朝日小学生新聞の昨日(25日)の一面は、「防災用品 何をどう備える」という記事であった。
大きな災害が起こるたびに、日頃の備えの大切さを痛感する。
記事には、備えておくべきもののリストも載っていた。
水、保存食、トイレットペーパー、モバイルバッテリーなど、教室に常備してあるものが半分くらい。
残りの半分、携帯トイレ、携帯ラジオ、ドライシャンプー、ホイッスルなどは、備えていない。
さらに致命的なのは、いざというときにすぐに持ち出せる状態になっていないことである。
記事にはこれらを1人分ずつリュックに入れて玄関に置くとよい、とあるが、わたしのところの備品はそれぞれバラバラに置かれており、いざというときに持ち出せない。
せめて一か所にまとめておくくらいのことはしておこうと思う。
防災関連の記事を読むと、自分の防災意識の低さを感じる。
いちばんの原因は、安全な場所に住んでいるという思い込みにある。
埼玉県は内陸にあり海がない。
わたしの家も教室も高い場所にあり、津波や洪水などの水害の心配はない。
地盤も固く、地震による大きな被害が出たこともない。
東日本大震災のときにも、埼玉県では1人も亡くなっていない。
だから、なんとなく自分のところは大丈夫だろうと思ってしまっている。
しかし、この安心は危険である。
今回の能登半島の地震や、阪神淡路大震災のときに、地震が原因の火災による被害が出ている。
地盤が固かろうが、海抜が高かろうが、火災には何の効果もない。
わたしの家も教室も住宅密集地にあり、両隣との間隔は1メートルもない。近所から出火したら、延焼は逃れられないだろう。
やはり防災用品はすぐに持ち出せるようにしておかなければならない。
ことのは学舎では国語の授業で子どもたちにことわざを教えている。
テストで点を取るためでなく、生きる上で役に立つと考えているからである。
今までに、「備えあれば憂いなし」「転ばぬ先の杖」などを教えてきた。
先週の授業では、「他山の石」を教えた。以前、「対岸の火事」を教えたこともある。
遠くの地震でも自分に被害がないからと言って対岸の火事とするのではなく、他山の石として自分への戒めとすれば、いざというときに被害を最小限にできるであろう。備えあれば憂いなし、転ばぬ先の杖を準備しておくべきである。
これらのことわざは、そのまま災害対策に生きる。
まずはわたし自身が実践しなければいけない。
国語力は、生きる力である。