日々、
衣食住のため、の歩きの足跡をたどりあるく
「横あるき」のFUKUです。
今と30年前以前の変遷を感じながら訪ねあるく
廿日市大野の山の続き(最終回)です。
前回(3回)のルートはこちらから。
高見山、約540mから下ってゆき、
送電線沿い、最終一つ前の鉄塔。
ここまで、送電線が山道の真上に走っているので
迷いがないです、
そこから逸れると急斜面になるのが
地図上でわかります。
長い急斜面、少し九十九状になってはいますが、
それでも、ストックで補うか、このロープをもって後ろ向きで
下るほうが、転倒を防げます。
前に倒れたら、かなり下まで転落もあるような
急斜面。
真砂の滑りやすい道が済み、
急斜面が終わる地点に近くなると、今度は岩を砕いたような
大きめの石が足元となり、これまた歩きに用心。
そこに鉱山跡があります。
3つ見たのですが、
2つ目はとても大きく深く、崩れの危険性を感じる上に、
何か飛び出して来たら怖いなーと。
世界遺産の石見銀山なら、この一番小さいのよりさらに小さな穴でさえ
鉄柵してあったけど、ここはフリー。
ま、めったにこのコースを歩く方がいないのだとは推測できる。
日中戦争時に、金属の需要が増したことで建てた
経緯があるということですが、
ここまで、子供のころは上がってきたことはありませんでした。
上がれなかったというのが正しく、
この先の麓が、シダで覆われて阻んでいたからです。
最後に沢の滝があり、これを跨いでいくと
川になって、時々コンクリートの
段がある。やはりこの辺りシダがある。
薄暗さも
遠い記憶と一致。
平坦になってきて、
鉱山の選別跡への分岐。
石段は宿舎の跡かもしれませんが、
ここからまた標高を上がる必要があり、
今回はカットしました。
あ、車道になる。
と開けたところに
祠と石の仏様。水、枝が活けてある。
ここからは知っている道。
ん十年経てば暗いほど木が茂るわけです。
私有地という看板や細いロープで立ち入り禁止を示している
エリアができていた。
たしか、この先に私がいつも遊びに寄っていた、
水晶探しをしたダムの前にくるはず。
その場所はあった、
でも無かった柵の上に草と蔓の枯れたものがわっさりと覆って、
川べりが見えず立入りができない。
何もなく開けて、向こうの岸、奥の流れと、岩、石、
水、その間で変わった石探しや水の面を見続けた
場所の片鱗もない。
それは裾野の町の変容も同じなので、致し方ないのだけど。
この看板は古いなあ。そのままの記憶。
登山ルート表示はなかったような。
それが倒れていたので、寄りかかるように
立ててみたけど、またすぐ倒れてしまいそう。。
自動車道の下を通過。
上の写真↑車道を進むとより宮島が正面に大きく見える。
下の左右の写真
西国街道・溝の蓋の向こうと、消火栓の右手の道。
それをまっすぐに貫く道が歩いてきた道。
これらの道、アスファルトになったのは、いつからでしょうね。
山陽道の工事が始まったころはもちろん土の道、
田畑と家が点々あったくらいです。
通っていた、東に中学校、西に小学校が見える。
その間に景色を阻むものは何もなかったけど、
宅地に変わった。
地元の大野前空。
ここに駅ができたのも、
山が宅地造成され、新道ができ、更に
新駅ができたのも、成人し住み替えてから。
宮島口駅迄の距離が長く足を鍛えられたものです。
というわけで、JR前空駅に到着です。
地元の学校のすぐ裏山紹介でした。
宮島の厳島神社から記念撮影をしたら必ず見えるその山です。
山向こうの町から峠をこえ、
宮島が見え、沿岸に出るまでのルートのゴール。
いかがでしたか。
宮島から見る風景は、宅地の割合が増え、
数十年での変わりようを感じますが、
変わらないものはないといえど、
変えないでいいものもあるように思います。
※翌2月に、宮島海岸の対岸の最近距離まで歩いている
記事もあります、よかったらご覧ください。













