ツバメの歌 | ことのは学舎通信 ---朝霞台の小さな国語教室から---

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考える力・伝える力を育てる国語教室 ことのは学舎 の教室から、授業の様子、日々考えたこと、感じたことなどをつづっていきます。読んで下さる保護者の方に、お子様の国語力向上の助けとなる情報をご提供できたらと思っております。

 我が家の車庫のツバメが2羽になっていた。

 新婚夫婦であろう。

 ちょこんと並んで座っている姿は、かわいい。

 巣のある車庫の天井は、2mちょっとの高さなので、約1mの至近距離から観察できる。

 こんな近くでツバメの姿をじっくりと見るのは初めてである。

 近くで見ると、意外と小さい。

 スズメより小さいのではないか。

 縦横無尽にダイナミックに飛翔する姿は、ツバメを大きく見せていたようである。

 この小さなツバメの子どもが生まれてくるのが楽しみである。

 ツバメの親子と一緒に暮らすなんて、素敵じゃないか。

 

 ツバメを詠んだ歌といえば、まずこの歌が思い浮かぶ。

 

のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳ねの母は死にたまふなり

                   (斎藤茂吉『赤光』)

 

 腰の句の「ゐて」「て」の解釈について、学者や歌人の間で議論があるようであるが、梁にのどの赤いツバメが二羽とまっていて、その日に母が亡くなった、くらいに理解しておけばよいように思う。

 梁にいるツバメと母の死の間に因果関係がないことは言うまでもない。

 印象として、梁にいるのどの赤いツバメと母の死が、くっきりと結びつくのである。

 これがツバメでなくカラスであったら、あの真黒で不吉な姿は死と結びつき過ぎて、ベタな歌になってしまう。

 スズメやハトでは、のどか過ぎて母の死と結びつかない。

 やはりツバメが死のイメージをくっきりと喚起させるのである。

 のどの赤さも、そのイメージに鮮明な色彩を添える。

 この赤は、ちょっと血を思わせる。

 歌の中心は母の死であるけれど、それが「のど赤き玄鳥」の存在によって強く印象付けられる、名歌である。

 

 馬場あき子に、こんな歌がある。

 

つばくらめ空飛びわれは水泳ぐ一つ夕焼けの色に染まりて

                       (『早苗』)

 

 夏の夕方の一コマを切り取った、絵画のような歌である。

 「ひとつ夕焼けの色に染まりて」という下の句によって、その光景が鮮明に立ち現れる。

 懐かしさとともに、さびしさや悲しみが感じられる。

 こういう歌の味わいを言葉で説明するのは難しい。

 

 わたしもツバメを歌に詠もうと思ったのだが、こんな歌があるのだから、もう十分な気がしてきた。

 かくして、ただただかわいいツバメの姿を見上げて過ごすのであった。