25日の朝日歌壇には、奈良市の山添聖子さんの歌が2首、入選していた。
一首は、重選である。
能登に降る雪の予報の声揺らぐAIの音声でない声
(高野公彦氏選第1席、永田和宏氏選第2席)
能登に雪が降ることを伝えるアナウンサー、あるいは気象予報士の声が揺らいだ。
この雪が能登で避難生活を送る人々を苦しめることを思い、一瞬のためらいが生じたのだろう。
その声の揺らぎを山添聖子さんは聞き逃さなかった。
山添聖子さんの歌の底にはいつも、細やかな感受性がある。
AIにはこんな予報は伝えられないし、AIにはこんな歌は詠めない。
報道する人の思いが、それを受け取るに届いて初めて生まれる歌である。
高野公彦氏はなぜこの歌を第1席にしなかったのか。
第1席の歌よりもはるかに素敵な歌である。
引き出しの奥の毛糸のくつ下に編み込まれたる祖母の時間よ
(馬場あき子氏選第5席)
祖母が編んだ毛糸のくつ下は、そのひと目ひと目に亡き祖母の思いと時間が編み込まれている。
祖母と過ごした時間はもう戻ってこないけれど、タイムカプセルのようにくつ下の中に封じ込められているのである。
人が亡くなるとき、その瞬間にすべてこの世から消え去るのではない。
思い出はたくさんの人の心の中にずっと残り続けるのである。
残された人々は、ことあるごとにその人のことを思い出すのである。
大切な時間である。