ことのは学舎通信 ---朝霞台の小さな国語教室から---

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考える力・伝える力を育てる国語教室 ことのは学舎 の教室から、授業の様子、日々考えたこと、感じたことなどをつづっていきます。読んで下さる保護者の方に、お子様の国語力向上の助けとなる情報をご提供できたらと思っております。

 朝日新聞土曜版「be on Saturday」に、「街のB級言葉図鑑」というコラムがある。

 三省堂国語辞典の編集者の飯間浩明氏が、街で見つけた気になる言葉について、写真と共に紹介する、という欄である。

 わたしは、言葉を仕事道具としている身として、また、辞書を愛好している身として、毎週興味を持って読んでいる。

 勉強になることが多く、このブログでも時々紹介している。

 

 今日(27日)は、「地震に強い水道管にとりかえる工事を予定しています」という看板を採り上げていた。

 この、ごく当たり前のことが書かれた看板のどこが飯間氏は気になったのか。

 飯間氏は、「分かりやすい文面に感心しました」と書いている。

 飯間氏は、同様の内容を「耐震管布設替工事を行なっています」と表記した看板もある、と紹介している。

 なるほど、分かりやすさの違いは一目瞭然である。

 

 日本語を母語として漢字に慣れ親しんでいる日本人の大人であれば、「耐震管布設替工事」でも分からないことはない。

 しかし、近年日本には多くの外国人も生活している。

 「耐震管布設替工事」で、どれだけの人が理解できるであろうか。

 「地震に強い水道管にとりかえる工事」の方は、「地震」「強い」「水道管」も、子どもでも知っているような簡単な単語である。

 そのうえ、この看板はすべての漢字にルビがふってある。

 より多くの人に理解してもらおう、という意識が、明確に表れている。

 みんなに理解してもらえなければ、看板を立てる意味がない。

 「地震に強い水道管にとりかえる工事を予定しています」という看板は、実に誠意のある仕事である。

 わたしたちは、自分が分かっているから他の人も分かると思って、つい分かりにくい言葉を使ってしまう。

 難しい言葉を使った方が賢そうに見える、という気持ちもあったりする。

 反省しなければならない。

 

 この、分かりやすい看板にも感心したが、この看板を気に留めた飯間浩明氏洞察力にも感心した。

 わたしは、おそらく自分がこの看板を見ても何とも感じないで見過ごすだろう。

 一流の辞書編集者は、アンテナの感度や目の解像度が違うのである。

 わたしも、仕事で言葉を扱う人間として、身の回りの言葉にもっと注意深くならなければならない。

 飯間氏のコラムを読むたびに、反省している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ことのは学舎の中学生クラスで、ときどき『10代のうちに考えておくこと』(香山リカ著、岩波ジュニア新書)を教材として使っている。

 大人の入り口にいる中・高生にむけて書かれた、人間関係、社会、仕事などについて考えてみよう、という本である。

 今日は、「父親がリストラされとき」という章を読んだ。

 こんな内容である。

 

 知人の父親がリストラされた。

 父親はすることがなくなり、毎日ぼんやりと過ごしており、家族も不安になっている。

 2週間後、その知人に父親の様子を尋ねると、毎日元気に過ごしているという。

 父親は以前からやりたかった英語の勉強を始めて、海外旅行に行く計画を考えているという。

 日本の大人は、仕事がすべて、という人が多い。

 仕事だけが人生ではない。

 自分のやりたいことをやって自分らしく生きれば、楽しく過ごせるのである。

 

 自分のやりたいことをやろう、という考えには多いに賛成できる。

 働くためだけに生きるのはつまらない。

 そんな大人ばかりでは、子どもたちも将来に希望が持てない。

 その一方で、この文章を読んで気になったのは、お金を稼ぐ手段のことである。

 この知人の父親が、リストラされたあとどうやって生計を維持したのかは書かれていない。

 リストラされたときにいちばん大切なのは、やはり、生きる手段である。

 好きなことをやって、それが収入につながればよいのだが、なかなか難しい。

 

 わたしの教室の中学生たちは、まだ生計を立てる、ということにまで十分に考えが及んでいなかった。

 皆、好きなことをやって生きたい、とは言うが、お金を稼ぐことの大変さは、少しも知らない。

 こればかりは、現実社会の荒波にもまれて身に付けていくしかなさそうである。

 夢と現実の間で、うまく折り合いをつけて生きていってもらいたいものである。

 まわりの大人たちも、良くも悪くも、見本になるような生き方をしなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ティム・オブライエン『まちぶせ』(村上春樹訳)を読んだ。
 ベトナム戦争の時に敵兵を殺した体験を記した、自伝的小説である。

 9歳の娘キャスリーンに、お父さんは人を殺したことがあるのか、と尋ねられる場面から始まる。
 「私」は、「まさか、殺してなんかいないよ」と言って、娘を膝の上にのせる。
 そして「私」は、いつか成人した娘が同じ質問をしてくれたら、と思いながら、この短編を書いた、という設定である。
 ベトナムで従軍していた「私」は、陣地の茂みの中で敵を待ち伏せしている。
 朝霧の中、「私」の前を、敵の若者が待ち伏せに気づかずに通り過ぎる。
 「私」は、手榴弾で若者を吹っ飛ばし、殺す。
 「私」は、今でもひとりでいるときに、朝霧の中からその若者が現れるのを見ることがある。

 それだけの小説である。
 内容としては、戦争で人を殺した記憶がいつまでも心の中から消えない、というそれだけのことであるが、娘の、お父さんは人を殺したことがあるのか、という質問がよく効いているようにわたしには思える。

 わたしにも娘がいる。
 この娘の存在は、わたしの行動にひとつの規範を与えている。
 娘の前で胸を張って言えないことは、やってはならないと思うのである。

 兵士は戦争で人を殺すのが仕事である。
 たくさん殺せば、英雄になる。
 戦争とは、そういうものである。
 しかし、娘に、人を殺したことがあるのか、と聞かれたら、娘を持つ親はだれもオブライエンのように嘘をつくであろう。

 オブライエンベトナム戦争に従軍していたのは、21歳から23歳までの2年間である。
 まだ結婚もしていないし、子どももいない。
 もし子どもがいても、戦場で人を殺せただろうか。
 生きて娘のもとに帰るためには、敵を殺さなければならないのかもしれない。
 娘に尊敬される父でありたいと思えば、殺さないかもしれない。
 敵兵にも、父の帰りを待っている娘がいるかもしれない、と思えば、殺せない気がする。
 敵兵にも、息子の帰りを待っている父と母がいるはずである……。

 実際には、わたしが兵士として戦場に行く可能性はきわめて低い。
 むしろ戦場に行かなければならないのは、娘である。
 女性も兵役に就く、というのが、現代の世界の流れである。
 (イスラエルでは女性も徴兵の対象である)

 もし娘が戦場に行くことになったら、わたしは娘に、絶対に殺すな、と言えるだろうか。
 敵を殺してでも、娘が生きて帰ってくることを望みそうである。
 親子の情の前では、論理や道徳は無力である。

 戦争は、人殺しである。
 祖国を守るためならば人を殺してもよい、という道理は、受け入れられない。
 殺されるのもいやだが、殺すのもいやだ。オブライエンのリアルな描写を読むと、つくづくそう思う。
 そんなことを考えている間にも、ウクライナガザで多くの人が殺されていると思うと、やりきれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 将棋名人戦第2局藤井聡太名人豊島将之九段の対局が、先ほど終わった。

 藤井聡太名人の逆転勝ちであった。

 現在も感想戦が続いており、わたしもネット中継で観ながらこのブログを書いている。

 

 将棋や囲碁で行われる感想戦というのは、面白い習慣である。

 ルールで定められているわけではないので、必ず行わなければならないわけではないが、プロの対局では毎回熱心に行われる。

 対局時に問題となった局面について、指されなかったプランB、プランCについて、対局者同士で検討するのである。

 藤井名人感想戦は、相手が2度負かされる、といわれている。

 実際に指したプランAで敗れ、感想戦で、プランBでも負けていたことを知らされるのである。

 結局勝ち目がなかった、という事実をつきつけられるのはつらい。

 

 今日の名人戦第2局感想戦はまだ続いているが、挑戦者にも勝てる手順があったようである。

 示されたプランB、プランCに、名人が悩む、という場面が多い。

 こういう場合は、勝者もつらい。

 自分が負けていたかもしれない、という事実に向き合わなければならない。

 敗者も、勝てる勝負に負けたことを知り、悔しさは倍増する。

 感想戦は、勝者にも敗者にもつらい行為である。

 勝者は、勝った余韻のままで祝杯をあげたほうが、楽しい。

 敗者は、いちはやく誰もいないところで泣いたり、次の対局に向けての対策を練ったりしたいはずである。

 それでも、感想戦を行うのが、将棋や囲碁のよいところである。

 ほかの競技で、決着がついたあとで勝者と敗者が一緒に反省会をやるというのは聞いたことがない。

 

 対局時に指されなかった手を検討するのは、相手に手の内をさらすことになり、相手を利する行為である。

 感想戦の時に、全然分かりませんでした、ととぼけて手の内を明かさずにおいた方が、絶対に得である。

 それでも手の内を明かすのは、お互いに手の内を知った上で最高の戦いをしたいからである。

 棋士は、だまし討ちのような勝ち方を喜ばない。

 そこには美意識がある。

 両者がすべてをさらけ出し、全力でぶつかり合ってはじめて最高の対局が完成するのである。

 

 この、感想戦のようなシステムは、学校教育にも導入すべきである。

 試験に導入すれば、勉強のやり方が変わると思う。

 試験の前に、出題者がどのような能力を測るためにどのような出題をするかを明かしておく。

 受験者は、出題者が求める能力を身に付けるために、事前に十分に勉強する。

 前もって問題が分かっていれば簡単に得点できるような問題は、出題できない。

 出題者も受験生も、しっかりと考え抜いて試験に臨まなければならない。

 

 一部の中学入試では、このようなことが実際に行われている。

 スクール説明会の時に模擬授業を行ない、入試で出題されるテーマが提示される。

 受験生は、試験当日までにそのテーマについて深く勉強してくることになる。

 大学入試でも、そのような出題がある。

 法政大学の日本文学科の小論文は、事前に課題図書が知らされる。

 受験生は、その課題図書を十分に読み込み、考えて試験に臨むのである。

 たまたま勉強したところが出て高得点が取れた、ということがなく、公平なシステムである。

 出題者が意表をついたり、受験生がヤマを張ったりするのは、真の学力を測るうえで正当なやり方ではない。

 

 試験も将棋も、正々堂々と実力をぶつけ合えることが理想である。

 

 昨日(22日)の朝日小学生新聞1面は、「新茶の季節 お茶ができるまで」という記事であった。

 今年は5月1日が八十八夜にあたるそうだ。

 

 記事には、おもなお茶の産地と2023年の生産量が紹介されていた。

 生産量第1位は、静岡県静岡茶の27200トン、第2位は鹿児島県かごしま茶の26100トン、第3位は三重県伊勢茶の5220トンであった。

 京都府宇治茶は2640トンで第5位、埼玉県狭山茶は793トンで第8位であった。

 

 わたしの出身地の三重県は、お茶所としての知名度は低いが、宇治狭山より上位であるのは、意外であった。

 たしかに、思い出してみると、わたしが子どもの頃、家ではいつも緑茶を飲んでいた。

 わたしも、小学生の頃から自分で急須で入れていた。

 最近は、ペットボトルか粉末の茶ばかりで、茶葉から入れることはほとんどない。

 今は埼玉に住んでいるけれど、意識して狭山茶を飲んだことはない。

 

 娘が修学旅行先の京都でお土産に宇治茶を買ってきた。

 昔ながらの円筒の缶に入っているやつである。

 早速、久しく使っていなかった急須を食器棚の奥から引っ張り出して、入れてみた。

 急須にお湯を注いだ時に立ち上る香りは、ペットボトルや粉末とまったく違っていた。

 娘は、学校の家庭科の時間に急須を使ったお茶の入れ方を習ったことはあったが、実際に自分で入れて飲むのは初めてであった。

 お湯を注いでからの香りを嗅いだり、茶葉が広がる様子を観察するのは、理科の実験のようで面白かった。

 娘と二人でお茶を飲みながら、修学旅行の話などして、楽しいひとときであった。

 急須でお茶を入れるのは手間もかかるし洗い物も増えるけれど、その手間も含めて、いい時間だった。

 これから、ときどきやってみようと思う。

 

 今の子どもたちは、急須を知らない子が多い。

 ことのは学舎「説明ゲーム」という、カードに書かれたお題を言葉で説明して当てる、というゲームをやるのだが、急須は見たこともない使ったこともない、という生徒が大半である。

 急須トングより認知度が低い。

 

 以前ことのは学舎抹茶を楽しむ会をやったことがある。

 苦くて飲めないかと思ったら、意外と好評であった。

 コロナのせいで飲食物を扱うイベントはずっと中断していたが、そろそろ再開しようと思う。

 再開後の第一弾として、急須でお茶をいれて飲む会、をやってみようかと、今思いついた。

 イベントとしてでなく、日常でも子どもたちが急須でお茶を入れて飲んでいる国語教室というのも、なんかいい感じである。

 

 教室用に急須と、すこし上等のお茶を買ってこようと思う。

 子どもたちには、何でも本物を教えたい。

 

 

 

 

 

 長崎源之助「焼けあとの白鳥」(学校図書『読んでおきたい6年生の読みもの』所収)は、こんな話である。

 

 戦争が終わり復員したわたしは、ヤミ市で古本を売りながら童話を書いていた。隣で浜さんという薄汚い男が、修理した三輪車や蛙や蛍を子供に売っていた。タダ同然で仕入れた物を売る、利ざやの大きい商売を自慢しており、わたしは不快に思っていた。
 浜さんは、プールを作って開業した。入場料を安くし、腹が減った子供が買う飲食物代で儲ける仕組みであった。小学校前で交通整理をして、大人の信頼を得つつ子供に顔を売ってプールの宣伝もするという、ずる賢いこともした。
 浜さんが交通整理中に車にはねられて死に、わたしは浜さんの家に弔問に行った。粗末な家の裏のプールに白鳥が浮いている光景が美しかった。白鳥だと思ったのは実は、輪投げに使うアヒルのおもちゃだった。浜さんは他にも子供相手の事業を計画していた。
 浜さんは戦争で妻と小学生の子供を亡くしていた。浜さんの仕事はすべて、戦後で楽しみの少ない子供たちを喜ばせるためのものであり、そのために大きな借金を抱えていた。
 わたしの童話なんか、この美しい光景や浜さんの夢にくらべたら、たわいないものに思えた。

 

 浜さんは偽悪者である。

 子ども相手に金儲けを企む悪党を装っているが、本当は、子どもたちを喜ばせるために身銭を切る、子ども好きのお人好しである。

 わたしは、子ども相手の業界で長く働いているので知っている。

 いわゆる教育産業には、この浜さんとは正反対の経営者が多い。

 子どものため、と言いながら、実は子どもや保護者を騙して儲けることばかり考えている人たちである。

 

 自分で起業してみてつくづく感じるのだが、教育営利は相性が悪い。

 子どもたちのため、を考えれば考えるほど、採算が取れなくなる。

 事業として持続できなければ意味がないので、利益のことも考えなければならない。

 浜さんのように自分を犠牲にすることは、わたしにはできないけれど、ことのは学舎は、子どもたちの幸せ第一利益第二、を貫きたい。

 子どものためになる仕事をしていれば、利益はあとから付いてくると、信じている。

 

 浜さんの仕事も、不慮の事故がなければうまくいっていたと信じたい。

 

 働くことの意味について考えさせてくれる作品である。

 

 

 

 娘が修学旅行から帰ってきた。

 いちばんの思い出を聞くと、最終日の夜にホテルで徹夜したことだという。

 徹夜で何をしたか。

 トランプやUNOではない。

 枕投げでもない。

 中学女子らしく、恋バナ、でもない。

 人間関係のトラブルで悩む友達の、相談相手になっていたという。

 

 いつも学校で仲良くしている友達でも、24時間朝から晩まで行動を共にしていると、嫌なところや合わないところが見えてくる。

 お泊り行事では、かならず人間関係のトラブルが発生するという。

 自我の目覚める年頃である。衝突があるのは当然である。

 

 娘は、泣きながら苦しみや怒りを訴える友達の言葉を受け止め、一緒に苦しみ、一緒に怒り、ときに励まし、朝を迎えたらしい。

 先生は介入して仲裁したり、見回りをして早く寝るように指導したりは、しなかったという。

 自分たちで解決することを期待していたのであろう。

 

 小さな液晶画面の中で言葉だけで伝え合うのと、同じ空間で声や表情に触れながら話し合うのとは、コミュニケーションの密度が違う。

 分かり合う深さが違う。

 AIには、人の悩みを受け容れることも、人間関係のトラブルを解決することも、できない。

 娘たちにとって、この修学旅行は大きな学びになったにちがいない。

 神社仏閣や名所旧跡を見て回るより、はるかに大切なことを学んだ。

 

 娘は、月曜日に学校に行くのが、気が重い、と言っている。

 大人になればいい思い出になるのかもしれない、とも言っている。

 楽しいことばかりでない、いい修学旅行だったようである。

 

 今日(20日)の朝日新聞土曜版be on Saturdayの、「街のB級言葉図鑑」は、1文字の略語を採り上げていた。

 飯間浩明氏が渋谷の駐車場で見た「ハチポ」という看板について、この「ポ」がすぐに「ポイント」だと分かったことが不思議だという。

 飯間氏は、「ポ」1文字でポイントを表す例がいつの間にか増え、おなじみになっていた、と述べ、同様の例を挙げている。

 東京メトロの「メトポ」、東武グループの「トブポ」、三鷹市の「みたポ」、泉佐野市の「さのぽ」、広島広域都市圏の「としポ」などである。

 カタカナ1文字で表す略語として、「パーティー」「パ」があることも指摘している。

 「タコパ」(たこやきパーティー)、「ピザパ」「ギョーザパ」など。

 

 言われてみれば、1文字まで縮めても元の言葉が分かるのは不思議である。

 「パ」に関しては、「パフォーマンス」の略の場合もある。

 「コスパ」「コストパフォーマンス」の略、「タイパ」「タイムパフォーマンス」の略であるが、「パーティー」と間違えることはない。(注:日本大学アメフト部の寮では、「タイパ」は「大麻パーティー」の略である。)

 なぜ1文字で通じるのか。

 1文字に省略できる語彙に法則性がないか、考察してみた。

 以下はわたしの考察である。

 

 「カード」は、「カ」と省略できる。「クレカ」(クレジットカード)、「テレカ」(テレフォンカード)など。

 「ペーパー」は、「カンニングペーパー」「カンペ」と略されるが、「トイレットペーパー」「トイぺ」とは略さない。

 

 パ行の音は、1文字に略されることが多い。

 「ブラッド・ピット」(アメリカの俳優)→「ブラピ」

 「オーケストラピット」「オケピ」

 「コピー&ペースト」「コピペ」

 ※「プ」と略される言葉は思いつかなかった。「算数プリント」「算プリ」「誕生日プレゼント」「誕プレ」と略すが、「算プ」「誕プ」とは言わない。「クリスマスプレゼント」は、「クリプレ」とさえ言わない。

 

 地名は、1文字に略されるものと略されないものがある。

 「南アフリカ」「南ア」と略されるが、「南フランス」「南アメリカ」はそれぞれ、「南仏」「南米」である。

 「南浦和」「南う」「南浦」とは言わないし、「南越谷」「南こ」「南こし」とも言わない。

 

 「ポテトチップス」「ポテチ」と略されるが、「ポテトサラダ」「ポテサ」ではなく「ポテサラ」である。

 「ファミリーマート」「ファミマ」と略されるが、「ファミリーマートのチキン」「ファミチ」ではなく「ファミチキ」である。

 ※ローソンのチキンは「からあげクン」である。「ローチキ」とは言わない。

 

 「大学入試共通テスト」「共テ」と呼ばれているが、「センター試験」「セン試」「センタ試」とは呼ばれなかった。

 

 思いつくものを挙げてみた。

 こうして見てみると、1文字に省略する語彙に法則性はなさそうである。

 飯間浩明氏が言うように、「おなじみになっていた」と考えるのが適当である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この写真の出典が何か、分かりますか。

 グルメ雑誌か、旅行ガイドか、はたまた、フードコートの看板か。

 正解は、中学校英語の教科書でした!

 

 朝霞市の市立中学校が採用しているNEW HORIZON中2のUnit2は、「Food Travels around the World」という単元である。

 その扉にあるのが上の美味しそうな写真である。

 内容は、フィリピン出身のジョシュがアサミにおいしいカレー屋さんを教えてもらい、一緒に行く約束をするところから始まる。

 その後、日本のカレーはインドから入ってきたのではない、という話題になる。

 インドからカレースパイスを輸入したイギリスで、簡単にカレーが作れるミックススパイスが売り出され、それを輸入した日本人が小麦粉を入れてとろみをつけて、日本のカレーになった。

 スパゲティ・ナポリタンは、イタリアから入ってきた日本人がトマトソースで調理して、「ナポリタン」と名付けた。

 カリフォルニアロールは、生魚が苦手なアメリカ人のためにアボカドを使い、のりが苦手な人が多かったのでごはんを外側にして巻いた。

 などなど、外国から入ってきた日本食、外国に出て行った日本食が紹介される。

 

 読んでいて面白いし、美味しそうな写真も多くて楽しい。

 わたしが中学生のころの英語の教科書は、もっとつまらなかった記憶がある。

 いかにも、英語の勉強のための教材、という感じで、読んで楽しい要素はなかった。

 今の英語は、英語を通じて楽しい話題に触れよう、という意識が現れている。

 よいことである。

 語学の勉強は、それ自体が目的になってはいけない。

 伝えたいこと知りたいことがあり、伝えるため知るために言葉を学ぶ、というのが、語学の本来の姿である。

 

 本文の後の演習には、好きな食べ物や好きなレストランを英語で紹介しよう、というアクティビティもある。

 生徒たちが、どんな食べ物やどんなお店を紹介するのか、授業を見てみたいものだ。

 ついでに、外国人英語教師が家庭科の調理実習などもやったらよいと思う。

 英語で体育の授業、というのもいいかもしれない。

 

 英語は伝えてなんぼ、である。

 テストで点をとるための英語は、もういらない。

 

 2024年の『現代学生百人一首』をいただいた。

 東洋大学が毎年発行している短歌の集である。

 応募資格が学生限定のため、若々しい、青春真っただ中という歌が多い。

 読んでいて眩しい。

 

 今年の入選作の中で、わたしがもっとも気になったのは、この歌である。

 

喧嘩ってつまんないからドアノブにマリーゴールド掛けて帰るね

          (仙台市立仙台高等学校二年 佐藤文菜)

 

 分かりやすい歌ではない。

 ドアノブにマリーゴールドを掛ける、という行為は、理屈で説明できない。

 しかし、絵としては十分に伝わってくるものがある。

 マリーゴールドを掛けられたら、それ以上にふさわしい花は、ちょっと思いつかない。

 

 喧嘩は、つまらない。

 力でねじ伏せようとしてくる相手を、まともに受け止めるのはむなしい。

 ねじ伏せられるのも不快だが、反対にやり込めても、気持ちのいいものではない。

 結局あとに残るのは徒労感だけである。

 なるべく、柳に風、と受け流すようにしているのだが、それでも心中は穏やかでない。

 お互いがいやな思いをせずに、無用な喧嘩を避ける方法はないものか、と、いつも思う。

 

 ドアノブにマリーゴールドを掛けて帰ったら、さすがに相手も喧嘩のつまならさに気付くのではないか。

 それでも喧嘩をやめない相手ならば、一生会わないでおこう。

 

 戦争を仕掛けてきた国に、お返しに戦闘機からミサイルや爆弾ではなく、マリーゴールドの雨を降らせたら、戦争も終わるのではないかしら。

 わたしが兵士なら、敵からマリーゴールドを降らされたら、すぐに銃を捨てる。

 ウクライナならば、ひまわりでもよい。

 美しい花を見ていると、争うことが馬鹿馬鹿しくなる。