
こんなことも知らなかったなんて
文化の日を控え、郷土の歴史や文化をもっと味わおう!
なんて言葉を思い浮かべながら、ちょっと恥ずかしくなってきました。
なぜ自分は、郷土の歴史や文化に目覚めたのだろう?
と疑問に思うこともしばしばあるのですが、あまり深く考えるとキリがなくなる気がして「親父が、花尾城趾に興味を持ち、いろいろな活動をしていたし、その影響が強いから」等々の言葉で自分を納得させているうちに、いつの間にか、興味津々になって面白くて堪らなくなったのが正直なところ。
さして、深く考えなかったのですが・・
鉄は国家なりと謳われた、この北九州市の黒崎地区で生まれ育った私は、周りの環境が当たり前で、その歴史なんてどこにでもある気がしていたのです。
私の育った本籍地の家から歩いて数十歩のところに「黒崎貝塚」というのがありますが、これも当たり前で、ただ昔からある標識と思ってました。
北九州の副都心と言われていたのですが、この貝塚は縄文時代のもので、環境も温暖で標高5M付近まで海が陸域に侵入していたことの証明だそうですが、そんなことも気にもせずに思春期までここで暮らしていました。
自宅からも遠目で見える城山があって、そこには黒崎城址がありますが、そのことも全く気にせず育ちました。
その城址の町内から通学する同級生もいたのですが、殆ど話題にすることもありまま背でしたので当然興味も惹かれなかったのかもしれません。
今考えれば、近くに異文化の学校があって、子どもたちながらちょっとタブーにしていたのかなとも思います。
花尾城の歴史は12世紀の終わりから16世紀の終わりまで続いていたにも拘らず、この黒崎城は1600年から1615年のわずか15年の歴史しか残っていないかったのであまり地元にも馴染みがなかったのかもしれません。
とは言ってもお城はお城で、地元のシンボルとしてしっかり後世にも繋げないといけませんね。
やはり、出身地のことくらいは聞かれて知りませんでは歴史や文化を継承しましょう!とは言えないですね。
当時のお城の概略図くらいは残っているようなので、宿場町としての歴史も踏まえもう一度学んでみます。
どなた様かが上げてくださった黒崎駅からの散歩コースのように親しめる記録もあります。
地元の歴史や文化の継承も足元から学ばないとですね。
文化の日にちなんで、こんなことも知らないかったと言うことのなき様、真面目にします。




