そう言った事からこんな所に鉄道が走っていたの?と言う疑問の方が多くなりつつあるのも仕方がないのではないかとも思ってしまうほどではあります。
 
 (駅板)
 
 (説明板)
 
 今回は、かつて存在していた事をわかっていただくべく、旧香月線の廃線跡探訪の話題をご紹介しましたが、この廃止からはもう35年になりますので、そんな面影が見られなくなっている事がご紹介しました画像からもわかるのではないかと思います。それでも、後半の旧岩崎駅より先には橋脚跡や駅板などが残っている部分もありますので、そう言った所がかつてその区間におきまして鉄道が走っていた事がわかる部分なのではないかと思いますので、ご覧の皆様の中でご存知でなかった方も、これで鉄道が存在していた事がわかっていただければと思います。
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