今年最初に読んだ小説は、道尾秀介氏の長編ミステリ「貘の檻」(新潮文庫)。
![]() | 貘の檻 (新潮文庫) 853円 Amazon |
550ページの大作は長期休暇中に限る。
読みなれない人にはかなり回りくどいと思うような表現があったり、非現実的で幻想的な「夢」の描写があったりと、話の筋だけ追い求める読者には分厚すぎる本かもしれないが、結末まで私は十二分に面白く物語の世界を堪能した。
この本の「解説」が、まさに私の印象と同じようなことを書いていた。
インターネットやモバイル端末が生活に大きな変化をもたらし、時間や場所を選ばず情報を手軽に手に入れることが出来るようになって、人はガマンして読む体験がどんどん面倒に感じられるようになってきたのではないか、と。
こんなことが述べられている。
なにしろ、ただでさえ小説よりも読書のエコノミーがよい(読むのが楽な)コミックや挿絵入りのライトノベルが巷に溢れ、小説よりもインタラクティヴなブログやSNS、掲示板や知恵袋等々にいくらでもアクセスできるのだから。
だったら「小説を読む」体験も、同じくらいにハードルが低いか、同じくらいにインタラクティヴでなきゃ―と誰もが考えるとは言いたくないが、テレビ番組が芸人の出番をどんどん増やし、クイズや投稿などの視聴者参加番組に頼っていったように、小説もまた、読みやすいようにセリフと改行をどんどん増して、読者が参加できる優しい「謎解き」に頼るようになった。
そして、この本はそのような読者を戸惑わせるだろう、と。
しかしそれでもこの小説を読むことの意義を唱えている。
私はそれらも含めて堪能したので、もっともだと思う。
全文賛成ということではないが、世の中そういう傾向になっているのだな、という印象は確かにある。
短絡的に求める面白さや結果だけで得られることは、途中で紆余曲折や本筋と関係のない経験、結果的に無意味な行動を経て得られたことに比べればかなり薄っぺらいものになると思う。
自分自身いくらかそういう経験をしているので、そう実感している。
小説だけでなく、実際の人生も同様だと思う。