私にとっての怒りの時代の始まりの頃、父は本当によくTVに出ていました。忘れようとしてもTVを付ければ出てくる。。
それが辛かった。
芸能人の親でなければどれだけ良かったか!
すぐにチャンネルを変えても順調よく仕事をしている父が憎らしかったです。
私が仕事をやめ何もかも捨てる覚悟を決める前に旦那さんとは共に暮らし始めていました。
彼は最初はバツイチだと言っていたのですが、実は奥様が居る人でした。
但し自宅にはいつも不在の奥様です。
今でいう統合失調症。当時は精神分裂病と言っていました。彼は私より15歳年上、で、奥様はさらに8歳年上ですから、私より23歳年上になります。。要は私の母親世代です。
何の因果か?女優さんです。父が時代劇で悪役の頃、奥様も時代劇によく出てらして、父より当時はランク上だったのではないかしら。。話数こそ違えど結構父とニアミスしている方でした。レギュラー番組も持ち、コマーシャルにも出ていらしたことは小学生ながら私も知っている方でした。
私はそれまでの苦労に疲れてましたから、ちょっと一休みの恋のつもりでした。奥様がいる以上何れお別れするのだろうと思っていた。しかし、彼が仕事でフランスに行っている時、彼のお父さんが倒れてしまい、結果私がお父さんの入院中の世話をすることになってしまいました。そのお父さんが息子には何とか別れさせるから3人で暮らしたいと言い出し、暮すようになってしまい、今に至ります。
彼は私の父に挨拶したいと言い出し、何度か断ったのですが、結局私と父の事を話しました。ただし、そういう事があったという事までで詳しい経緯は聞きたがりませんでしたので私も詳しく話しませんでした。
仕事はデパートの食品マネキンを本格的に始めました。
彼の会社に少しづつ陰りがみえてきたからでした。
そんな頃、彼に言われた、
「僕は仕事として成立していてもいなくてもクリエイティブな仕事を目標とする女性がいいんだ。家でする会話もそういった会話をしたいんだ。君は勝手にミュージカルの仕事を断って店員の話しかしないじゃないか!」
これを聞いた時、私は自分の血液がどんどん地面に吸い取られる気分でした。
これ以降、私と旦那さんは男女の関係ではなくなりました。
それでも一緒に暮している。偶然のように別の関係性が構築できたからでしょうね。
この時から15年ほどの時を経て、麻布の斎藤医師に言われたことがある。
「パートナーはお父さんではありませんよ。」と。。。
私はずっと自分を守ってくれるお父さんを探していたのだと思いました。
父の介護を完全に手放した時、彼に聞いてみたのです。
「どうして私と別れなかったの?」と。。。
「面倒くさかったからかな。。。でも、奥さんは病気を抱えた姉のようで、君は精神の不安定な妹のようで見捨てられなかったんだよ。僕が居なかったら君は生きていけなかっただろ?もし、誰かいい人が居たら嫁いでもいいんだよ。」ですって。。
だから言いました。
「私を取り扱える男なんて、この世のどこにもいないわよ!」って。。。
ああ、こうも言っていた。。
「どうして僕には変なのしか寄ってこなかったんだろ。」
ふふふ。。そりゃ仕方がない。。
私は変な親に変な事をされて育った変人なのだから。