NO.2130 さいかい交通「長崎市コミュニティバス」も運行してます、元炭鉱の島長崎市池島探訪記 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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在住する九州を中心に、鉄道・バスを中心としました記事を毎日更新しております。
(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 当ブログでは、これまでPART1~PART2にかけまして、離島を走ります路線バスに関しまして、実際に出向きましてその模様をご紹介した事がありましたが、この1月に会社の旅行で、上の画像の長崎県の池島に出向いておりました。

 

 池島は、現在は長崎市に属します島でありまして、かつては炭鉱(「池島炭鉱」)が三井グループの三井松島産業によりまして、昭和30年代から平成13年まで存在しておりまして、最盛期には150万トンを超える石炭が採掘されていたとの事でありまして、末期も各地で閉山が相次ぐ中で平成時代まで採掘が行われておりました。

 

 そう言った事もありまして、この島の中には、かつて炭鉱が盛んであった頃には8000人近くの方々が住んでおりまして、その証としまして後述の炭鉱住宅も存在しておりましたが、閉山後には過疎の島となりまして、人口は約150名ほどと非常に少なくなっております。

 

 

 そんな離島でもあります池島に今回初めて出向いておりましたので、ここからはその模様を皆様にご紹介してまいります。尚、今回タイトルにあります「長崎市コミュニティバス(池島線)」は乗車までは至っておりませんが、その概要に関しましても記事内におきまして併せてご紹介させていただきます。

 

 

 まずご紹介しますのは、長崎市にあたります神浦港であります。この地区は、かつては西彼杵郡外海町に属していた地域でありましたが、平成17年の合併に伴いまして長崎市に属するようになりまして、非常に大きな市となりまして現在に至っております。尚、ここには赤の橋が見えますが、ここが国道202号線の「新神浦橋」となっておりまして、その先には白の「荒川橋」、青の「四谷河内(しやごうち)橋」もありまして、「赤→白→青」とトリコロールみたいなつながりもできております(NO.2113参照)。

 

 フェリーの出航まで時間がありましたので、猫の姿を収めておりましたが、神浦港には画像のように複数の猫がおりまして、この時は猫それぞれがじゃれ合う姿も見られておりました。この時は白一色の猫を収めておりましたが、この姿からも見ていてかわいいものです。

 

 

 しばらくしますと、池島からのフェリーが入港してきました。今回乗船しますのは西海沿岸汽船のフェリーかしまでありまして、当ブログでも大瀬戸港撮影時に収めておりました姿をご紹介しておりました(NO.2112参照)。

 

 (平成30年12月、大瀬戸港訪問時)

 

 この船の特徴は、小型車両の場合は画像の位置より出入りする事ができるようになっております。実際に、この時にはワゴン車や軽乗用車がここから乗船しておりまして、普段は前か後のはずであるだけに、それを覆すような姿が見られておりました。

 

 

 さて、フェリーは神浦港を出航しました。所要時間は約30分かかりますが、この日は1月とは思えないほど比較的暖かったですので、その下の客室にいらっしゃった方はそんなにいらっしゃいませんでした。

 

 (客室)

 

 

 さて、フェリーは徐々に池島に近くなってまいりました。よく見ますと、右(北)側にはかつての池島炭鉱の姿が、裏側にもその池島炭鉱関連の施設が見られておりまして、かつて炭鉱でにぎわった島である事を実感させられました。

 

 

 フェリーは、池島港に入港します。この池島港は、昭和30年頃より開発が始まりまして、かつて「鏡が池」と呼ばれる池を整備しまして港の整備を行っていたとの事でありまして、港の中に入りますとかつての池であった部分も偲ばせる事ができます。それほど大型船が来やすいようにするためである事を伺わせる事ができております。尚、この港周りの分にはかつての「池島炭鉱」の姿も見られておりまして、かつての賑やかさを伺う事もできております。

 

 (ここから池島港)

 

 (奥に施設の姿も見られます)

 

 (かつての池島炭鉱)

 

 

 こうして、フェリーは池島港に入港します。よく見ますと「炭鉱住宅」の姿も見られておりまして、鉄筋4階建ての住宅の姿が見られるようになってまいります。こう言った姿を見ますと、まさに炭鉱でにぎわった所である事を伺わせておりますが、現在入居しているのはわずかな数のようでありまして、それほど過疎化・島離れが進んだ事を伺わせてもいます。

 

 

 そんな池島でありますが、現在もコミュニティバスと言う形ではありますが路線バスが運行されておりまして、それが「長崎市コミュニティバス(池島線)」でありまして、現在1路線が運行されております。

 

 この「長崎市コミュニティバス(池島線)」は・・・

 

 池の口~桟橋前~郷東~変電所前~新店街通り~公住入口~グランド前~神社下

 

と、全8つの停留所によりまして運行されておりまして、人口の割には本数も平日11往復土休日8往復と本数も多く確保されております。

 

 (池の口バス停)

 

 (桟橋前バス停)

 

 (時刻表)

 

 

 そんな「長崎市コミュニティバス(池島線)」の運行会社は、長崎自動車(長崎バス)の子会社でもありますさいかい交通が運行されておりまして、当ブログでもNO.2112などでもご紹介しました事業者でもあります。

 

 

 使用車両は、上の画像・後述の黄色のツートンカラーでありますトヨタハイエース(8507)が池島常駐で使用されておりまして、連日神社下~池の口間を運行されております。尚、この車の前にはかつて長崎バスで「らんらん」として使用されておりましたいすゞエルガミオが使用されておりましたし、さらにさかのぼりますと大型車両もこの池島におきましても運行されておりました。ちなみに、検査時には画像のトヨタハイエース(9771)も使用されておりまして、大瀬戸町のさいかい交通本社で常駐している車が池島に渡りまして運行する事になっております。

 

 

 さて、今回池島に訪問していました理由は、「坑内体験ツアー」に参加していたためでありました。この坑内体験ツアーは、池島炭鉱を観光資源として再活用しまして、元炭鉱マンガイドの案内で坑内を探検しまして、炭鉱機器の模擬操作体験などを行う「坑内体験」ができるものでありまして、今回訪問時の午前コースでは私たちを含めまして20名ほどの利用者がありました。

 

 この「坑内体験ツアー」では、必ず画像のトロッコ電車に乗車しまして坑内へと向かうようになっております。このトロッコ電車も、これまでも多くの職員を運んでいた訳ではありましたが、現在は観光客を乗せている訳でもありますので、用途が違いましても運行する機会があるだけでもいいのではないかとも思う所ではないかと思います。

 

 (乗車証)

 

 この体験では、ツアー前に説明、午前コースでは食事をしまして体験ツアーへと向かう事になります。その際には、実際に職員が着用しておりましたヘルメットや電灯を装着しましてからツアーへと向かう事になっております。

 

 

 さて、トロッコ電車に乗車しまして、坑内へと入ってまいります。トロッコ電車に乗車しましての感想は、非常にゆっくりとした速度であった訳ですが、時よりギシギシと音がするなど、正直途中で脱線でもするんじゃないかとさえも思ったほどでした。

 

 (車窓)

 

 

 さて、坑内に入りますと、かつて使用されておりました機械が展示されておりましたり、実際にダイナマイトを入れるための穴あけの体験ができたりと、普段では体験できない事ができておりました。同僚も実際に穴あけ体験をやっていましたが、正直手がしびれるような思いであったとの事であります。

 

 (採掘に使う機械)

 

 (ダイナマイトを入れる穴を開ける機械)

 

 (奥はこんな感じです)~本来は先まで続いておりますが、現在はふさがっております

 

 (斜坑口へと続くレール)

 

 今回往復で利用しましたトロッコ電車の運転台です。恐らく丸い部分がブレーキ、その左側がシフトレバー、丸い部分の右側にありますのが前後行く事ができる逆転器ではないかと思われます。こうして見ますとシンプルさが伺えますが、これも坑内のみの輸送ですので、正直これでも十分なのではないかとも思います。

 

 

 見学が終わりますと、係員の方の案内で池島内を回りましたが、池島港付近にありました炭鉱住宅はまだ新しかった訳でありましたが、北西部にあります炭鉱住宅に関しましては廃墟の姿が見られておりました。かつてはこれまでも多くの方がお住まいになっていた訳ですので、現在さいかい交通が運行します池島内の路線バスもかつては賑わっていた姿も見られていたのではないかとも思ってなりません。

 

 (8階建て?の炭鉱住宅もありました)

 

 (現在は使用されていない事を表す、草に埋もれた炭鉱住宅)

 

 

 この炭鉱住宅から先に、池島炭鉱で犠牲になった方の慰霊碑が、さらにその上にあります展望台からは画像のように第二竪坑まで見る事ができておりまして、上の画像の第一竪坑とともに採掘が行われていた事が伺わせておりました。ちなみに、展望台からは角力灘の姿も最後の画像のように見られておりましたが、実際に美しい姿を収める事ができておりました。

 

 

 所で、池島には現在も炭鉱住宅にお住まいの方もいらっしゃいますので、その方々のために共同浴場も設けられております。かつては多くの方々が利用されておりまして、まさに「裸の付き合い」もあったようでしたが、今ではそのような姿も少なくなってきておりますので、まさにこの共同浴場は貴重な建物ではないかとも思います。

 

 

 さて、池島の桟橋に戻ってまいりましたが、この日の「長崎市コミュニティバス(池島線)」は利用者は数名程度見られておりました。先述のように、炭鉱最盛期には大型バスも運行されていたと言うこの池島ではありましたが、現在はこの島の人口も150名ほど、あとは観光客の方が利用されるかどうかと言う所でもありますので、正直このようなハイエースによる運行も致し方ないのではないかと思ってなりません。

 

 

 こうして、私達はフェリーかしまに再び乗船しまして、NO.2112でもご紹介しました大瀬戸港へと戻りました。それにしても、昨年12月に大瀬戸(板の浦)の方を訪問していた訳でもありましたし、池島や松島にも行きたいなと思ってもいましたが、正直今回の会社の旅行の日程を見ましてあれ?とも思っただけに、まさにラッキーな旅行ではなかったかと思ってならない所でもありました。

 

 

 正直、私自身もこの池島の地に路線バスが運行されている事を存じておりましたので、今回の会社の旅行での池島訪問では正直どんな感じだろうかとも思ったほどでもありました。実際に出向いてみましても、閉山している事もありまして人口も150名ほどにまで減少している訳ですので残念ではないかと思いましたが、それでも平日でも11往復も「長崎市コミュニティバス(池島線)」が運行されている訳ですので、引き続き島民の足としてこのコミュニティバスはいつまでも残していただきたいと切に願う所でもあります。

 

 【参考】

 「長崎さるく」内池島坑内体験ツアー