今日(12日)の朝日小学生新聞、天声こども語の話題は、エッフェルであった。
エッフェル塔を作ったフランス人建築家である。
アメリカの自由の女神像の骨組みも、エッフェルが作ったのだという。
エッフェル塔のエッフェルが、設計者の名前だとは知らなかった。
建築物に設計者の名前をつけることは、あまりない。
東京タワーの設計者は内藤多仲氏であるが、内藤タワーとは呼ばれない。
東京スカイツリーの設計者は吉野繁氏であるが、吉野タワーとは呼ばれない。
大阪万博のときに作られた太陽の塔は、岡本太郎の作品として有名であるが、誰も岡本塔や岡本タワーとは呼ばない。
塔に名を残すほどのエッフェルとはどんな人物なのか、気になったのでWikipediaで調べてみた。
アレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェルは、1832年12月15日、フランスのディジョンに生まれた。
中学卒業後、エコール・ポリテクニーク(理工科学校)の受験に2度失敗し、エコール・デ・サントラル(中央工芸学校)に進学する。
なお、エコール・ポリテクニークはフランスの理工系学校の名門であり、カルロス・ゴーンも卒業生であるらしい。
化学工業で成功を収めていた伯父による影響で化学を専攻したが、父と伯父が疎遠になり、卒業後は義弟が経営する鉄鋼所に就職する。
1856年(23歳)、鉄道資材建造業シャルル・ネブザーと出会い、土木技術を修得し、鉄橋の設計などに従事する。
1866年(33歳)、独立してエッフェル社を創業し、ヨーロッパ各地、中国や東南アジアで駅舎、橋梁など、鉄骨造の建築物を作る。
この時代はまだ、旧来の石造建築を尊重して、鉄を建築に利用することに反対する人々も多かったが、エッフェルは、建造物の形態はその機能を表すものであるとする機能論をもって反論した。
1889年3月(56歳)、革命百周年記念となるパリ万国博覧会のモニュメントとして、エッフェル塔を建造する。
多くの経験の中で風に対する問題を認識しており、1903年(70歳)、風の制御に関する研究を始める。
この研究は、航空機の進歩に大きく貢献するものとなった。
エッフェル自身も、L.E(ラボラトワール・エッフェル)と名づけられた航空機の設計を手掛けた。
1923年12月27日、91歳で死去。
1996年に発行された200フラン紙幣には、エッフェルの肖像とともに、エッフェルが手掛けたガラビ橋とエッフェル塔が描かれている。
以上がエッフェルの略歴である。
エッフェルの最大の業績は、建築資材として鉄の活用を広めたことである。
現在では至る所で鉄塔を見かけるが、当時としては画期的なことであったようである。
世界中のすべての鉄塔は、エッフェル塔の子孫なのである。
普段気に留めることのない、いやむしろ邪魔にさえ感じている鉄塔も、そう思って見てみると素敵なものに見えてくるかもしれない。
今度、エッフェルの業績を思いながら送電線の鉄塔を見上げてみようと思う。