今日は3月11日。
東日本大震災から13年である。
あの大震災は、わたしの生活を大きく変えた。
あのとき、約2万人の人が命を落とした。
朝、元気に「行ってきます」と家を出た人が、その日の午後に、帰らぬ人となったのである。
わたしは、無常ということをほんとうに、実感として、知った。
わたしの娘は、当時1歳であった。
新聞で1歳や0歳の犠牲者の名前が並ぶのを見て、我が子と重ね合わせて、わたしは毎日泣いていた。
わたしも、子どもも、明日の命などわからないのである。
わたしは、災害への備えをするようになった。
といっても、防災グッズや保存食の備蓄などではない。
できる限り、娘の近くで過ごすようにした。
休日はいつも、娘と出かけた。
家の中では、常に娘のそばにいて話をした。
もともとフリーランスで在宅での仕事が多い身であったが、娘が小学4年生のときに独立して、娘が通う小学校の前に教室を開いた。
休み時間や体育の時間に校庭にいる娘が見える場所である。
わたしが大きな声で名を呼べば、校舎の中にいる娘に聞こえる距離である。
娘は放課後、そのままわたしの教室に帰ってきて過ごした。
こんなに、子どもの近くで働いている親はあまりいないと思う。
娘が中学に進学するときも、学区内の公立中学より自宅から近い、私立中学を選んだ。
公立中学までは徒歩30分かかるが、その私立中学は徒歩6分である。
わたしの職場からも自転車で10分とかからない。
何かあったときにも、必ずすぐに駆けつけられる場所である。
公立中学は川の側で土地が低く、しばしば水害に遭う場所である。
今通っている私立中学は高台にあり、水害の心配はない。
その上、自宅のベランダから校舎が見える。
相変わらず、休みの日はできるだけ一緒に過ごすようにしている。
さすがに中学生になり、友達同士で遊びに行くことが多くなったのはしかたがない。
娘と、なるべく近いところでなるべく長い時間過ごす、というのが、わたしの災害への備えである。
明日の命はわからない。何があっても悔いのないように、残された時間を過ごしたいのである。