占い関係や、スピリチュアル関連の記事を一時期チマチマとチェックしていた頃があった。チベット仏教のセミナーにそういう類の人も来ていたし。
その中で大きな要素の占めているものが、この手のものの力を使って金銭的に裕福になろうというものがある。
スピ系は密教的な技法や例えば風水的な技法を通じて、無限に引き出せると考えている。
仏教徒の立場からこれらをどう考えるのかというと、基本的に今世での福徳は、前世でのもの、または今生積んだ福徳によるものとなる。
なんらかの技法を通じて引き出した福徳は、過去世に積んだ福徳を消費しただけだと。
クンサンラマの教えというテキストがチベットに伝わっているが、この中の曼荼羅供養の章に面白い話が書かれている。
とある行者が財神の修行をし、人と話すように財神と話せるようになって、財神がその行者に言ったのは、
「お前は布施をまったくしなかったので、修行の結果を与えてやることができない」と。
またある時、その行者と物乞いが一杯のスープを施された。家に帰ると財神が現れ、こう言った。
「今日、修行の結果を与えたが、気づいたか?」
「ですが、物乞いは全員一杯のスープをもらいました。私だけではありません。あなたからどのような修行結果を得たのかわかりません」と行者は言った。
財神は「スープを貰う時に、大きな脂肪の塊がお椀の中に入っただろう。それは私からの修行の結果だ」と答えた。
複数の現象が絡まりあって、一つの現象がまた生み出されると仏教徒は考える。
まあ、そう考えているだけで、何かと明確にこの世の真実を知っているわけではない。
だから、これはこの行者の結果なだけだと言えないこともない。
ただ、いつも思うのは、財神の修行をして財神と話せるようになるという途方もない修行をするより、金が欲しいなら、バイトでもした方が確実に金を得ることができるようになると思うのだ。
いや、例えば、中国に伝わる風水的な技法を使ってならもっと簡単にできるという人もいるだろう。
私もとあるところから専用の暦を買って、面白い偶然の一致を経験したこともあるが、それでも、望むほどの大きな果報ってのは得られないんじゃないかな~というのが感想だ。
過去と現在には繋がりがあり、現在と未来にも繋がりがある。
いきなり現象が飛躍するような、繋がりのないことって早々起こるものだろうかねと。
正直、こういうのに時間と金を使うのは無駄だと思った。
まあ、雑談の一つ。
ブログタイトル通りの、愚か者の独り言です。