先日(6月22日)の朝日新聞、天声人語は、水沢悦子さんの漫画『ヤコとポコ』を紹介していた。
人間とロボットが平和に共存する近未来を描いた作品である。
その世界にスマホは存在しない。
通信機器は固定電話とファックスだけで、高速道路の最高速度は40キロ、子どもたちは輪投げや射的で遊ぶ世界である。
主人公は漫画家ヤコと、不器用なネコ型ロボットのポコ。
技術発展の果てに悲劇が起き、革命を経て、人々が突き進むことをやめて生活のペースを落とした、という設定である。
天声人語筆者は、「いつか現実でも、こんな揺り戻しがあるのではないか。スマホが手放せない毎日に、そんな不安がよぎった」と書いている。
筆者は、アンデュ・ハンセン著『スマホ脳』から、iPhone開発者の、後悔の言葉を引用する。
「冷や汗をびっしょりかいて目を覚ますんだ。僕たちはいったい何を創ってしまったんだろうって」
『ヤコとポコ』では、違法な超高性能ロボットの製造を知った学者がつぶやいている。
「またたくさんの死者が出る。どうしてほどほどにできないんだ」
筆者は、こう結んでいる。
「便利さと危険の間で悲鳴が聞こえる」
スマホに代表される通信技術やAIの発達にたいする危惧、不安は、わたしも常に抱いている。
原発事故や地球温暖化による環境破壊と違い、この不安は具体的な危険が見えづらいからより恐ろしい。
スマホもAIも、人類から考える時間を奪う。
自分の頭で考えなくてよい世界で、人類が幸せに暮らせることを想像するのは難しい。
多くの労働や作業は、できる限り機械に代わってもらって人間が楽をしてよい。
考えることだけは、自分の頭でやらなければならない。
と、わたしは思うのだが、世の中は確実に、人間が考えなくてもよい世界、に変わりつつある。
『ヤコとポコ』の世界のような革命が起こることに期待するしかないのだろうか。
革命になる前に人類が気付いて、歯止めをかけることができるとよいのだけれど。
『ヤコとポコ』、読んでみたくなった。
人類の未来の不幸を予感しながら、目をそむけているわけにはいかない。