娘が修学旅行から帰ってきた。
いちばんの思い出を聞くと、最終日の夜にホテルで徹夜したことだという。
徹夜で何をしたか。
トランプやUNOではない。
枕投げでもない。
中学女子らしく、恋バナ、でもない。
人間関係のトラブルで悩む友達の、相談相手になっていたという。
いつも学校で仲良くしている友達でも、24時間朝から晩まで行動を共にしていると、嫌なところや合わないところが見えてくる。
お泊り行事では、かならず人間関係のトラブルが発生するという。
自我の目覚める年頃である。衝突があるのは当然である。
娘は、泣きながら苦しみや怒りを訴える友達の言葉を受け止め、一緒に苦しみ、一緒に怒り、ときに励まし、朝を迎えたらしい。
先生は介入して仲裁したり、見回りをして早く寝るように指導したりは、しなかったという。
自分たちで解決することを期待していたのであろう。
小さな液晶画面の中で言葉だけで伝え合うのと、同じ空間で声や表情に触れながら話し合うのとは、コミュニケーションの密度が違う。
分かり合う深さが違う。
AIには、人の悩みを受け容れることも、人間関係のトラブルを解決することも、できない。
娘たちにとって、この修学旅行は大きな学びになったにちがいない。
神社仏閣や名所旧跡を見て回るより、はるかに大切なことを学んだ。
娘は、月曜日に学校に行くのが、気が重い、と言っている。
大人になればいい思い出になるのかもしれない、とも言っている。
楽しいことばかりでない、いい修学旅行だったようである。