みんなを守りたいと思った | ことぶき・ちゃちゃちゃ

ことぶき・ちゃちゃちゃ

難治性てんかんドラベ症候群(乳児重症ミオクロニーてんかん)と闘う娘のことぶき。
顔だけで結婚を決めたイケメン(だった)B型の旦那さん。
私は普通の主婦です。
家族みんなで頑張っている闘病日記です。

去年の4月14日、熊本地震がありました。

静岡てんかんセンターで仲良くなったお友だちの住所が

まさに見てるニュースに出てる所だったので

繋がらないかなと思いながらも、ラインをしてみました。

『崖崩れで孤立してるのに、てんかん薬があと数日しかない』

しかも、そのてんかん薬は『治験』のお薬で、近所の薬局にはないとの事でした。

こんな時、こんな時、一体どこに、誰に、どうやって相談すれば…!

私もパニックです。

電気もガスも止まって、食料、トイレなど、他にも考えなきゃいけない事、そして次はいつ地震がくる…??

行政もバタバタ、国もバタバタ、病院もバタバタ。

不安な事がたくさんある中で

絶対になかったら困るてんかん薬。

テレビに映ってるという事は、その村にヘリで行ってるマスコミがいるという事。

テレビ局に電話をして、持って行って貰えないものか。

ねぇ!!誰か、誰か、誰か!!助けて!!

てんかん協会??静岡てんかんセンター??行政??病院??

どこに電話すれば??

とりあえず、処方箋の写真を送ってもらい、色んな人に相談すると

ミナファミリーの代表が『どんな手を使っても、何があっても届けるから』と言ってくれました。

住んでる所が孤立してて、てんかん薬があと数日しかない。

これは母親にとって、精神的にかなり不安になります。

どうにかそれだけでも、不安を取り除いてあげたかった。

『何があっても届けると言ってくれてる人がいるから大丈夫』

『うん、分かった。ありがとう』

今思い出しただけでも、本当に泣ける。

そのあと会った事ない子供のために、色んな所に連絡をして、手を回してくれたミナファミリー代表。

そして会った事ない子供のために、動いてくれた方たち。

そのあと、偶然が重なって、薬が手に入る事になったけど

『何があってもてんかん薬を届ける』

という言葉は、その母親にとっても、被災者ではない私にとっても、本当に安心しました。

そのときミナファミリーが連絡した、熊本の病院『再春荘』の島津先生が

来週日曜日『こどもとの被災』というシンポジウムで、お話して下さいます。

実際、熊本地震の時に、子どもたちの支援に走り回って下さった病院の先生です。

いざというとき

病児で障害児の子どもを、親はどうやって守るのか。

いつもは優しい社会でも、被災地ではそうは言ってられません。

『うちの子は病気なんです!』『うちの子は障害があって!』

いざというとき

どこに、どうやって、訴えていけば良いのでしょう。

『暑さに弱い』『発作が重責したら』『食事治療してるんだけど』『医療ケアが必要』『薬がもうない』

誰に言えば助けてくれるんでしょう。

都会に住んでる人は、意外と震災に危機感がありません。

が、阪神淡路大震災は、神戸の大都会の中でした。

備えあれば、という言葉がありますが

やっぱり普通では生きていけない我が子を育ててる私たちは

必要な知識として、備えておく事が大切じゃないかなと思います。

私は自分の子どもも、もちろん守りたいけど、お友だちも守りたい。

でもただの主婦だから、結局何も出来ないんだけど。

でもせめて、熊本地震の時のように『薬が数日しかない』という連絡があったら

『絶対に届けるから安心して』と、きちんと言える人になりたい。

その為に、勉強してきます。

ついでに、ドラベ症候群患者家族会のアピールもしてきます←


まだ席は空いてるようなので、参加される方はお早めに申し込み下さい。