これまでもご紹介しておりますように、福岡県大牟田市の玄関口と言いますと、やはり大牟田駅ではないかと思います。
この大牟田駅は、ご紹介しておりますように、JR九州と西日本鉄道(西鉄)との共用駅でもありまして、基本的に東口がJR、西口に西鉄の駅が設けられております。
尚、かつては東口からも西鉄のホームへ行く事ができておりましたし、乗車券販売も行ってもいましたが、その後廃止されておりますし、それとともに西鉄~JR間の連絡きっぷもその後廃止されております。
現在東口からは、以下画像の連絡通路を使いまして西口にあります西鉄の駅へと行く事ができますし、NO.2240でもご紹介しましたように、JRのホームからでしたら別に西口間のこ線橋がありますので、こちらを利用する事にもなります。
その連絡通路(画像右側)を経ますと、大牟田駅西口にやってまいります。この西口のメインが西鉄の駅となっておりますが、この駅構内にもコンビニも設けられておりまして、通勤・通学時間帯は特に多くの方々の利用者も見られております。
画像が、西鉄電車の時刻表であります。基本的に特急・普通列車が各2本ずつ設定されておりまして、1時間に4本の運行形態となっている事がお分かりいただけるのではないかと思います。尚、普通列車はほとんどが甘木線と直通しますワンマンでの運行、福岡(天神)駅へ運行されます特急列車も専用車両の3000形電車以外にも5000・6000・9000形など各電車でも運行される時もありまして、これらは特急料金は不要となっております。
さて、そんな大牟田駅西口には、平成23年に大牟田市に里帰りしておりまして、今年より大牟田市内を運行されておりました200形電車204号が保存されておりまして、車内も見る事もできております。大牟田編最終回となります今回は、その204号電車に関しまして皆様にご紹介してまいります。
かつて、大牟田市内には西鉄の前身であります大牟田電気軌道と呼ばれます鉄道会社が存在しておりまして、番外などでご紹介しました三池炭鉱の石炭などを運ぶために運行されておりました三池鉄道が大牟田市・熊本県荒尾市をぐるっと大回りしていたのに対しまして、大牟田電気軌道は旭町~四ツ山間の路面区間を運行されておりまして、現在の西鉄バス大牟田が運行します路線バスが走る以前から大牟田市内をカバーしておりました。
昭和16年、大牟田電気軌道は九州鉄道に吸収合併されますが、翌昭和17年に西鉄の大牟田市内線として運行されておりまして、福岡市内線・北九州線・福島線とともに西鉄の路面電車が運行される路線として存在しておりました。
そして、西鉄となりまして昭和18年に大牟田市内の輸送力増強のために200形電車が木南車両で製造されておりまして、翌昭和19年まで計9両が導入されておりまして、画像の204号は昭和18年に製造されました電車でもありました。
以来、大牟田市内を南北に運行されておりましたが、昭和27年に国道の拡幅工事に伴いまして営業を休止する事になりまして、日吉町(久留米市)~福島(八女市)間を運行しておりました福島線に移籍しますが、その福島線も昭和33年に廃止されておりましてそれに伴いまして福岡市内線に移りまして以来昭和50年まで運行されておりました。塗装は、大牟田時代は青色濃淡の塗装でありましたが、福島線に転用されましてからは、西鉄の当時大牟田線(現・天神大牟田線)などで見られておりました、上の画像のベージュとマルーンのツートンカラーに変更されておりました。
そして、この電車は廃車となりますがそれでも解体は免れまして、山口県光市の図書館の児童図書室に活用されておりましたが、車両の老朽化によりまして解体かとも言われていたそうでありましたが、先述のように平成23年に大牟田市に里帰りされる事が決まりまして、その後整備の上、今年からは大牟田駅西口の広場におきまして静態保存されております。
(204号電車についてより)
この電車は、元々から画像のスタイルではなく、後述のスタイルでありました。現在のスタイルは福岡市内線に転用された際に変わっておりまして、それに伴いまして方向幕やワンマン用のスピーカーなどが設けられておりますし、ドアも3扉から2扉となっておりまして、かつての姿とは大きく様変わりしております。
(前面方向幕部分)
(側面方向幕とスピーカー)
台車は画像の通りとなっております。この造りを見ましても当時を偲ばせる所ではありますが、今の台車とは違ったような構造でもありますので、乗り心地はどうであったのかとも思う所ではありましょうか。
車内は画像のようにロングシートでありましたが、片側は図書館時代棚が置かれてもあったようですので座席は撤去されていたようでした。そのため、木製のベンチが設置されているのもわかります。また、先述のように福岡市内線に転用されました際に中央部の扉は埋め込まれておりまして、こうしてみましても面影は見られませんが、上の画像・以下画像の側面を見ますと、かつて扉があった事を偲ばせる部分は見られておりますし、床は板張りともなっておりまして、昔の電車ならではな姿も見られていた事が伺わせております。
(床は木製です)
また、こちらは先述のように福岡市内線転用時に設けられておりました方向幕の跡でありますが、恐らくは手動ではあったようです。ですから、運転士が到着時にいずれかのふたを開けまして、幕を回していたのではないかと思われます。
さらに、つり革でありますが、玉屋の広告が入ったつり革が残されておりまして、当時の面影も残されております。そんな福岡市内にありました玉屋百貨店も平成11年には閉店しておりまして、既に面影も見られなくなっております(現在の跡地は商業施設「ゲイツ」に変わっております)。
(別の位置から)
こちらは、運転台であります。こうして見ましても、見た目はかなりシンプルである事が伺わせておりまして、マスコンとブレーキがより目立ったいるような印象でもあります。また、福岡市内線に転用されました際に設置されておりましたクラリオン製のスピーカーの操作盤もこの運転台におきまして見られておりましたが、この操作盤に関しましても見ていてシンプルである事が伺わせております。それにしても、「CLARION」のロゴの古さが当時をより偲ばせているようにも思います(ちなみに現在は「Clarion」です)。
所で、そんなこの200形電車204号に関しましては、先述のように、大牟田市内線からは、福島線→福岡市内線と運行経歴がありまして、それから廃車されまして山口県光市の市立図書館にて児童図書館として活用されておりましたが、老朽化しましたこの204号を保存させるために「204号の会」という団体が設立されておりました。
以下画像の文では、その「204号の会」の活動あっての部分が見られていたようですが、それが平成23年に大牟田に帰ってきましてから、大牟田市内のうどん店での保存を経まして、大牟田市に寄贈の上、今年この地に移設へと至る事ができた訳ですので、まさに会の皆様の努力あってこそであると言ってもいいのではないかとも思う所ではないでしょうか。
(大牟田市内電車と200形電車の歩みより)
さて、これからご紹介します画像は、車内上部に飾ってあります200形電車204号の姿でありまして、その「204号の会」が所蔵されていた写真ではないかと思われます。まず以下画像は大牟田市内線で運行されていた時の204号でありましたが、当時はパンタグラフではなくトロリーポールとなっておりますし、ドアも3ドア、そして塗装も先述のように青色濃淡の塗装となっておりまして、後述の福岡市内線とは違った姿が見られていた事もわかります。
こちらの画像は、福島線転用時の200形電車204号であります。画像からもわかりますように、塗装がベージュとマルーンのツートンカラーとなっていた事もわかります。また、この時にはヘッドランプが窓上部に移設されておりますし、かつてのヘッドランプが置かれていた部分には行先表示板が置かれていた事もわかります。
さらに、こちらは福岡市内線に転用されていた頃の200形電車204号でありますが、この時には現在の姿となっておりまして、パンタグラフが変わっておりますし、ドアも2ドア化や行先表示器の増設やワンマン化、そしてヘッドランプが再び窓下に移設されておりまして、この時点で大牟田市内線時代の面影も見られなくなっていた事もわかります。
こちらは、光市図書館時代の姿でありますが、平成15年の修復時には以下画像の姿、そして平成22年の時点ではその下の画像の姿と光時代の末期は傷んでいた事もわかります。その後、この電車を大牟田に帰って修復させるために「204号の会」が立ち上げられる事になりましたが、その下の画像の姿から現在に至った訳ですので「204号の会」もまさに救世主であると言ってもいいかと思います。
(平成22年当時)
そして、大牟田に帰ってきた姿が画像の姿でありますが、この時点ではパテや錆の部分を治した所が見られておりまして、しっかり修復が行われていた事がお分かりいただけるのではないかと思います。その後は、一旦大牟田市内線時の塗装であります青色濃淡の塗装に塗り替えられまして、そして今年移設に伴いましてツートンカラーに塗り替えられまして現在に至っております。
この他、この200形電車204号は、ご紹介しておりますように車内も入る事ができておりますが、画像のような観光案内のパンフレットも置かれておりまして、観光客の方にこの電車を見に来たならば他の所にも・・・と言う所が見られておりました。
ご紹介しておりますように、この200形電車204号も、「204号の会」など様々な方の尽力によりまして、現在車内も解放させながら大牟田駅西口におきまして見る事ができております。そんなこの電車も、先述のように光市時代には解体の危機もあったようでもあったようですが、それを免れてこのように里帰りしまして現在に至っている訳ですので本当に良かったとしか言えようなない所ではあります。現在、この電車には電球をとりつけましてイルミネーションも行われているようでもありますが、これからも貴重な電車でもありますので、大切にしていただきたいと思います。
(注)NO.2243からNO.2245となっておりますが、NO.2242とともにNO.2244も「忌番」として省略させていただいております。