一昨日(10日)の朝日歌壇に、山添聖子さんのこんな歌が入選していた。
高野公彦氏選第9席である。
レアらしいハートの形のグミ一粒ためらわず「ママ、あげる」と言う子 (奈良市 山添聖子)
なんてことのない歌だが、こういう歌がわたしの心にはいちばん響く。
子どもとの平凡な日常の中の、ちょっとした発見や驚きや喜びは、親にとってなによりも尊いものである。
今週も能登の地震を詠んだ歌が多かった。小澤征爾氏を追悼する歌も多かった。
しかし、子を持つ親にとって、能登の地震よりも小澤征爾氏の逝去よりも、我が子がレアなグミをくれた喜びのほうが、大切なのである。
子どもにお菓子をもらった記憶は、わたしにもたくさんある。
どれもごくありふれたできごとなのだけれど、はっきりと覚えている。
娘が小学校低学年の頃、旅先で見つけた駄菓子屋で駄菓子を買ったことがある。
娘が自分でレジに並んでお金を払った、初めての買い物体験である。
わたしは、少し離れたところで見ながら、涙を流していた。
泣くことと、寝ることと、おっぱいを飲むことしかできなかった赤ん坊が、自分のほしいものを選んで自分で買い物をしているのである。
感動しないでいられようか。馬鹿な親である。
娘はそのとき、金平糖とうずら卵の燻製を買っていた。
小学校低学年にしてはしぶい選択である。
うずら卵の燻製は、学童のおやつにときどき出る、娘の好物である。
その、自分で買った好物を、娘は帰りの電車の中でわたしにくれた。
また感動した。
歌に詠んでおかなかったことが悔やまれる。
先日の日曜日に、遊びに出かけた帰りに、娘にねだられてローソンのからあげクンを買った。
期間限定の「天下一品味」というものであった。
娘と一緒に買い食いしたからあげは、本当に「天下一品」であった。
歌にして残しておこうと思う。
娘と食べたからあげの歌など、入選しそうにないが、かまわない。
わたしの記憶にいつまでもとどまればよいのである。
山添聖子さんがお子さん(聡介くん?葵さん?)からもらったハートの形のグミは、どんな味がしただろうか。