日曜日は、朝日歌壇である。
永田和宏氏選第1席はこの歌であった。
あの朝もあなたの歌を新聞に探していたり逝去を知らず
(滝沢市 越前谷洋子)
永田氏の【評】を引用しておく。
長尾幹也さんが亡くなった。病と闘いながら、最後は視線入力で投稿を続け、本欄の読者に生きるということの意味と大切さを問い続けた。
長尾幹也さんは、大学生のときの初入選以来50年、800首以上の歌が掲載された、朝日歌壇を代表する投稿歌人である。
2019年に多系統萎縮症を発症して以来、自身の命と向き合う歌を多く詠んできた。
わたしも、越前谷さん同様、いつも歌壇で長尾さんの歌を探していた。
掲載された歌はどれも、わたしの心の深いところに響く、すばらしいものであった。
掲載されない週は、健康状態がよくないのではないかと、まだ見ぬ人の安否を心配した。
わたしの歌が初めて入選した2023年の4月2日、同じ永田和宏氏選の第6席に入選していたのは、長尾さんのこの歌であった。
病状はこうなりやがてこうなると淡々と告げる早春の医師
わたしの、言葉遊びのような薄っぺらな歌とはくらべものにならない深さや表現の確かさに、恥ずかしくなったことを覚えている。
2022年に朝日新聞の記事で紹介されたときには、右手のひとさし指で文字を打っていた。
今年の1月7日の掲載歌では、すでにそれもままならず、視線入力を使っていることが詠まれていた。
妻は泣き我は視線に文字を打つ午後の病室蝶も鳩も来ず
(永田和宏氏選第1席)
永田氏は【評】に、「歌を続けて欲しい」と記している。
朝日歌壇の読者はみな、同じ気持ちであったと思う。
その願いはもう、叶わなくなった。
長尾さんの歌を、もう読めないのかと思うと、悲しくてやりきれない。