長崎源之助作「焼けあとの白鳥」(学校図書『読んでおきたい6年生の読みもの』所収)は、こんな話である。
戦争が終わり復員したわたしは、ヤミ市で古本を売りながら童話を書いていた。隣で浜さんという薄汚い男が、修理した三輪車や蛙や蛍を子供に売っていた。タダ同然で仕入れた物を売る、利ざやの大きい商売を自慢しており、わたしは不快に思っていた。
浜さんは、プールを作って開業した。入場料を安くし、腹が減った子供が買う飲食物代で儲ける仕組みであった。小学校前で交通整理をして、大人の信頼を得つつ子供に顔を売ってプールの宣伝もするという、ずる賢いこともした。
浜さんが交通整理中に車にはねられて死に、わたしは浜さんの家に弔問に行った。粗末な家の裏のプールに白鳥が浮いている光景が美しかった。白鳥だと思ったのは実は、輪投げに使うアヒルのおもちゃだった。浜さんは他にも子供相手の事業を計画していた。
浜さんは戦争で妻と小学生の子供を亡くしていた。浜さんの仕事はすべて、戦後で楽しみの少ない子供たちを喜ばせるためのものであり、そのために大きな借金を抱えていた。
わたしの童話なんか、この美しい光景や浜さんの夢にくらべたら、たわいないものに思えた。
浜さんは偽悪者である。
子ども相手に金儲けを企む悪党を装っているが、本当は、子どもたちを喜ばせるために身銭を切る、子ども好きのお人好しである。
わたしは、子ども相手の業界で長く働いているので知っている。
いわゆる教育産業には、この浜さんとは正反対の経営者が多い。
子どものため、と言いながら、実は子どもや保護者を騙して儲けることばかり考えている人たちである。
自分で起業してみてつくづく感じるのだが、教育と営利は相性が悪い。
子どもたちのため、を考えれば考えるほど、採算が取れなくなる。
事業として持続できなければ意味がないので、利益のことも考えなければならない。
浜さんのように自分を犠牲にすることは、わたしにはできないけれど、ことのは学舎は、子どもたちの幸せ第一、利益第二、を貫きたい。
子どものためになる仕事をしていれば、利益はあとから付いてくると、信じている。
浜さんの仕事も、不慮の事故がなければうまくいっていたと信じたい。
働くことの意味について考えさせてくれる作品である。