12)男性性被害者の末路の一つの例 | 俳優・木村元を振り返ってみて。。

俳優・木村元を振り返ってみて。。

2021年1月13日、肺炎の為都内病院に救急搬送。同年1月下旬に院内クラスターでコロナ陽性。左下肢動脈閉塞も起こし、入同年2月某日死去。死因はコロナ。享年88。
父を思い出して。父の事。私の事。母の事。家族とは。
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怒りの時代に突入した私の苦しみはまだ続きます。

しかし、ここまで私の被害と言う側面で書いてきましたが、それは裏返せば父の所業でもあります。被害者がいかに加害者になりやすいかという事が書きたいのです。

性被害が性加害に反転ばかりではありません。性被害が虐待。。

性被害が犯罪。

酒に溺れる。酒が絡む犯罪。奇行。DV。ギャンブル。いじめ。

他、色々。。

そして自虐。。これは周りを巻き込みます。

私の大罪もそうですし、私が諦めた恋の相手にも私は相当な暴言で彼を苦しめています。

そして怒りの時代の私は今の旦那さんにも暴言を吐きまくっています。

奇行についても色々あるのですが、

「裸ででんぐり返し」を知った時、私はこの人も何かかかえているのだろうか?と思いました。

私も似たような行為をしましたから。。

実家を出て酷い生活をしている最中、何故か新宿2丁目の小さなゲイバーに行って、酒が入ると裸になりたくなり、裸になってポッキーかじりながら水割り片手にカラオケを歌いたくなる。

お店のママは

「あんた~女の裸を見たい客なんて一人も来ないんだから営業妨害よ。」って怒るのですが、それでも

「あたしは産めないから卵温めたんだけれど食べる?」って温泉卵を出してくれる。そのやさしさに甘えて又行ってしまう。

「今日は脱がないでよ。」と言われるのに又脱いでしまうのです。。

あの時、今夜のロケット花火(カオスに記載)の予定の無い時、私は11階のマンションに帰るのが怖かった。実家を出てもう被害は無くなったのに。。心に抱えるこびりつきを落としたくてたまらないからぬぎすてていたんだな~と今しみじみ思うのです。

 

後輩をいじめてしまうのも、弱い子供に虐待をしてしまうのも怒りの出口がそこに向かってしまうのですよ。もっともらしい言い訳をしながら時に屁理屈をこねてまで。。

そして正論が通る時は正義感さえも暴言の道具にしてしまいます。

酒を飲んでディスコのフロアーで寝てしまって黒服につまみ出されたこともある。。

雪の降る夜、酔いつぶれてシャッターの閉まった店の前で寝てしまい警察に連れていかれたことも。。

そこまで飲まないといられないのです。

そして飲めば必ず泣く。。。

怒る。。。様々です。楽しくお酒を堪能なんて出来なかった。。

 

怒りを封じ込めば精神のバランスは歪になります。

家族が居れば家族に向かう。。

 

そしてなんだかんだ言い訳しても

性に対してもだらしなくなります。

私のロケット花火がいい例です。

コレ男女が逆だったら?

当然行動ももっと強引になるでしょうね。。

 

そして父にも節操も無い時代があります。

まるで女。。恋愛?に復讐しているかのような。。

 

性被害は心のスキーマ(思考回路)を壊します。

どんなに蓋をしても心は忘れてくれません。

一度はちゃんと向き合わないと。。

それでも蓋をし続ければ私の父のようにもう一度同じ体験をすることになる。父はコロナが向こうへつれていってくれたから見当識障害も長くは無かったことになる。。

フラッシュバックとは違うのです。もう一度同じ体験をするのです。心がお覚えていて置き去りにされたままだから。。

 

私は自分の人生。。今は実り多き人生だと思っています。

こんなに生きる。。生き抜くことを考えさせてくれる人生だから。。父の事も母のことも全部なのかどうかはまだ分かりませんが、少なくともこの正反対な二人の子供で良かったと思っています。両方のいいとこどりをすればいいのだから。。そのために何度もアウトプットして考えて鼻水垂らしながら考え抜きましたから。でも、もし、何か見落としていて、将来認知症にでもなって父が怯えていたようにもう一度父に傷つけられる体験をたとえ見当識障害であっても御免こうむりたい。。

男性被害者の方・・忖度もあるのでしょうが。。

世界の巨匠が残した言葉。。

「赤信号みんなで渡れば怖くない。」

どうして渡らないんだろう?

最高なアウトプットのチャンスなのに。。。

 

無名な方々があれだけいて苦しんでるのに

有名になった方々に一人も居ないなんて。。。

運が良かったのでしょうか?

世間の好奇心は時間が消してくれるけれど。

蓋をした心はどうなるのでしょう。。

父の頃と時代は大幅に違うのに。。