方言と由緒正しい日本語 | ことのは学舎通信 ---朝霞台の小さな国語教室から---

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 ゴールデンウィークに三重県の両親のもとに帰省している。

 今日、母が、父の言葉が田舎っぽい、という話をしていたのを興味深く聞いた。

 わたしの両親は津市の出身であるが、母は市街地、父は農村部の生まれである。

 他所の人間から見ればどちらも同じようなものだが、その土地の人間にとってはかなり違うものらしく、母は、自分は都会人で父(夫)は田舎者だと思っている。

 

 母が父の田舎言葉として挙げていたものに、「のぞ」がある。

 「喉(のど)」のことである。

 ダ行とザ行は音が近く、置き換わりもありそうなことであり、父の田舎だけの方言ではないのではないかと思い、あとでインターネットで調べてみた。

 「京言葉」という、京都市旧市街地の伝統方言・京ことばを中心とした京都方言のサイトの京都方言リストに、「のぞ」は挙がっていた。

 そのサイトには、

 

市内にはどっちがどっちの訛なのか区別がついていぬ人が結構いるようで、耳鼻咽喉科の看板にもたまに「みみ・はな・のぞ」と書かれていることがある。

 

と書かれていた。

 「のぞ」

 

 

田舎言葉ではなかった。

 田舎言葉どころか、京言葉であった。

 

 本居宣長「玉勝間」の中で、京から遠い田舎にむしろ由緒正しい京言葉が残っている、ということを書いている。

 肥後から来た人が、江戸時代にはすでに使われなくなっていた上二段活用下二段活用を使っていたことから気づいたものであり、現代の国語学の世界では常識になっている。

 「のぞ」もその一例と考えてよいだろう。

 

 母は、父の親戚が「ブティック」「ブチック」「バッティング」「バッチング」と言うことも、田舎言葉だとして俎上に上げていた。

 これも田舎言葉ではなく、由緒正しい古来の日本語である。

 もともと日本語には「ァ」「ィ」「ゥ」「ェ」「ォ」の音がなかった。

 近代になって欧米の言葉が入ってきて、初めて知った音である。

 だから、今でも年配の人に「ァ」「ィ」「ゥ」「ェ」「ォ」を発音できない人は多い。

 「ディズニー」「デズニー」と言い、「CD」「シーデー」と言う。

 わたしの小学校の時の先生も「D」「デー」と発音していた。

 これらを、英語本来の発音と違うから間違いだ、という批判は、正しくない。

 わたしたちは、外来語を外来語としてでなく日本語として採り入れているのである。

 「ブチック」「バッチング」を誤りだという人たちも、「radio」「ラジオ」と言っている。

 本来の英語の発音に近いのは、レィディオ」である。

 「ブチック」「バッチング」「デズニー」「シーデー」「ラジオ」などは、由緒正しい本来の日本語である。

 

 言葉に関して、人は、自分が今使っている言葉が正しい、と考えがちである。

 そして、自分の言葉と違う言葉は、間違いだ、おかしい、と言いたがる。

 いつの時代にも、年寄りの言葉は古臭く若者の言葉は乱れている、ということになる。

 自称都会人は、田舎の言葉を馬鹿にする。

 

 人間は、自分を中心に物事を考える生き物である。