河野しゅんじのブログ
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寄生虫館&リアス・アーク美術館

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目黒寄生虫館を視察。医師の亀谷了さんが私財を投じて1953年に設立した寄生虫学専門の私立博物館です。世界で唯一とのこと。館内には、国内外から集められた約300点の標本や関連資料が展示されています。






なぜ寄生虫学か? 実は来月、本県で日本寄生虫学会宮崎大会が開催されます。私もレセプションで歓迎のご挨拶をする予定なもので、少し予備知識をと考えての視察。大会で来県される予定の小川和夫館長にもご挨拶させていただきました。

ホームページなどで予めチェックして行きましたが、やはりズラッと並んだ液漬標本の展示、やたら長いのやら、グニュグニュしたのやら、小さいのやら、オドロオドロしいのやらと、とてもインパクトがありました。




 


 


  


  まさに宇宙からの侵略者といったイメージ。


  誤解の無きよう。この「宮崎」は地名ではなく、発見者の宮崎一郎先生にちなんでのネーミング。私も、一瞬ドキッとしました。



この写真は、8.8mのサナダムシ(日本海裂頭条虫)。とても人の体の中にいたとは思えません。その長さを実感できるよう、展示のそばに同じ長さのヒモがぶら下げてありました。わかりやすい(笑)。




見た目は気持ち悪いことこの上ない寄生虫ですし、様々な疾病を引き起こしたりするわけですが、共生と寄生の違い、宿主との関係、その生存のための戦略など、とても興味深い存在です。少しハマってしまいそうな私です。


ちなみに、ネットの情報によると、目黒寄生虫館はデートスポットにもなっているとか。怖いもの見たさなのでしょうか。確かに、私が訪れたときも、若い女性のグループや外国人などが目につきました。


これだけ貴重な内容の興味深い施設なのですが、入館無料。運営費の協力として募金箱が設置されてありました。関係者の情熱に感謝しつつ、敬意を表します。



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目黒区美術館にて、「気仙沼と、東日本大震災の記憶 ―リアス・アーク美術館 東日本大震災の記録と津波の災害史―」展を視察。




気仙沼市と南三陸町の運営するリアス・アーク美術館は、発災から2年が経った平成25年4 月、常設展示「東日本大震災の記録と津波の災害史」を公開しました。
 これは、震災発生直後から学芸員が行った気仙沼市と南三陸町の被災状況の調査、記録活動を基にした展示。撮影した被災現場写真約30,000点、収集した被災物約250点の中から厳選された資料群に、新聞や過去に起きた大津波に関する資料を加えた約500点で構成されています。

今回の企画展は、「東日本大震災をいかに表現するか、地域の未来の為にどう活かしていくか」をテーマに編集された、リアス・アーク美術館の「東日本大震災の記録と津波の災害史」を、東京地区で初めて大規模に紹介するもの。写真パネル約260点と被災物(現物)11点に、関係歴史資料を加えた約400点が展示されています。


生々しい写真には、丁寧な状況説明や撮影者の感想等が付けられ、厳しい震災の現実が、より鮮明に迫ってきます。


また、「被災物」は、現物展示の11点に加え、リアス・アーク美術館に展示されたものの写真が紹介されています。グッと引きつけられたのは、この1つひとつに、鑑賞者の想像を助けるための物語が付されていること。しかも現地の方言による語りの形式で。

これは所有者への聞き取り調査による事実の再現ではなく、執筆者の実体験等から構成した、いわばフィクション。「被災物」を生活の記憶の再生装置と捉え、被災者がその身体で感じた震災被災の主観的感覚を、未経験者にも共感し、共有してもらうための展示とのこと。なるほど。


さらに、〈被災者〉〈ボランティア〉〈震災遺構〉〈支援物資〉といった108の「キーワードパネル」は、震災発生から2年の間に見えてきた課題等を、テキストのみで表現したもの。
これが実に読ませる文章で、鑑賞者に様々なことを考えさせる内容となっています。執筆者の主張が伝わってきて、新聞の記名記事やコラムを読んでいる感覚。大いに感心し、刺激を受けました。

この展示全体を通じて、未来に対する強い責任感、使命感が伝わってきます。この大震災を経験した我々の世代が共有すべきもの。ご尽力いただいたリアス・アーク美術館及び目黒区美術館の関係者に、深く敬意を表します。


東日本大震災から間もなく5年を迎える今、しっかり向かい合うべき展示だと感じました。できるだけ多くの方に見ていただきたいと思い、久々のブログを更新してのご紹介。
http://mmat.jp/exhibition/archives/ex160213

優勝、琴奨菊関!

大相撲一月場所は、琴奨菊関が初優勝!日本出身力士として栃東関以来となる10年ぶりの優勝、大相撲の歴史にその名を刻まれました。誠におめでとうございます!
表彰式での宮崎牛贈呈の場面、とてもうれしそうな琴奨菊関の表情(笑)。贈る側としても、うれしくなります。





すでに横綱3人を破り、最後は大関同士の対決。その豪栄道関戦に勝てば自力優勝という状況で迎えた千秋楽。そのプレッシャーたるやいかばかりかと思われます。花道から姿を現したときから、TVカメラが向けられ、観客の拍手で迎えられと、場内のテンションが一気に上がります。






「三役揃い踏み」の場面。琴奨菊関のゆったりとした力強い体から、気力・体力の充実が伝わってくるようです。負け越しが決まっている豪栄道関も、さぞ難しい立場だったかと思われますが、グッと気合の入った表情、私も見ていてしびれました。











ついに出た、「琴バウアー」! 場内の盛り上がりは最高潮!




見事に勝利し、優勝を決めた直後。観客の声援も拍手も一気に爆発。観客席が一斉にはじけて、場内の空気が沸騰したようでした。これだけの感動!と歓喜!と興奮!の瞬間、そうそう味わえるものではありません。この歴史的な現場に居合わせることのできた幸せを感じたところです。
しかも、10年ぶりの日本出身力士の優勝という<重い扉>を開けたのが九州出身(福岡県柳川市)の琴奨菊関とあって、この点もとても誇らしいこと。






その興奮の余韻を引きずって、表彰式も大いに盛り上がりました。表彰状の文面の冒頭、「あなたは大相撲一月場所でよく健闘し優勝されました。」となっているところ、「・・・よく健闘して優勝し、日本出身力士として十年ぶりの優勝、大相撲の歴史にその名を刻まれました。」と、少々アドリブを入れたところ、場内がドッと沸きました。その後の、「副賞として宮崎牛一頭分」のところと、「みやざき旬の野菜と果実一トン分」のところで、いつものとおり2度沸きますので、場内のお客様にとってもそれなりに印象に残る表彰になったのではないかと思います。
(神聖な土俵ですので、予定外の不規則発言は厳に控えられるべきものではありますが、この程度は、会場を盛り上げるものでもあり、ご容赦いただきたいところ。)


今場所は、昨年に引き続き、前年の県畜産共進会でグランプリを獲得した畜産農家の方を招待させていただきました。宮崎牛の贈呈で盛り上がる国技館を体験して、さらに次への励みにしていただきたいと願っています。





表彰状をお渡しするときも、宮崎牛のブロンズ像をお渡しするときも、琴奨菊関、<顔中笑顔だらけ>のあの表情でニコッと笑ってくださいました。感激です。






故北の湖さんを引き継がれた八角理事長、これ以上ないスタートとなりました。日本人力士の活躍への期待など、ますます盛り上がる大相撲、これからも楽しみです。




国技館入口に、昨年の地方巡業の写真が掲示されていました。ざっとチェックして見つけたのが、宮崎巡業のこんな写真。何やらうれしくなります。



もう一つおまけに「琴バウアー」! 


世界農業遺産!

「高千穂郷・椎葉山地域」が、国連食糧農業機関(FAO)から「世界農業遺産」に認定されました!

「世界農業遺産」(GIAHS: Globally Important Agricultural Heritage Systems、ジアス)とは、FAOが平成14年から開始したプログラム。社会や環境に適応しながら何世代にもわたり発達し、形づくられてきた農業上の土地利用、伝統的な農業と、それに関わって育まれた文化、景観、生物多様性の保全・継承を目的に、世界的に重要な地域をFAOが認定するもの。

15日、ローマのFAO本部にて、GIAHS運営・科学技術合同委員会による最終審査に出席。高千穂郷・椎葉山地域に息づく伝統的な山間地の農林業について、私の方で10分程度、五ヶ瀬中等教育学校6年生(高校3年生に相当)の宮嵜麻由香さんが5分程度、それぞれ英語でプレゼンしました。同委員会による審査を経て、認定証を授与されたものです。





「高千穂郷・椎葉山地域」の特徴は、険しく平地が少ない山間地において、針葉樹と広葉樹で構成されるモザイク林等による森林保全管理、伝統的な焼畑農業、急斜面に築かれた500km超の水路網を有する棚田の米作りなどの複合的農林業システムと、神楽など特色ある伝統文化が継承されていること。


ここに至るまでの経緯としては、まず、昨年10月、農水省内に設置されたGIAHS専門家会議において、国内7つの候補地域の中から、FAOに認定申請する3地域(岐阜県長良川上中流域、和歌山県みなべ・田辺地域、宮崎県高千穂郷・椎葉山地域)が決定され、農水省の承認をいただきました。そして本年1月にFAOに認定申請を行い、5月にはGIAHS科学委員会の現地調査を受けています。


その高千穂町役場で行われた現地調査には私も参加、英語でプレゼンを行いました。また、委員の方々には、高千穂町や椎葉村等の現場を視察いただくとともに、高千穂の夜神楽も鑑賞いただいています。この現地調査を経て、委員から高い評価をいただいたとのこと。






その後、GIAHSのあり方等についてFAO内部でも様々な議論があったようで、なかなか最終審査の日程が決まらない状況が続きました。何とか審査を前に進めていただきたいと考え、9月にミラノ万博で出張した際に、ローマのFAO本部に立ち寄り、幹部に対し直接要請しました。写真左が、担当部長のムジャヘッド・アチョーリ土地・水部長で、右が、FAOのNo2にあたるマリア・ヘレナ・セメドFAO事務局次長。このときも、「高千穂郷・椎葉山地域」の概要について説明したところ、お2人から高い評価と理解をいただき、手応えを感じたところです。



 




その後、各方面から働きかけなどもあり、このたび、ようやくローマのFAO本部で最終審査が行われることとなりました。本県からは、「高千穂郷・椎葉山地域」の地元5町村長や県の関係者など18人の訪問団を編成。成田からの直行便でローマに出発しました。成田空港にて、気合入れの記念撮影。


一緒にプレゼンする宮嵜麻由香さんとは、このときが初対面。一見しておとなしい感じで、幼い印象さえ受けるのですが、話をしてみて驚きました。自分の人生設計が明確で、とてもしっかりした考えを持った優秀な高校3年生です。また、全く物おじしません。高千穂町での現地調査のとき、五ヶ瀬中等教育学校から参加して説明した学生の一人。委員からの評価も高かったそうです。その経験を買われ、若い世代の声を届けるため、最終審査のプレゼンにも参加いただくことになりました。心強いパートナーです。





13時間のフライトを経てローマに到着。ホテルにチェックインした後、外出して軽く食事をとったのですが、何とその後、夜11時頃だったか、ホテルに帰ってきてから、宮嵜さんはプレゼンの練習をしたようです。そこまでやるかと驚きました。

翌14日は、訪問団全員が参加してミーティングを行い、FAOでの審査本番に臨む体制や役割分担、審査結果の日本への伝達方法、マスコミ対応等、当日の段取りを確認。また、本番を想定したプレゼンの練習を行いました。通訳のレイ・デボアさんに英語の発音等をチェックいただきつつ、パソコン操作の要領や、各自のプレゼンの所要時間、宮嵜さんを紹介してプレゼンを引き継ぐ段取りなどを確認。本番を前に緊張が高まります。








英語で10分のプレゼンと言っても、ノー原稿というわけではありません。最初と最後の挨拶の部分や、途中に少し入れたアドリブを除き、手元の原稿を読み上げる形でプレゼンを行います。その原稿は、こんな感じで用意しました。一番上が、審査会場でスクリーンに映し出すスライドで、その説明文として読み上げる英文を中ほどに、一番下にその日本語訳。





原稿は、全体で24ページ。ネイティブスピーカーのデボアさんが英語で読み上げたものを録音したCDを繰り返し聞きながら、また、オーバーラッピングで発音練習しながら、準備をしてきました。いざ正式なプレゼンとなると、アクセントの位置や正しい発音が気になるものです。少しでも心配な単語は、辞書を引いて発音記号をチェックしました。学生時代に戻ったような気分。「Cypripedium(クマガイソウ)」なんて面倒な単語を原稿に入れたのは誰だ?と恨んだりしつつ(笑)。

リハーサルの後、ホテルの部屋で、本番用の衣装として用意した紋付羽織袴を試着。今回、高千穂郷・椎葉山世界農業遺産推進協議会の顧問として参加された田尻隆介さん(高千穂町文化財保存調査委員)は神職。着付けをお願いすることができました。所要時間約20分。私にとって初めての紋付羽織袴です。





今回のプレゼンで紋付羽織袴を着用するというのは私が発案したもの。元々、ミラノ万博のときに、和服姿で日本のふるさと宮崎をアピールできないかと考えていたところ、9月上旬のミラノは、まだかなり暑いことから断念。でも12月のローマなら大丈夫。

加えて、プレゼンの柱となる内容の1つに、この地域の集落の団結力を高めているものとして神楽を紹介するくだりがありました。神楽のときには、氏子総代が紋付羽織袴を着用するわけで、それは神楽が単なる娯楽ではなく、集落にとって神聖な儀式であるということを象徴するもの。プレゼンのときに紋付羽織袴を着用することで、その点を紹介するとともに、和服における男子の第一礼装として、重要なプレゼンに臨む私自身の心意気も併せてアピールできるのではないかと考えたのです。

ただ、貸衣装の手配も現地での着付けの段取りも、現実問題として難しいかなと思いつつ、一応私の思いとして事務方に指示をしたところ、ブライダルハウス島田さんに貸衣装のご協力をいただき、訪問団の中に、着付けのできる田尻さんがいらっしゃったことから実現することとなりました。それぞれのご協力に心から感謝申し上げます。


かなり前のことですが、最初に、この最終審査では各県の知事がプレゼンを行うことになっていると聞いたとき、刈干切唄でも歌ってアピールしたら良いのではないかなどと考えていた私です。もちろん、練習しないと歌えませんけど(笑)。衣装だけで済んで助かりました。


いよいよ当日の朝。試着のときと比べ、いろいろと想定外のこともあったりして苦労もしましたが、何とか準備完了。出発前、ホテルのロビーで、本番用の学生服を着た宮嵜さんと気合入れ。





いざFAO本部へ。何を話していたのか、左の写真、ちょっと笑い過ぎ(笑)。



これが審査会場。今回の審査対象となっていたのは、日本からの3地域とバングラデシュ、インドネシアの計5地域。各地域のプレゼンを行う者が、写真手前側のテーブルに、プレゼン順に一列に並んで座ります。私は、岐阜県、和歌山県に次いで3番目でしたので、中央の座席でした。







これがプレゼンの様子。インドネシアの代表が、スクリーンに向かって右手に設置された演台でプレゼンを行っています。テーブルの奥側や両サイドに並んで座っているのがGIAHS運営・科学技術合同委員会の委員




本県のプレゼンの様子。この部屋に入ることのできる人数が限られるため、本県から参加したのは、地元5町村長と県の担当者ら10人。動画も撮影する必要があるので、結局、カメラ撮影は、写真の心得のある原田俊平五ヶ瀬町長にお願いしました。良い写真を撮っていただき、ありがとうございます!













このプレゼンの直前、「一緒に頑張ろう!」と、宮嵜さんと握手したところ、もう汗でびっしょりになった手。相当緊張しているのかなと思ったら・・・何を何を、実に堂々と立ち居振る舞い、情熱あふれるピーチを行い、審査員のハートを鷲づかみ。立派に大役を果たしてくれました。この最後の写真など、「こちらの計画が大学4年間で私が実行する内容です。」と大きな身振りでアピール。私もそれなりに頑張ったつもりではありますが、もう全て彼女に持っていかれた印象です(笑)。
彼女のプレゼンの指導をした方々がこのときの動画を見たところ、これまでの練習と比べても本番が一番良い出来だったそうです。恐るべし(笑)! プレゼンのときに拍手で迎えられ、会場のみんなが自分の話に耳を傾けてくれているのがわかって、よしやるぞ!と力が湧いてきたと話していました。凄い!
必ずしも英語が得意ではないとのことですが、相当な練習と準備を重ねて、本番で素晴らしい結果を出してくれました。心より敬意を表します。


候補地域ごとに15分のプレゼンが終わると、数分ほど、委員からの質問に答える質疑応答があります。事前の打合せでは、デボアさんに通訳してもらうことにして、また、事務的な内容については、県の担当職員が答える段取り。時間の関係もあり、ほとんど質問はないのではないかと、私も気楽に構えていて、全く準備していませんでした。ところが、岐阜県も和歌山県も、いくつか質問が出され、しかも知事本人が英語で答えておられます。これはいかんと、慌てて方針変更。全て私が英語で答えることにしました。


正確なメモを取っていたわけではなく、緊張していたこともあり、記憶している限りの内容ですが、4人の委員から、およそ以下のような内容の質問をいただきました。
○ 森林管理におけるモザイク林の重要性を紹介してもらったことを評価。日本国内の森林の価値は必ずしも高く評価されているわけではないが、この候補地域のどういう点をもって、国内他地域の森林管理や価値の振興に貢献していくつもりか。
○ GIAHSに認定されて以降の具体的なアクションプランを掲げている点は評価できる。海外に対して、どのように貢献を行っていく考えか。
○ FAOとしては、食糧生産も大きな関心事項である。プレゼンの中では、あまり触れられていなかったが、この候補地域における食糧生産の状況はどうなっているか。
○ 現地調査を行い、この候補地域では、100以上も伝統的な祭りなどが行われていることに感心した。こうした文化的価値について、他の地域にどのように伝えていくか。


 

 



  



英語での質疑応答に四苦八苦しながらも、何とか回答し終えると、委員会の座長を務めるLi教授から「Very good point.」と評価いただくことができました。終わった後は、ドッと疲れが。自分の席に戻ってプレゼン資料を眺めていると、あれだけ練習したこの文章も、もう読み上げることはないのかと、しみじみしてしまいました。


5つの候補地域のプレゼンが終わると、GIAHS運営・科学技術合同委員会のメンバーだけ残して、他の者は退席。委員による審査に入ります。この間、本県の関係者は、FAO本部近くのレストランで昼食休憩。プレゼンを終えて、それまで張り詰めていた気持ちが緩んで、心地良い解放感や疲労感に浸っていました。審査の様子が気になりつつも、食欲モリモリだったのを覚えています。



 



昼食休憩を終えてFAO本部に帰ってくると、少々ただならぬ空気が漂っていました。予定の時間をオーバーしても、審査が長引いていたのです。委員の方々は、昼食をとらずに議論を続けているとのこと。廊下に集まって話をしている何人かの委員がいて、早く部屋に戻って議論を再開しようと呼び戻しに来た事務局担当者と押し問答になるなど、穏やかではありません。
下の写真は、しばらく別室で待機していた我々が、もう頃合いかと思って部屋の前まで来たものの、まだ入ることができず、他の関係者やマスコミ等と一緒に廊下で足止めされていたときの様子。どんな議論が展開しているのか、こういうときは悪い想像が頭を駆け巡るものです。後になって、そのときの事情をいろいろとうかがいましたが、こういう国際機関・会議の運営の難しさを感じさせるものでした。





ようやく審査が終わり、入室が認められました。昼食抜きで議論が行われた会場は、スクリーンに、「認定証授与式」との文字が表示されているものの、華やかな雰囲気というよりは、少し重い空気も感じられました。すぐに審査結果は発表されず、セメドFAO事務局次長により、GIAHSの意義等について延々と説明がありました。
事前の準備やプレゼンの手応えなどから、まあ9割方、大丈夫と思いつつも、委員会の審議が予定を上回って長引いたり、なかなか発表がされない状況があったりしていると、ジワっとプレッシャーを感じました。下の写真の後列は、息をひそめて結果発表を待つ本県関係者。







グラジアノ・ダ・シルバ事務局長により発表された結果は、本県と和歌山県が委員会の全会一致(!)により、岐阜県とバングラデシュの候補地が多数決により認定されました。もう一つプレゼンを行ったインドネシアの候補地は、認定されませんでした。
シルバ事務局長から、額に入った認定証が各地域の代表者に手渡されます。本県の場合、最初に私が受け取ったのですが、やはりプレゼンで大いに存在感を発揮した宮嵜さんも一緒に入ってもらって記念撮影。







授与式が終わった後、関係者で記念撮影。写真右上は、現地調査に着ていただいたFAO科学委員会の阿部健一教授 (総合地球環境学研究所)とヴァファダーリ・カゼム准教授(立命館アジア太平洋大学)。写真下段は、事務方の中心となった農村計画課の河田大輔主幹、通訳のレイ・デボアさん。すべての関係者に感謝です。


 


 



授与式の直後、会場内の通訳ブースから、高千穂町のセレモニー会場で待ち構える関係者に、内倉町長、私の順番に、審査結果を電話連絡。相手方は、JA高千穂地区の佐藤則義組合長。
高千穂町の会場では、電話の音声をマイクを通して会場全体に流し、下の写真のようなことになっていたようです。



 


 


 



電話連絡を終えた後、FAO本部の外で待ち構えた他の訪問団メンバーと合流。審査に臨んだ10人を、拍手で迎えていただきました。結果発表が長引いて、さぞやきもきしたことと思います。再び、FAO本部前で記念撮影。






在イタリア日本大使館で、日本から参加して認定を受けた3地域の関係者による共同記者会見。




 



以下は、この会見で受けた質問と、その場で回答した内容をベースにしつつ、改めて考えを整理したもの。

(質問1)認定を受けた感想をお聞かせください。
河野知事:三点あります。1つには、ほっとした、「安堵」したという気持ちです。これまで地元の皆さまを中心に、認定に向けて取組みを進めてきました。現地調査を経ていろいろと準備を重ね、最終審査に臨む前には、山登りに例えると9合目まで来ていると感じていましたが、実際に決まってほっとしたというのが第一感です。


 二点目は「感謝」です。長年にわたって、山間地域の厳しい環境の中で、このプレゼンでも説明した複合的農林業システムをはじめ、世界的にも価値の認められた取組を保存、継承してこられた地域の皆さんのご努力に対する感謝の思い、そして、全国に先駆けて「フォレストピア構想」を打ち出し、五ヶ瀬中等教育学校を設置してフォレストピア学習を実践してきた、そうした様々な先人の取組みに関する感謝の思いが、湧き上がってきました。
また、FAOや農水省の関係者をはじめ、お力添えいただいた全ての皆様に、心からお礼申し上げます。

 三点目はこれからの「決意」です。このGIAHSのコンセプト自体、世界の農業へ貢献していくことが非常に重要視されています。我々の経験や知識を、世界の農業の振興に向けて、しっかりと生かしていきたいとの決意を固めているところです。


(質問2)具体的に、今後、どのような活動をしていきたいのですか。

河野知事:県内向けと県外向けとあります。
県内向けとして、3点思い浮かんだのですが、まず1点目、この地域は長年に渡ってこのような取組みを保存・継承してきました。この取組み自体に我々は自信を持っておりますが、
本日、宮嵜さんがプレゼンで話をしたように、全国的に地方創生が課題となる中で、現実問題として人口減少が進み、なかなか農林業の後継者がおらず、非常に厳しい状況にあるわけです。そのようなときに、このような世界的な評価を受け、大いに勇気と元気をいただきました。こういうお墨付きを得たことで、自信と誇りを持って、さらなる地域づくりに取り組み、それを次の世代へと確実に継承していきたいと思います。

それから、コミュニティを基盤とした複合経営システムというのは、一つの典型例として、高千穂郷・椎葉山を候補として選びましたが、実は県内全域で多かれ少なかれ行われているものです。今回の認定は、もちろんこの地域の認定ではあるのですが、県民の皆さんにお伝えしたいのは、宮崎の農業なり、宮崎の地域づくりというものが、世界から高く評価されたのだと、これからも自信をもって取り組んでいこうという点です。

 もう一点は、この地域は県内で最も観光客を集める地域でもありますので、このような認定を受けたということが、ブランドイメージをさらに高め、観光面での情報発信に大きな力になるのではないかと考えております。

 県外向けということになりますと、やはり先ほど申し上げました、認定を受けた地域としての貢献を積極的にしていきたいと考えております。国内で、これからも世界農業遺産の登録を目指す地域への情報提供を行ったり、相談に乗ることなどにより、今後GIAHSの理念を広げていお手伝いができれば幸いです。また、海外への貢献となりますと、具体的に決まっている訳ではございませんが、先日ベトナムのある省と農業関係での連携を行っていく協定を結んだばかりです。そのような面でも、我々のこのような知識や経験を生かせるのではないかと考えておりますし、姉妹都市など様々な縁のある海外の地域との交流・連携を通じて、海外へも広がっていく取り組みを進めたいと考えております。


(質問3)FAOの委員の方の反応がございましたら、教えてください。

河野知事:本県はプレゼンの直後に4人の方から質問をいただきました。共通して、この地域の取組みに理解と共感をいただきながらも、それをもってどのように世界に貢献していくか、取組を広げていくかという点について、FAOとして強い問題意識と関心を持っておられるということを実感したところです。
プレゼンの中でもそのような姿勢は強調したつもりでありますが、そのような委員の皆様からの思いを受け止めて、自分たちの地域が良ければいいという考えではなく、しっかりと世界に広げていく努力が求められるものだと感じました。審査が終わった後も、ある委員の方から、これからの貢献を期待していますよ、との言葉をいただきました。





明るい話題の多かった今年を、こうしたとびきり元気の出るニュースで締めくくることができるのは幸いなことです。
認定がゴールではないという意味において、「世界農業遺産元年」という言葉が頭に浮かびました。また、世界遺産と名のつくものは本県初ですから、「世界農業遺産元年」であると同時に、「世界遺産元年」ともなりました。これをしっかり「活用」し、「貢献」していきたいと思います。


17日の昼頃に帰国。私は成田で訪問団の一行と別れて霞が関に直行。その日の午後、森山裕農林水産大臣を表敬訪問。「高千穂郷・椎葉山地域」が世界農業遺産に認定されたことについてご報告し、様々なご指導、ご支援に感謝申し上げました。
森山大臣には、ローマでの最終審査の様子や、宮崎日日新聞のラッピング紙面などによる報道について、また、今回の認定を生かした今後の取組などご説明。森山大臣には、お祝いや評価のお言葉を、さらには今後の取組への期待や激励をいただきました。改めて、今回の認定がゴールではなく、これからがスタートだという思いを強めたところです。




訪問団一行と離れて宮崎に帰ってきたもので、宮崎空港で行われた訪問団の出迎えセレモニーに参加することができませんでした。県の事務方が配慮してくれて、18日の午後、宮崎県庁に登庁したときにプチセレモニー。
<男性ばかりでマッチョなお出迎えですね>と軽口を叩きながら歩いているところですが、GIAHSの認定証を持っている担当課長、河野善充農村計画課長の表情もなかなかいい感じ。よく撮れた一枚となりました。






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