12月31日大晦日 | ことぶき・ちゃちゃちゃ

ことぶき・ちゃちゃちゃ

難治性てんかんドラベ症候群(乳児重症ミオクロニーてんかん)と闘う娘のことぶき。
顔だけで結婚を決めたイケメン(だった)B型の旦那さん。
私は普通の主婦です。
家族みんなで頑張っている闘病日記です。

2018年も、今日で終わりです。

今年は1月から、静岡てんかんセンターで薬調整の入院。

4月新学期が始まった位に、退院しました。

1月の入院ではフィコンパ導入したけど、中々ミオクロニー発作が落ち着かない。

ダイアップ等のベンゾジアゼピン系は効くのに、マイスタンとは相性が悪いため

ベンゾジアゼピン系でも使ったことがなく、あまりドラベでも使っている話を聞いたことがないベンザリンが候補に上がりました。

ベンザリンを試してみると、良い手応えがありました。

正直、こんなに「効いてるーー!」と思える薬、初めてです。

(フィコンパも導入時に良い手応えがあったけど、続かなかった)

ただ、ベンゾジアゼピン系にありがちな「耐性」の文字がチラチラ浮かぶ状況。

でも、マイスタンもリボトリールも「耐性」があるって言うから

見てないふりをする←

夏はプール授業に参加出来ました。

ただ「参加出来た」だけじゃなく

発作になることも、ミオクロニー重積になることもなく

楽しく、その日1日元気良く、参加出来たことが、幸せでした。

学校の夏祭りにも参加しました。

夏の暑い日の夕方から、わざわざ家を出て学校に向かい

「お祭りに参加してみよう」という気持ちになれたということは

薬の効果を信じてる私がいた、ということです。

チラチラ見える「耐性」と闘いながら、ベンザリンを増やしていきました。

「ミオクロニーが…」と呼び出された春の遠足と違って、秋の動物園での遠足は

最後まで楽しく参加出来て、みんなとバスに乗って学校に帰れました。

公園での課外授業も、調子を崩すことなく参加できました。

今までのことぶきの人生の中で、こんなに楽しく(発作に邪魔されず)色んな経験が出来て

こんなに私から離れていることが、あっただろうか。

学校から帰ってきてから、調子が一気に崩れることが多かったのですが

それでも今までで1番、薬のことを信用出来ました。

よくね、調子が悪いと「夜の薬を早めに飲ませてみます?」とか言われますが、飲ませた所で…(苦笑)という感じでしたもので。「調子崩れてきたし早めに飲ませるわー」と言われてるドラベ児が羨ましかった。

ベンザリンはマイスタンと違って、バルプロ酸の血中濃度を上げてくれない上に

何故か増やすとバルプロ酸が下がるという、謎の現象があり

体重辺り既にマックス超えの840mgから、徐々に増えて1000mgになりました。

それでも血中濃度は80以下です。

クリスマスプレゼントには「バルプロ酸血中濃度の代謝を阻害する身体」が欲しかった(笑)

ドラベを治す薬、と言わない所が現実的…いや、そもそも現実的ではない←

去年まで、ダイアップを使わないと生活が出来なかった。

「(調子が悪かったらどうせダイアップを使うから)今回はこのままの量で」と年を越すことと

今年最後の外来で「今回はとりあえず、変更なしで」と言えたことは、全然違う。

夕方に一気に崩れることはあるけど

それでも、ダイアップを使わなくても、元気な時間があることは

この薬調整に悩まされた数年の中では、大きな一歩だと思っています。

2018年は、ドラベ症候群患者家族会では、本当に色んなことがありました。

脳症になってしまった仲間。
お空に帰ってしまった仲間。

「当事者の気持ちになって」とか「気持ちに寄り添って」なんて

そんなおこがましい事、考えられません。

ただただ今も、悲しくて辛くて、涙が止まらない日があります。

病気と闘いながら、一生懸命生きてるドラベの子どもたちが、どうしてこんな目に合うのか。

少しの成長に気づいて、それを喜び合い、子どもを褒めて抱きしめて

こんな小さな幸せまで、奪っていくドラベ症候群という病気。

そして、発作を家でも学校でも保育園でも止めることが出来る可能性のあるブコラム。

中々進まない、条件の悪い治験内容。

お金さえ出せば、海外から輸入出来るような簡単な薬ではないこと。

命を守るためには、大人の采配1つということ。

守れる命と守れない命の差がある、という現実を変えたくて始まったブコラム早期承認活動。

守れなかった命。

この世の中、何をどう頑張ったって、どうにもならない事がある。

それでも、やっぱり子どもの命を諦めることが出来ない私たちは、活動を続けていくしかないのです。

「子どもは国の宝です!」とまでは、言いきりません。

私の子どもは、将来働くことが出来るか出来ないかも分からず、生産性がなく、税金を払うこともなく、きっと人の手を借りて生活することになるのでしょう。

でも私の子どもは、私の宝なのです。

親が子どものためにすることは、何のメリットも期待せず、何の見返りも期待せず

そこにあるのは、ただ「愛情」だけなのです。

世間的には無茶を言ってるように見えるのでしょうか。

一生懸命訴えて署名活動をしてる私たちが滑稽に見えるのでしょうか。

親が子どもを守るという「親としてのプライド」は、我が子への愛情だけで成り立つのです。

当事者じゃないのに、この活動に寄り添って、一緒に闘ってくれる方に

心から尊敬と感謝を申し上げます。

2018年、大変お世話になりました。

皆さまが、穏やかに年を超せますように。

来年は笑顔がたくさん見れる年でありますように、祈っています。

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