クラシックバレエコスモスの会は、随時、生徒を募集をしております。
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…と、伺い、では、小品集の演目に、「瀕死の白鳥」を加えようと、思い立ちました。
Aさんとの会話の中に、「瀕死の白鳥」というバレエの事が、しばしば、出ていたからです。
さて、生徒の誰に踊って貰おうかな?…と、考えましたが、
コスモスの会のお教室の生徒たちは、皆体格も良く、健康的過ぎて、”瀕死”とは、
ほど遠いので、無理である事が分かりました。
結局、もう一つの仕事場のTAC(東京アスレティッククラブの略)で月曜日ジュニアクラスを
お手伝いしてくださっている、T先生に「瀕死の白鳥」を、お願いする事にしました。
彼女とは、ずっと一緒にレッスンを積んできた仲です。
彼女はノーブルで、はかなげで、きっと良い「白鳥」を踊ってくれる!
私は、振りだけ伝えただけで、練習は、彼女が全て一人でしてくれました。
発表会当日のゲネプロと本番で、久しぶりに、舞台上の彼女を観ました。
少し緊張されていたかもしれませんが、やはり、さすが!…という踊りでした。
彼女に拍手を贈りたい!
彼女は、何が何だか分からないままに、”とにかく、「瀕死の白鳥」を踊って欲しい”という
私の願いをきいてくれました。
純粋で、素直なT先生。TACのお手伝いにても、心から、生徒たちを可愛がってくれるので、
とても人気があります。
T先生、ありがとう。お疲れさまでした。
私は昔、バレエを続けていく心の支えとして、一冊の本を、愛読していました。
中学生の頃に買って、時には、バイブルのようによく開いていたあの本。
今回、「瀕死の白鳥」を記事として書くにあたって、その本が、どうしても、
読みたくなりました。
「瀕死の白鳥」で有名な、アンナ・パブロワについて書かれていた本だからです。
もう、無いだろう・・・その”恐れ”はすぐに、打ち消されました。
その本は、堂々と、本棚の真ん中にありました。
私は、沢山バレエの本、バレエダンサーに関する本を買いましたが、
この本は、私が生まれて初めて買った、そういう類いの本です。
本当に久しぶりに、懐かしくその本を開きました。
(「白鳥の湖」 マルヴェルン作 青柳健訳 三笠書房)
表紙をめくると、「白鳥」と題して、谷桃子さんのバレエ写真、そのページをめくると、
いよいよアンナ・パブロワの写真が何枚も、「白鳥を舞うパブロワ」の写真は、
見ているだけでも、心を打ちます。
そして、目次の前に、故蘆原英了氏と谷桃子さんの文章が載っています。
お二人の文章を参考にしながら、アンナ・パブロワの事を簡単にご紹介します。
アンナ・パブロワは20世紀前半、最大の舞姫で、バレエを志す者にとっては、
神様のような存在です。
バレエは、ルネッサンス時代のイタリアで芽生えて、フランスに移り、ルイ14世の
庇護を受けて花咲き、19世紀になって、ロシアで開花しました。
アンナ・パブロワは1882年、サントペテルブルクで生まれました。
そして、帝室舞踊学校を卒業しました。
彼女は、華奢な体で、曲芸的なテクニックは向かず、いわゆる、
力技は一切せずに踊りました。
誰でも踊れるような、シンプルな振りで、誰もが踊る事が出来ないような、
素晴らしい踊りを踊りました。
革命後は、故国ロシアを逃れて、ロンドンに住み、生涯、ロシアに戻らず、
世界各国を巡演しました。
飛行機のない時代に、世界を巡る事は、大きな努力と忍耐を要した事でしょう。
しかし、彼女のその巡演により、バレエが、世界中に広がりました。
アンナ・パブロワは日本にも、1922年(大正11年)に来ました。
約、一か月帝劇で公演して、大変な感銘を与えました。
歌舞伎の六代目菊五郎は、「瀕死の白鳥」で、白鳥が死んでいく時、
本当に息をしなかったのを観て、ご自身も死の場面では、息をとめたそうです。
パブロワで、最も有名なものは、「瀕死の白鳥」です。
傷ついた白鳥が、まさに死のうとしている姿を、踊ります。
たった一人で、床に倒れ、白鳥は死んでしまいます。
この踊りを、振付したのは、ミハイル・フォーキンです。
サンサースの「動物の謝肉祭」の一曲を使い、パブロワのために、
小品「白鳥」を創りました。
この踊りは、難しい振りはありませんが、誰でも踊れるようでいて、
パブロワ以上に踊れる人は、いまだ、誰もいません。
何故でしょうか?
それは、彼女は、テクニック以外の”あるもの”を、持っていたからに、他なりません。
”あるもの”…それは、彼女の卓越した人間性です。
彼女の”心の在り方”が、踊りに表われている、と言ってよいと思います。
アンナ・パブロワはあまり、沢山のレパートリーは持っていなく、
メカニックなテクニックよりも、その雰囲気で、人々の心を魅了しました。
現在、日本はバレエ大国となり、コンクールも大変盛んです。
私たちは、とかく、絢爛としたテクニックに、気を取られがちですが、本当に、観客の心に
訴えるテクニックを駆使するためには、ダンサーの”心の在り方”が問われていると、
この本を読んで、改めて、思いました。
だから、この本が、私のバイブルであったのでしょう。
アンナ・パブロワが更に、天性のものばかりに頼らず、バレエの努力、精進を重ねた事。
”バレエの伝道者、巡礼者”として、不屈の魂を持ち、世界を巡った事。
私は、心からの尊敬の念を、新たにいたしました。
1931年1月、風邪をこじらせたまま、巡演に出発し、肺炎となり、
オランダ到着後に胸膜炎と診断され、外科手術を医者に勧められましたが、
手術をすれば、バレエが踊れなくなると告げられたため、
手術を拒否して、闘病し、亡くなりました。
彼女らしい、亡くなり方です。
アンナ・パブロワは、本当に、”バレエの神様”そして、”舞踊の女神”です。
彼女の、バレエに捧げた一生によって、バレエは、日本にも、世界各地にも根付きました。
アンナ・パブロワが伝えたかった、精神的なものは、究極的には、”愛”だと思います。
バレエへの愛、そして、人間愛。
あらゆる人々に愛を捧げて踊りました。
バレエを志している者は今一度、私も含めてですが、自分の心を見つめ直していきたい・・・
と、思いました。
「瀕死の白鳥」のヒントを与えてくださった、Aさんは、発表会当日は、急に、
ご都合がつかなくなり、観ていただく事は、叶いませんでした。
しかし、お蔭様で、「瀕死の白鳥」が舞台で、踊られ、その事をきっかけに、
私はアンナ・パブロワについて、色々な事を知る事が、出来ました。
若い時、この本を読んだ感動を思いだす事が出来ました。
バレエへの真摯な想いがよみがえりました。
私は、Aさんに心から、感謝しています。来年は、いらっしゃれると、よいですね。
私は、パブロワが愛した小品を集めたCDを2枚持っています。
「Ballet Gala Homage to Pavlova」と「パブロワを讃えて」です。
愛読していた本に掲載されている「白鳥を舞うパブロワ」と同じ写真が、
「パブロワを讃えて」の方にありました。
こちらの方が、はっきりしているので、CDの写真を掲載します。
CDも、改めて、聴きました。私は、発表会にて、よく、小品集に取りあげていました。
その度に、”透明な美しさ”を感じていましたが、
今、その美しさとともに、”もの悲しさ”を感じてしまいます。