「お薬飲ませることができますか?」の、続編です。
お薬の変化や量の増減など、パパが把握していない家庭の多さに
安心しました←あーうちだけじゃなかった、的なやつ
いわゆる、ワンオペ育児ですね。
「いやいやいや。うちはワンオペ違うよ」と言う家庭は「お薬を飲ませることが出来ていた」パパです。
それ以外はワンオペ育児ですよ。
だって、ママが1人でやってるじゃん(笑)
指示しないと動けないバイトと2人で、くそ忙しい店で働いてる状態です。
世の中にはきちんと把握していて、何なら母親より薬に強くて、ドクターとも対等に「次、どうする?」と話が出来るパパも
都市伝説とかではなく、いるんですよ。
まぁ、世の中には育児も介護も仕事も家事も、患者家族会の仕事も、全部パーフェクトにやってるママがいるんですよ、と言われると
申し訳ない、としか言えない←
なので、人と比べることはしませんが
今の生活と自分の立ち位置に満足しちゃってるドヤ顔な感じが、ひしひしと伝わってくるのが
なんだかな、と思います。
戻りますが、薬の増減や変化など、何で把握していないと困るのか
「私(母親)がお願いしたとき、薬を飲ませてあげることが出来ると助かる」ということでした。
(※ここで言う「飲ませてあげる」は、把握して用意する所からという意味です)
そして、もうひとつの理由に気づいたのが、この日曜日です。
何で私は、こんなにパパに、ことぶきの事をしっかり把握して欲しいのか。
朝、出かける時、玄関を出た所の階段を、ことぶきが降りていました。
私はてっきり、パパがすぐ下についてくれて見てくれてるものだと信じきってたのです。
が、階段の下の花壇の所にいて、見ていませんでした。
いや、気持ちは見ていたんだと思います。
驚いて「ちょっ!大丈夫??」と言うと、こっちを見て「大丈夫やけど?」と言われました。
木曜日の夜から、ベンザリンが4mg→5mgに増量になっていて
学校では手を繋いでいても、スッ転ぶと報告がありました。
ふらつきが半端ない。
階段を降りてることぶきの真下にいても、私ならドキドキする程なのに
私の中では、大丈夫ではありません(結果的に大丈夫だっただけ)
もはや階段の下にいてくれない恐怖が伝わらないのは、きっとベンザリンの副作用「ふらつき」を忘れているんだと思います。
薬の「把握」「共有」って、副作用も含めて、ほんと大事。
ほんとに、ほんと。
何でこの恐怖が伝わらないんだろう、とずーっと考えていて、やっと分かりました。
私たち母親が安心出来るのは
見ていることが出来る=現在の子どもの状態を知ってる
なんですよね。
「今まで蓋を開けたりしなかったのに」
「先週まではそこに登ったりしなかったのに」
「こないだは手をつけたりしなかったのに」
「知らなかったんだもん」で済まないことがある。
子育ては、日々子どもの状態が変わり、それに対応が必要です。
私たちの子どもは、そこに薬での変化がプラスされます。
「子どもを見ていることが出来る」は、ただ見てるだけじゃなくて
何があっても大丈夫と 、目を一瞬たりとも離さない位で、丁度良いと思います。
ただでさえ、四六時中一緒にいるわけじゃないのだから、母親より子どもの状態を把握出来てないことは自覚して
気を許していいのは、周りに危険物がないとき。
周りに迷惑かけることがないとき。
これだけ、という事を理解して頂きたいです。
「子どもを見ていることができますか?」
「じゃあ、もう無理」
と言わないでくださいね。
2人の子どもです。
病気持ちの障害児の子どもを持つということは、そういう事なんだと
しっかり向き合って、理解して頂きたいです。
これは旦那の悪口ではありません。一般論(※難治性てんかんママ)です。
ということを、声を大にして伝えておきます←

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