愚者の独り言

愚者の独り言

チベット仏教ニンマ派の実践とシーク教に伝わるクンダリーニヨガを実践する大阪のおっさん。
アメンバーはリアルの友達か、クンダリーニヨガ吉祥寺の生徒さんのみに許可となっております。まずはメッセージで連絡お願いします。

5月に入って1回目のクラスである。

 

今日は吉祥寺でクラスに参加している人がいなかったので、先生のマンツーマンだ。

先生は私の友人のインスタを楽しみにしているようで、友人の話で盛り上がった。

友人はブログはやってないが、インスタをやっていて、そこで食べたものの写真をアップして日記を書いている。

時系列がところどころ入れ替わっているので、気づかなかったが大盛りのカレーを食べた後にラーメンを食べていた。

 

私は友人が一日5食とか6食食っていた頃を知っているので、特に驚くこともないネタだったのだが、先生には大ウケしていた。

東京の教室に通っている人にも大人気なようである。

 

そんな友人だが、とうとう横隔膜辺りの動きが変わってきているそうだ。また、表面的なものが壊れて来ていて、そろそろ内面の動きが出て来る兆候を見せているらしい。

先生曰く、ここが抜けて来ると友人の抱えている腰や背中の問題等が解決していくだろうと。

 

なかなか嬉しいニュースである。

 

内面の動きが出て来ると書いたが、このヨガをやっていると長年抱えてきた精神的なものが噴き出すことがある。

確か先生も何度かブログに書いていたことがあるのだが、イマイチ理解していなかったのか、とあることを思い出して、その記憶と繋がってようやくピンときた。

 

とあることというのは、太極拳時代、そこで仲良くなった鍼灸師の友人ができて、私は当時腰痛持ちだったので、彼の治療院へよく通っていた。

友人だったので、あれこれと質問や要求がしやすくて色々と教えてくれた。

 

そんなある日、「Dondrupさん、色々と胸に抱え込んでますねぇ」と言いながら胸の中央を針を刺して来た。

どういう訳か、何も面白くないのに途端に私は笑い出した。

 

鍼灸師の友人曰く、色々な灌頂を胸に溜めこんでいる人が多いらしく、そこに針を刺すと感情が溢れてきて、泣いたりする人もいるらしい。

私も当時仕事で色々とストレスを抱えていたが、針を刺して出てきて感情は笑いだった。

 

私の場合、針でそういう体験をしたのだが、このヨガでそれを体験する人がいるらしい。

想像だが、ストレスが掛かるようなシチュエーションで人間関係がある以上、気に入らないからといって暴れる訳にもいかないので、我慢するしかないが、その時、体を固めてグッと我慢するしかない。

そうした体を固めてまで我慢したものは、その時だけのものではなく、ストレスは消えることなく体を固めてその場所に存在し続けているのではないだろうか。

その固めた体の力みが、このヨガによって破壊され、抱え込んでいた感情がダムが決壊するかのごとくに溢れるということがあるらしい。

 

また、先生のところでずっとこのヨガを続けていても変化が起こらない人がいるらしい。

私的には残念なことに仏教徒が多いらしい。

理由は仏教を上に見て、このヨガを下に見るからだとか。

多少変化の兆しが見えていても、それに価値を見出さないので、その後の変化がないらしい。

私の場合、確かにこのヨガを下に見ることはなかったなと思う。

というのも、姿勢改善プラス老後に向けた体作りということを考えていたところだったので、普段動かさない部分をひたすら動かすことを要求してくるこのヨガに価値を見出し、特にサットクリヤはこんな動きは日常に全くないので気に入ってしまい、家に帰ってからもこればっかりやっていた。

まあ、おかげで横隔膜の力みが抜けた後の代わりの筋肉を育てることなく横隔膜の力みが抜け初めてしまい、背中が痛みだし、知識の無かった私は病気になったと思ったりしていた(笑)

そんな感じだったので、キルタンクリヤで眼球が動きだすのも早かったので、そこでのめり込んでしまった。

 

このヨガを下に見なかったのは、その他にも理由がある。

私はチベット仏教以外にもテーラワーダ仏教も学んだことがあるし、真言宗や修験道でも伝授を受けたことがあるが、そんな自分がチベット仏教を選んだのは単に好みの問題でしかない。

他のチベ友と話していると、そんな考えを持つ私に、チベット仏教が一番優れた教えで、テーラワーダ仏教とか日本仏教は劣っているんだということを延々と話してくる友人もいた。

テーラワーダ仏教の人と(身分を隠して)話していると、テーラワーダ仏教こそが本当の仏教で一番優れた教えと言ってきたし、真言宗の友人と話していたら、真言宗こそが本来の密教の教えや伝統を残していると言われたこともあった。

 

私から見ると、そういう人たちは、その伝統の好きな部分をやりたいからやっているだけで、正しさを証明してくれる人はいなかった。

仏教なんて根付いた土地で必要とされた形で変容していったものなので、その地域に適した形になる。

そうするとその地域の人たちにとってはそれが一番正しいものと感じられるものだ。

 

宗教のどっちが上かなんて、こういうことを頭にいれておかないと、カルト宗教みたいになってしまうから、私は好きな話じゃない。

 

 

 

練習開始

 

以前までの自主練はこのヨガをやるのに必要な筋肉を育てるビック7を中心にやっていてが、最近はクリヤばかりやっているので、以前やっていたビック7はやらなくなっていたが、久しぶりにいくつかのメニューをやったが、多少の衰えを感じる。

クリヤだけじゃなく、ビック7も必要かなと思った。

 

Surya Kriya

 

楽なのと一つ目の呼吸法でプラーナが感じられるのでお気に入りのクリヤだ。

いつも思うのだが、プラーナの集中ということを味わいたいので、一つ目の呼吸法が一番目ではなく後半にあってくれたらもっと感じやすくなるのではと思うのだが、一番目に来るというのは何らかの意味合いがあるのだろう。

個人の好みで勝手に順番を入れ替えたら碌なことにならないだろう。

 

あとは最後の瞑想がムルバンダを掛けっぱなしで行うのだが、前回はムルバンダの感覚が褌を締めた感じになって、ずっとかけ続けれたが、今回はその感覚を忘れてしまったようで、ムルバンダのかけっぱなしが上手くいかなかった。

 

まあ、練習を続けて身に付けていくしかあるまい。

 

 

 

 

練習のことはほとんど書かなかったが、今日のところはだいたいこんな感じだったかな。

 

最後にゆかりんの動画を見て、終わりましょう。

さよなら、さよなら、さよなら。