腐っても、ピアノにもう1か月触れていなくても、心はピアニストである。

(ピアノに触れていない理由はこちら「ピアノを練習させてくれ!」



しかしこのピアニストは今、すべてのレッスン、すべてのコンサートが宙ぶらりんになってしまい、仕事も学業も再開の見通しが立たない。

建前(ピアニスト)と現実(ピアノ触ってない)がたいへん乖離している。



せめて譜読みをしよう。



ニートピアニストは決心した。

今は爪を研ぐべき時間なのだ。

砥石は無いけどなんとか研ぐのだ。


ヨーロッパで開催される、とある夏期講習が今年もあると仮定して、それに向けて譜読みをすることにしよう。



譜読みとは、机に座って楽譜を解析したり、鍵盤を触って音を確かめたり、音を体に入れたりと、要するに「音楽を知る」ための作業である。


タッチとか体の使い方を熟慮するなどの実際の演奏に向けた反復練習、精度や味を増すための練習の前段階ともいえる。

(もちろん、明確に区切ることは難しい作業であり、ピアノがありさえすればそれらを同時進行させたり、行きつ戻りつしたりする)



というわけで、私は早速インターネットサイトで新曲の楽譜を2冊購入した。



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フランスの流通業界はこのご時世に本当に頑張ってくれていると思う。

この状況でも商品を届けてくれるなんてありがたい。


楽譜は発注からわずか3日で到着した。


もちろん現在は対面での荷物の受け渡しをしていないので、平たいダンボールを2つ、やや強引に郵便受けに突っ込むという形で届けてくれた。

内容物には影響していなかったので、もう琴子的にはオールオッケーである。





まずは一曲め、ジョルジュ・アペルギスというギリシャ人作曲家の現代音楽だ。

こちらが作曲家のアペルギスさん。

綺麗な白髪が大変インテリジェントな雰囲気である。(薄っぺらい感想)




中身はこんな感じ。

多少複雑なリズムだが、現代音楽にしてはそれほど高難度というわけでもなさそうである。

よし、引きこもり中の勉強のお供第1号だ。




つぎ、二曲目。アンドレ・ブクシュリエフというフランスで活躍する現代音楽作曲家の楽譜を頼んだ。

かれの楽譜は難解で、譜読みにかなりの根気を要する。


私は自分で発注しておきながら「あぁ楽譜が届いたら譜読みをはじめなきゃならないまた大変な思いをするんだろうなぁはぁ……という複雑な気持ちでダンボールを開けた。




しかしこれが波乱の幕開けだった。




内容物がこちら。




……?





どちら様で!?






私は二度見した。

普通、クラシック音楽(ややこしいが、いわゆる現代音楽も含めたクラシック音楽というジャンルの意)の楽譜の表紙はなんというかこう


シンプルで気品のある感じに仕立ててあることが多い。

こちらはベートーヴェンのピアノソナタの楽譜。



珍しく表紙に顔写真が載っており、笑顔だったと

してもまぁこんなもんである。



対して彼はどうだ。





イヤフォンして爆笑。




楽譜を開かなくても分かった。

これは誤配送である。

私が頼んだのはゴリゴリの現代音楽であり、このジーパンの兄ちゃんが書いた曲では絶対にない。




念のため、私が発注した方の作曲家、ブクシュリエフさんの顔を調べてみたが、



真逆もいいところである。

仮にこの2人が同世代で、学校で同クラスだったとしても、おそらく彼ら同士は友達にならない。

私は2人のことを全く知らないがそんな気がする。






あまりのことに、しばらく込み上げる笑いと脱力感を噛み締めていた私だが、


これが楽譜だというなら、私のところに来たのも何かの縁。

いい曲だったら練習の合間にキーボードで弾いてみでもしようかな、という気持ちになってきた。


表紙の兄ちゃんはたぶん名前がティツィアーノ・

フェッロだ。顔の横にそう書いてある。

名前からしてイタリア系だろう。




さぁ、ティツィアーノ(呼び捨て)はどんな曲を書いたのかな。



こ、これは…。






コード譜!!!



ギター弾き語り用の楽譜である。

ピアノ譜ですらなかった。



もうお手上げだ。

コード譜でポップスを素晴らしく弾ける鍵盤楽器奏者ももちろん世の中にはたくさん居らっしゃるが、私にはその力が足りない。



ごめん、私にはあなたを弾きこなすことができない。

私たち、出会うはずのない運命なのに、出会ってしまったね……



私は楽譜を閉じた。

そして今日このブログに写真を載せるために開き、写真を撮り今また閉じた。

たぶんこの先もしばらく、開かれることはないだろう




ちなみに、ティツィアーノはイタリアで最も成功したシンガーソングライターの1人で、なんとオリンピックの主題歌も担当するような大スターのようだ。

YouTube で聞いたら、たしかにいい曲がいっぱいあった。


しかし私にとっては「呼んでないのに爆笑しながらうちに来たイヤフォンでジーパンの兄ちゃん」である。


今後テレビ等でもし見かけたら、ちょっと親近感を持って応援してしまうかもしれない。




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留学する前から、それはそれはよく聞いていた。

「日本のサービスは本当に良いし、ミスが少ない。それに比べるとフランスのサービスは質が落ちる」



あれは本当だったのか。

毎日誰とも合わず家にいて、フランスにいるという実感が薄くなりがちな私に、神様も粋な計らいをしてくださったものである。



ちょっと長くなってしまったので、

どこかへ行ってしまったブクシュリエフ(本来欲しかった方)の楽譜を請求する

『激闘!カスタマーサービス編』

は次回書きたいと思う。




書けました⇩





⇩フランスに外出制限が発令されてからの、15平米引きこもり生活のまとめ⇩


1週目はこちら「プリンターありませんか」

2週目はこちら「豆腐は大事だからとっとく」

3週目はこちら「植物に話しかけてはいない」

4週目はこちら「頼んでない楽譜が来た」

5週目はこちら「激闘、カスタマーサービス」