いろんな配慮をしているのに受け止め方が間違えられることはある。
工事現場などもまさにそうだ。
社会的に必要があって工事をしているのに、悪者扱いや邪魔者扱いされることがよくある。
もちろんきちんと理解してもらうためには努力や工夫が必要で、出来るだけの配慮は当社でもしている自負はある。
などほどなあ、と思うお医者さんの配慮の話をとある本で読んだ。
2歳のお子さんがけいれんを起こし急いで病院へ。ところがレントゲンや採血に著者を含む両親が立ち会うのをかたくなに制止するのだという。著者は「親が見てたら何かまずいことでもあるのか?」と不満を感じる。部屋の中からは「ギャーーッ!!」と泣き叫ぶ声まで聞こえるというのに。
採血が終わってそのお医者さんにこう言われたそうだ。
「なぜご両親に部屋の外に出てもらったかというと、お子さんは自分が何をされているかわかっていない。とにかく大人に痛いことをされていると。そんななかお父さんお母さんの姿が目に入ったら、『こんなに痛がっている僕を、お父さんお母さんは助けてくれなかった』となり、その思いが刷り込まれてしまう可能性がある。だからご両親には出ていってもらった。悪者はわれわれだけでいいんです」
意外でちょっと感動を覚えるほどの配慮である。
だがこの配慮も、お医者さんが説明していなければ分からない。説明がなければ著者も医者に対してかなり悪い印象を持って、次回からは別の病院に行こうと考えたかもしれない。
時と場合にもよるだろうが、配慮には説明が伴ったほうがお互いいいのだろう。
工事現場も「社会のよくするため」という使命感があるなら具体的な内容をもっと説明すべきと改めて思った。