16日(日)の朝日歌壇に、こんな歌が入選していた。
馬場あき子氏選第7席である。
新聞紙広げた箱が置いてあり「燕の出入り口」と張り紙
(高松市 島田章平)
新聞紙を広げた箱を置いたのは、燕のふんを受けるためであろう。
我が家の燕は車庫の天井に巣を作っていたため、車庫の床にふんがたまっていた。
掃除がめんどうなので、我が家では巣の下に植木鉢を置いていた。
肥料にもなり、一石二鳥である。
植木鉢に落ちているふんが、だんだん大きくなってきていたことで、燕たちの成長を感じていた。
子燕が元気に巣立つ日を、楽しみにしていた。
その巣が崩壊し、燕は親子ともどもいなくなったことは、先日このブログに書いた通りである。
今は、植木鉢の周りに巣の残骸が散らばっている。
見ると悲しくなるのだが、片付けてしまうと二度と燕が戻ってこないような気がして、そのままにしている。
この夏は、車庫の前に来るたびに燕親子のことを思い出すだろう。
こんな歌も入選していた。
同じく馬場あき子氏選第8席である。
小さ目のとんぼなれども子燕の口に余れり食べ残さるる
(下関市 内田恒生)
うちの子燕たちがエサを食べるところは見ることができなかった。
けれど、巣の中で口を開けて親鳥を待っている姿は、ときどき見られた。
小さなかわいい口であった。
わたしが、自分の娘にミルクや離乳食を食べさせていたときのことを思い出した。
赤ちゃんが食べたり飲んだりしている姿は、なんとも言えずかわいいものである。
うちの娘はすっかり大きくなり、わたしよりもたくさん食べるようになった。
燕の子たちも、どこかで生き延びて大きくなっていてほしい。