楽しむ能力を育てる魔法の言葉 -3ページ目

脳には 『言葉』が すこーんっと 入る ポイントが あるのです。

今日は 朝から夕方まで セラピーの日です。



今日いらしゃった お母さんから 質問されました。

「元気さんのいうことなら なんで この子は聞けるんですかね・・・不思議です・・」


「特に不思議なことではないですよ!!」  とお伝えしてます。




僕は 「言葉」だけをつかって セラピーを行っています。



ある小学校に入らせて頂いた時  少し、多動傾向のある 男の子がいたのですが


少し その子へ アプローチするまでに 時間をかけましたが


最終的には 「言葉」をかけることで  その子は 椅子に座って授業を受けるようになりました。



それは、時間をかけて ゆっくり そうなるのではなく


あるとき ある瞬間から 「ぴたり」と そうなるのです。




よく研修会や講演でもお話させて頂いてるのですが、

まるで バスケットボールを ゴールに向かって投げると スポンっと入るかのように

「言葉」が その子に入っていくのです。



もちろん バスケットボール同様  狙いは定めますが・・・





『言葉』が すこーんと入るポイントというのは 実は存在するのです。





「元気さんは この子と会話をするときに それほど特別な話し方ではないのですが・・」


と どのお母さんからも聞かれます。





実は 意識的に話している その子の「言葉」と会話をしてはいないのです。



すべては その子の「無意識」の中へ 「言葉」を お届けしているからです。





誰でも経験があると思うのですが、 プロポーズでも 告白でもいいのですが、



「こんな場所で こんな風に こんな言葉をかけらたら もうだめ・・・・」

という瞬間があると思います。





「言葉がけ」というのは 全ては 「タイミング」なのです。




普通の会話は もちろん 楽しく遊びながら やってますが



セラピーのときには


この子には  「この時間」の「この場面」の「この瞬間」に「この場所」で 


この「タイミング」で この『ことば』を投げかけよう。



そう思って 言葉をかけています。           



セラピーでの「言葉がけ」には かなり時間をかけ 計算して 


「ことば」を 育て上げているのです。

                                   (げんき)


明日 ひとつだけ 方法を ご紹介したいと思います。

40代の人は 4枚のペーパーで 出来ているのです。


先輩が 後輩に贈る 「ことば」や「アドバイス」

その関係は 人それぞれで どんな関係であったとしても

それは 温かく 貴重な 「ことば」 です。



それぞれの歩んだ道というのは 違っていたとしても

やはり 年長者の「ことば」というのは 深く こころに入ってくるものです。




ある40代の方から ご相談がありました。

職場の20代の後輩に 自分の経験から アドバイスをしているのだが、

どうも うまく届かないのです・・



少し お話を伺って その意味がわかりました。





それは 「40代」が 「20代」に アドバイスをしているからです。




「人の経験」というのは まるで「ペーパー」のようなものです。



『40代の人の経験』は

10代のペーパーと20代のペーパー、30代のペーパー、40代のペーパーの計4枚です。



『20代の人の経験』は もちろん、 10代と20代の 2枚のペーパーで出来ています。




その方は、 「40代のペーパー」を見ながら 20代の後輩にアドバイスしていたからです。



それでは 届かないのです。




40代の先輩が 20代の後輩にアドバイスするとすれば

自分の4枚のペーパーをめくって 「20代のペーパー」をみながら 話をしなければ

届かないのです。




「40代のペーパー」をみながら 20代の後輩に話をしても それは イメージしにくいのです。




40代の自分ではなく 自分の中にある「20代の自分」が話をしてあげることが大切なのです。




「人の成長」というのは

 

20代から30代、40代と 「変化」するものではないのです。




20代 + 30代 +40代  と足し算のように 沢山の自分が存在しているのです。 

(げんき)
 


「あなたのため」という「言葉」は 脳に届きにくい「ことば」なのです。

こどもたちに勉強するように促すとき

上司が部下に何か仕事を依頼するとき

こうした 言葉を 聞くことがあります。


「それは あなたのためよ」

「それは 自分のためなんだぞ」



伝えた方は もちろん その人のことを思い、愛情を込めて伝えているはずです。

 
きっと後で 役に立つ。


本心で 「あなたのため」を考えてくれています。



でも そう伝えらた 本人は

「あなたのため」と言われると なぜだか 引いてしまうのです。




それは 「私のためじゃなく」て「あなたのためでしょ」

そう感じてしまうのです。




実は 「あなたのため」という「言葉」は 脳にはとても入りにくい「言葉」なのです。





『あなたのため』に 私が やらせて 頂きます」なら スムースです。

それは 喜びにつながりますが


「あなたのために あなたが やりなさい」は 少なくとも 喜びには つながらないのです。


「自分のことは自分で決める」 と思ってしまうからです。


人は 自らの「喜び」につながる 言葉や表現は 喜んで脳に届けますが
苦痛や負担につながる 言葉や表現は なかなか受け入れようとしないのです。



「あなた」のためにが 届かない もうひとつの理由




それは「あなたのため」になった状態が 浮かばないからです。


自分のためになった「絵」が描けないのです。




「この試験で合格ラインを取るには これが必要」

「この仕事をやりきれば 今月の目標を達成する」


具体的な「絵」を描くことができれば 人は なんとか動くことができます。




「あなたのため」ではなく どのような『あなた』になるのか



 人は 「そこ」にしか  興味は 持てないのです。    (げんき)





『想い出』は、「道具」がなかったとしても 残すことができるのです。

ブログでも、facebookのようなソーシャルメディア でも

沢山の人たちが 様々な『想い出』を 記録として 残しています。


文章だったり

写真だったり

音楽だったり

絵だったり

それ以外にも 何か 形ある作品を作ってみたり・・・



人それぞれの『想い出』

人 それぞれの『想い出の残し方』があります。



『表現方法は、人の数だけ』



いろんな形があって そこからは 「生きているしあわせ」を感じることができます。



実は 『想い出』の残し方には  もうひとつ 方法があります。



それは 誰でもやっている ごくごく 普通のもの



それは 『笑顔』 なのです





形あるもので 『想い出』を残すことが もし仮にできなかったとしても


人は 『笑顔』で 多くの人に 『想い出』を残すことができるのです。



目を閉じていても  どこにいても


どんなに悲しくて 涙が出てきそうでも


きっと あなたの『笑顔』は いつでも 思い出すことができます。




『想い出』の正体    




それは 『愛』だからです。                               

(げんき) 

人生は 「やりたいこと」と「やらなければならないこと」で出来た 一本の糸なのです。

「やらなければならないこと だらけだ・・」


「もっと 自分のやりたいこと をやりたい」



「やらなければならないこと」の数が増えれば増えるほど 人は うんざりします。
  



そして 「やらなければならないこと」の量に 反比例するように「やる気」もなくなります。



そして 自分の「時間」が欲しくなり、自分の「人生の持ち時間」を 気にし始めるのです。

こんなことをしている場合じゃないと。


これは あなただけの問題では ありません。



大人からこどもまで年齢に関わらず  国の違いや 生きている場所 性別に関わらず
すべての「ひと」が同じです。


何も不思議なことではありません。





それでは 「やりたいこと」を 好きなだけ 書いてみましょう。


ちょっとしたことから 大きな夢まで
「やりたいこと」をできるだけ すべて 書き出してみましょう。




書いていけば書いていくほど  ある思いに 気づき始めます。



それは


「やりたいこと」の数が増えれば増えるほど  人は 『不安』 になるということです。





それは 「人生の持ち時間」を気にし始めるからです。




こんなにやりたいことがあるのに

もっと 「時間」が欲しい、 「人生の持ち時間」が増えて欲しい。

そう思い始めます。



そして この沢山の「やりたいこと」リストの中で 優先順位をつけて
まずは、自分の「使命」として「やらなければならない」ことを見つけ始めるのです。





「やりたいこと」がいいとか 「やらなければならないこと」が悪いとかではありません。





人生は 「やりたいこと」と「やらなければならないこと」で出来た 一本の糸です。






大切なのは



「時間がない」と悩んだり、グチをこぼしている あなた自身を



「一生懸命に 生きているんだ」と 認めてあげることなのです。  (げんき)