藤井聡太のB面攻撃 ――B面考―― | ことのは学舎通信 ---朝霞台の小さな国語教室から---

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 昨日(9日)、将棋名人戦第3局藤井聡太名人豊島将之9段の対局の2日目が行われ、95手で藤井名人が勝利した。

 7番勝負の3勝目であり、防衛に王手をかけた。

 

 その終局後のインタビューで藤井名人「B面攻撃」という言葉を使っていた。

 将棋用語における「B面攻撃」とは、相手玉と反対側にある攻め駒に向けた攻撃をいう。

 名人戦第3局では、藤井名人棒銀戦法で右側の相手玉を攻めて切り崩したあと、敵陣の左側に狙いを転じ、7三歩からの巧みな攻めで飛車を召し取り、勝利を確実なものにした。

 この敵陣の左側への攻めを、「B面攻撃」と表現したのである。

 

 今日行われた翌日記者会見で、この「B面攻撃」という言葉についての質問があった。

 その語源を問う質問に対して、藤井名人は、レコードの裏側をB面といったことからきた言葉だ、と説明した。

 その答えを受けての、レコードを聴くことはあるか、という質問には、笑いながら、ありません、と答えていた。

 現在21歳の藤井聡太名人は、物心ついたころからインターネットがあり、音楽は配信で聴いている世代である。

 CDMDさえ知らなくてもおかしくはない。

 その藤井名人が、レコードを知っていた。さすがである。

 

 レコードB面は、ただの裏側ではない。

 A面には、当時たくさんあったテレビの歌番組で歌われる誰もが知っている有名な曲が収められている。

 一方、B面の曲はまずテレビで流れることはなかった。

 レコードを買うファンだけが知っているのがB面の曲であった。

 売上に影響の少ないB面の曲は、アーティスト自身の志向がより強く表れており、コアなファンにはA面よりもB面のほうが好き、という人も多かった。

 アルバムの場合は、A面に有名な曲、B面には渋めの曲が収められていることが多かった。

 初めて聴くアルバムを裏返すとき、未知の曲を聴ける喜びと、終わりが近づく寂しさが感じられた。

 B面の最後には、最後にふさわしい曲が配されていた。

 そこには、映画のエンドロールを見ているときのような余韻があった。

 CDの時代になって裏返す必要がなくなり、ランダム再生などもできるようになって、レコードB面が持っていた風情は次第に失われていった。

 好きな曲だけを聞く配信では、ますますその風情はなくなった。

 レコード世代は今でも、「B面」という言葉にノスタルジックな風情さびしさを感じる。

 

 「B面」といえば、黛まどかのこの俳句を思い出す。

 

旅終えてよりB面の夏休み

 

 わたしは初めてこの俳句を知ったとき、「B面の夏休み」という言葉にしびれた。

 夏休み最大のイベントの旅行を終え、夏休みの残りも少なくなった時期の、夏の終わりのけだるいさびしさ。

 気付かないフリをしていても、秋はもうすぐそこに来ている。

 この気分を、「B面」以外のどんな比喩で言い表すことができるだろう。

 わたしはいつも、夏の旅行の帰りの列車の中で、この句を口ずさみ、さびしさを噛みしめる。

 こんな句をひとつでも詠めたらいつ死んでもかまわない、と思うほどの名句である。

 

 藤井名人「B面攻撃」から、話題がそれてしまった。

 将棋「B面攻撃」には、わたしたちの世代が「B面」という言葉から感じる郷愁のようなものはない。

 ただの逆サイド攻撃である。

 わたしとしては、大勢が決して、いつ投了しようかと思いながらわずかな望みを持って指し続ける、逆転狙いの辛抱強い指し手を「B面攻撃」と呼びたい。

 きっと心の中で泣きながら指しているはずである。

 負けを覚悟しながら最後の力を振り絞って戦う棋士の姿は、美しい。

 

 自分の人生も、すでにB面だと思うときがある。

 B面の名曲を残したい。