番外 過去に見られていた、宮崎地区の近郊型列車たち | コウさんのコウ通大百科 PART3

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鉄道・バスを中心としました記事を毎日更新しています。
(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)
令和6年10月記事より更新は夜間から朝に変更しています。

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 宮崎地区には、特急型の車両を除き、現在以下のような形式の車両を見る事ができますが、
 電車 713系(画像1)・817系(画像8)
 気動車 キハ40系(キハ47・キハ40)
数年前にはこれからご紹介します他の形式の車両も見る事ができておりました。

 まず、これからご紹介します車両は、いずれも平成18年に日豊線の南宮崎駅で撮影していたものでありましたが、この頃は上記の列車とともに見る事ができていたものでもありましたが、これらはその後廃車もしくは転属と言う運命をたどっておりまして、この宮崎地区で見る事はできなくなっております。

 まず、475・455・457系をご紹介します。
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 これらは、かつては本州~九州間を運行していた急行型電車でもありまして、昭和50年の山陽新幹線博多開業後には、九州内の急行として運行されていた事もあり、その後廃止まで夜行として客車のみで運行されていた「日南」・「かいもん」などの昼行列車でも使用されておりました。

 しかし、昭和57年の昼行急行型電車廃止以降は快速「錦江」・「ひむか」(その後それぞれ特急「きりしま」・「ひゅうが」へと昇格)と言った列車以外は、ほとんどは普通列車として使用されておりまして、運行区間も主に鹿児島線大牟田~鹿児島間や、日豊線の大分~西鹿児島(現・鹿児島中央)が運行範囲となっておりまして、平成16年の九州新幹線開業後も、運行範囲が狭くなってもこのように日豊線で見る事ができておりました。

 画像の車両はクハ455形600番台(-602)でありますが、この車両はグリーン車であったサロ455形からの改造でありました。そのため、運転室が大分方に設置しておりますが、窓は画像のようにかつての姿が最後まで残されていました。尚、車内に関しましても、当初はリクライニングシート・乗務員室も残されておりましたが、後に近郊型改造され、セミクロスシートとなり最後まで運行されておりました。実は、私が撮影していた画像も残念ながらこの画像しか残っていなく、正直まだ多く収めていればよかったなと悔やむ所でもあります。
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 次に、キハ31形をご紹介します。
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 このキハ31形は、日南線を中心に使用されていたものでありまして、画像の1両を含めた合計4両が旧鹿児島総合車両所(日南運用)に所属しておりました。

 しかし、この撮影の翌月である平成18年8月に、唐津運輸センター(現・唐津車両センター)からキハ40形の転属により、この車両を含む4両全車が筑豊篠栗鉄道事業部(直方運用~現・直方車両センター)に転属しまして、現在は筑豊線(若松線・原田線)・後藤寺線などで活躍しております。

 これら4両は、一度大分に所属していた後に日南運用に就いたものでありましたが、その大分所属時の名残として、一部が画像のように片側の一部を残しロングシート化されたものでありました(画像は直方転属時撮影)。現在も、直方車両センターに所属している訳ですが、このようにかつて所属時の名残があるものはわかりやすくていいのではないでしょうか。
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 そして、キハ58系をご紹介します。
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 画像の旧鹿児島総合車両所所属車は、九州のキハ58系では臨時列車を除いては、最後まで定期運用を持っておりました。実際、画像の列車は吉都線の普通列車として運行されていたものでしたが、平成12年には同じくキハ58系でこの路線を運行していた急行「えびの」が廃止となりましたので、それから7年もの間にもこうして普通列車としてキハ58系が運行されていたのはよかったと言えましょうか。

 尚、鹿児島所属のキハ58系はセミクロスシートの近郊型改造に加え、ワンマン改造も施しておりましたので、かつての急行の名残は見られなくなっておりましたが、それでも変わらないスタイルは正直ありがたかったでしょうかね。尚、この翌年には全車運用を離脱、廃車となっております。

 そして、こちらの画像は平成24年に宮崎駅で撮影しました717系電車でありますが、この1ヶ月後に宮崎地区から撤退、そして翌25年には鹿児島地区で残った2編成が運用を離脱しまして、この結果九州地区からは撤退となってしまっております。
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 前述の3系列をご紹介しましたこの平成18年は、宮崎地区の流れが変わるスタートの頃だったのではないかと思います。実際にこの撮影の翌月にはキハ31形が直方へ、翌年にはキハ58系が運用を離脱したと言った流れでありましたので、正直私も撮影していてよかったと思っておりますし、さらにその後には717系も撤退してしまう訳ですので、それからしますと大きく車両の変化も生じたのかなと思ってならない所です。とにかく、これらは過去のものとなる訳ですが、これからもこういった車両がこの宮崎の地に存在していた事を覚えていただければとも思いますね。
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