ことのは学舎の1月の小学生の授業は、作文から始まる。
テーマは、2024年のわたし、である。
1年の初めに、今年の自分はこんなことをしたい、こんなふうになるだろう、ということを考えて書いてもらうのである。
こういう作文を書かせていて、いつも気になることがある。
子どもたちが、優等生の作文を書くことである。
今年はテストで100点を取りたい、二重とびが50回できるようになりたい。クロールで100m泳げるようになりたい、などである。
これらの作文をわたしは、「がんばります作文」と呼んでいるのだが、どれも似たり寄ったりで、面白くない。
書いて欲しいのは、○○をがんばります、という優等生の作文ではなく、子どもたちの本音の作文である。
子どもたちは、本音を書いているときにいきいきとした輝きを見せる。
そこでわたしは「がんまります作文」に、具体的なことを書く、気持ちを書く、という2点を付け加えさせる。
算数のテストで100点を取る、と書いた子どもには、去年は100点を何回取ったか、いちばん悪かったときは何点だったか、悪い点数を取ったときにどんな気持ちだったか、お父さんやお母さんには何と言われたか、今年100点を取るために何をするか、100点を取ったらお父さんお母さんにどのように伝えるか、など、子どもたちと話し合う。
話していると、それぞれの子どもたちの家庭の様子や、親への思いなどが見えてくる。作文が、いきいきと輝き始める。
今日のクラスでは、剣道の大会で優勝したい、と書いていた小学4年生男子に根ほり葉ほり聞いてみた。すると、実に楽しい情報が次から次へと出てきた。
去年の大会では3位で悔しい思いをした。負けた相手は自分より背の低い女子で、ボコボコにやられて負けた。その子は道場の館長の子で、むちゃくちゃ強い。今年は一本勝ちを決めてリベンジしたい。でも無理だと思う。などなど。
今年こそがんばって優勝したい、という高い志もよいが、小柄な女子に負けた悔しさ、今年も勝てそうにないという弱気な気持ち、道場の子という恵まれた環境に対する羨望の思い、などを書くと、はるかにいきいきとした魅力ある作文になる。
子どもたちには、作文には「いいこと」を書かなければならない、という思い込みがある。
「いいこと」を書こうとするから、書くことがつまらなくなる。読む方も、おもしろくない。
自分のだめな部分もさらけだして、本音を書いた方が、書く方も楽しいし、読む方も面白い。
文章を書く楽しみは自分を表現することである。
自分からかけ離れた優等生を書いても、楽しくもなんともない。
だめなところも全部ひっくるめて、ひとりひとりの魅力なのである。表現しないのはもったいない。
あまり人に知られたくない本音の部分も、思い切ってさらけ出してみるとよい。
さらけ出してしまえば、そんなに恥ずかしいことではないと気づくだろう。
読む人だってほとんどはだめだめ人間で、大いに共感しながら読むはずである。
わたしも、子どもたちのだめだめぶりを読むと、自分の幼少時代と重ね合わせてしまう。心の深いところに響いてくる。
出木杉くんが主人公のドラえもんなど、見たくもない。
子どもたちがどんな作文を仕上げてくれるか、楽しみである。