「~てしまう」の用法 ――首相の言語力によって社会が変わってしまう―― | ことのは学舎通信 ---朝霞台の小さな国語教室から---

ことのは学舎通信 ---朝霞台の小さな国語教室から---

考える力・伝える力を育てる国語教室 ことのは学舎 の教室から、授業の様子、日々考えたこと、感じたことなどをつづっていきます。読んで下さる保護者の方に、お子様の国語力向上の助けとなる情報をご提供できたらと思っております。

 古典文法の参考書において、ば助動詞「つ」「ぬ」を、「~てしまう」と訳す、と書いているものがある。

 その訳語を丸暗記した生徒は、「源氏の大納言、内大臣になり給ひぬ。」(源氏物語・澪標)を、「源氏の大納言が内大臣におなりになってしまった」と訳したりする。誤訳である。

 「~てしまう」はよくないことが起こるときに使う表現であり、大納言から内大臣に出世したというよいできごとに使うことはできない。

 そもそも訳すという作業は、自分の言葉に置き換える、ということであり、訳語を暗記すること自体が間違っている。自分の言葉は暗記するものではない。

 文法書や単語集が訳語を覚えさせようとするのは、古文の参考書の悪い傾向である。

 それを丸暗記すればよいと考えている生徒も、言葉について根本的理解が間違っている。

 言葉は伝えたい内容に応じて使わなければならない。あたりまえの話である。

 「~てしまう」は、悪いことが起こることを伝えるときに使うのが正しい。

 

 「社会が変わってしまう」が、社会が悪くなる、という気持ちで使われる表現であることは、言うまでもない。

 同性婚を認めると社会が変わってしまう、という発言は、同性婚を認めないという立場を表明したものである。

 社会が変わってしまうから議論が必要だ、というつもりで言ったのであり、ネガティブな気持ちはない、という弁明は通用しない。

 

 立憲民主党西村智奈美代表代行が、金田一秀穂杏林大名誉教授の「明らかに否定的ニュアンスを表している」という分析を援用して、岸田首相に発言の撤回を求めた。

 筋は通っている。論理としては正しいが、無意味であろう。

 論理の正しさが通用するのは、相手も正しい論理を理解している場合である。論理性を持ち合わせていない相手に、論理的正しさを主張しても、無駄である。

 

 岸田首相によれば、敵が攻撃してくる前に敵基地を攻撃することは「反撃」である。

 ポケット・マネーで閣僚へのお土産を買うのは「公務」である。

 そのような言語理解力を持つ相手に、「~てしまう」はネガティブなことに使う、という論理を理解させようとするのは、あきらめたほうがよい。論理的正しさを主張する相手を間違っている。

 

 わたしたち有権者は、同性婚を認めたら社会が変わってしまう、という発言の意図を正しく理解する論理性と言語力を持ち合わせている。次の選挙まで覚えておくだけの記憶力も持ち合わせている、と思いたい。

 

 有権者の正しい言語理解と論理的判断が政権を正しい方向に導くと、信じている。

 

 選挙において、有権者が正しい判断をすれば、社会は変わる。

 間違った判断をすれば、社会は変わってしまう。