14日(火)の朝日小学生新聞の1面は、「作家 宗田理さんが残したメッセージ 勇気と知恵と仲間が力に」という記事であった。
「ぼくらの七日間戦争」など、「ぼくら」シリーズで知られる宗田理さんは、今年4月に95歳で亡くなった。
「ぼくら」シリーズは、子どもたちが悪い大人たちと闘って懲らしめるお話である。
シリーズを書いた動機について、宗田さんはかつてインタビューでこのように言っている。
子どもを死なせるようなことをする大人は、とんでもない。「悪い大人をいたずらでやっつけろ」というのが、ぼくの作品の一貫したテーマです。
宗田さんは、太平洋戦争が終わった時に17歳だった。
中学生の時、穴の中に爆弾を持ってひそみ敵の戦車が来たら爆発させる訓練を受けていた。
国のために犠牲になるよう教えこまれていたという。
世の中には、悪い大人も多い。
それでも、大人だからというそれだけの理由で、子どもたちは従わなければならないことが多い。
子どもたちも、大人たちに、No!と言ってもいいはずである。
しかし、現実の世の中ではなかなかできることではない。
せめて小説の中だけでも、子どもたちが大暴れして大人をやっつけてくれたら、痛快である。
子どもたちも少しは溜飲が下がるであろう。
本当は、悪い大人たちを懲らしめるのは大人たちの役目のはずである。
しかし、実際には子どもたちを死なせるようなことをする大人が、大きな顔をして権力を振るっている。
最近も、名古屋市長が、国のために死ぬのは高度に道徳的な行為だ、という発言をしていた。
市長が国のために死ぬのではない。
国のために戦争に行って死ぬのは、今の子どもたちである。
こんな発言をする大人を許しておくわけにはいかない。
しかし、その市長を市長に選んだのは、主権者である大人たちである。
わたしは名古屋市民ではないので、名古屋市長選挙において投票によって意思を示すことはできない。
しかし、名古屋市長の発言に異を唱えることはできるはずである。
それなのに、新聞を見てひとりで憤慨しているだけで、何一つ子どもたちのために行動していない。
わたしは悪い大人ではないけれど、悪い大人を懲らしめることができないという点では、子どもの敵であることに変わりはない。
子どもたちに申し訳ない。
子どもたちから、こんな大人になりたくない、と思われないように、大人としての務めを果たさなければならない。
宗田理さんの「ぼくら」シリーズを読むと、子どもたちの活躍を痛快に思い応援したいという気持ちとともに、自分もこの子どもたちに懲らしめられる側の大人のひとりではないか、と我が身を顧みて心苦しくなる。
子どもたちの幸せのために、できることは何か、考え続けたい。
今もウクライナやガザでは毎日多くの子どもたちが犠牲になっている。