家族の歌 ――朝日歌壇、俳壇から―― | ことのは学舎通信 ---朝霞台の小さな国語教室から---

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考える力・伝える力を育てる国語教室 ことのは学舎 の教室から、授業の様子、日々考えたこと、感じたことなどをつづっていきます。読んで下さる保護者の方に、お子様の国語力向上の助けとなる情報をご提供できたらと思っております。

 日曜日は、朝日歌壇俳壇である。

 今週は、家族を呼んだ歌、俳句が多く目に止まった。

 

教室の最後に電気消す役の「電気係」なる小一の孫

                     (東京都 岡純)

 

大谷のグローブを使い校長とキャッチボールしたと小二の孫いう

                   (亀岡市 俣野右内)

 

 孫の報告をにこにこして聞いているおじいちゃん、おばあちゃんの顔が浮かんでくる歌である。

 わたしの両親も、孫(わたしの娘)の活躍は、些細なことでもよろこび、ほめる。

 わたしは親からあまりほめてもらった記憶がないので、その差に苦笑する。

 孫のかわいさは特別なのか。

 わたしも、孫を持つとそうなるのか。

 まだまだ先の話である。

 

幻の翼広げて昼寝の子        (八王子市 額田浩文)

 

 この「幻の翼」は、わたしにも身に覚えがある。

 うちの娘が生まれたばかりの頃、天使のようにかわいかった。

 そのうち翼が生えてくるのではないかと思って、ときどき背中を確認してみた。

 翼は見えなかったけれど、間違いなく天使だと思っていた。

 人間の子が、こんなにかわいいはずがない。

 寝顔のかわいさは、格別であった。

 昼寝する姿は、何時間でも見ていられた。

 その天使が今は、トカゲを捕まえたり、木に登ったり、剛速球を投げたりしている。

 やはり天使ではなかったようだ。

 

 子が親を詠んだ歌もあった。

 

甘い物今日でやめると母が言う和菓子の鮎を2尾平らげて

                   (富山市 松田わこ)

 

 子どものころ、大人は何でもできる完璧な存在に見えていた。

 実際に自分が大人になってみて、子どものころと大して変わっていないことに気付いた。

 子どものころ、宿題を後回しにして親に叱られた。

 今もやらなければならないことを先延ばしにする癖は治っていない。

 仕事をギリギリになって泣きながらやるのは、子どものときと同じである。

 自分だけでない。自分の親のダメなところも、大人になると分かってくるし、受け入れられるようになる。

 松田わこさんのお母さんと同じで、わたしもダイエットは先延ばしする派である。

 ダイエットは明日から、と言って、娘に笑われる。

 こんな親が、もっともらしいお説教をしても、まったく説得力がない。

 ダイエットを先延ばしにしてたくさん食べてしまったり、仕事もせずに現実逃避して本を読んでいる、ダメダメな父を寛大な心で受け入れてもらいたいものである。

 こんな大人にならないようにしよう、と危機感を持ってもらえれば、少しは教育的効果もあるだろう。

 模範的な大人ばかりがいるわけではないことを知っておくことは悪いことではない。

 

 家族を詠んだ歌や俳句はみな、まなざしが温かくて、よい。