私たちは、いつも試されている。
そう、私たちはいつも試されているのです。
誰に?
社会に、会社に、上司に、同僚に、部下に、
そして自分の無意識に。
社会人となった今、
いつも試されている。
このことを認識しているか、
認識していないか。
この頃、よく思う。
うまくいくか行かないかは、
「ちょっとしたことの認識の差」
である。
他の人がいいやと思っていることを、
自分がきちんと出来るか。
他人と大差である必要はない。
「一歩先」に行っているだけで十分である。
でも、ほとんどの人が、
これわかってなくて、
さらにやってない。
わかっている人から言わせると、
こんなもんなのに。
物事をやる前は非常に難しく感じるものである。
しかし、やってみればたいしたことはない。
私たちはこんなことに、たくさん当たっているではないか。
それに気づく自分がいるかどうかである。
さて、今日もたんたんと・・・。
恐怖の定義
【恐怖の定義】
「無知」または「突発的」に起こることによって引き出される感情。
突発的に起こることは仕方がない。
例えば、今、ここで大地震が起きたらどうしようもない。
しかし、「無知」の部分は自分の努力に
よって解決していくことが可能である。
これを自分の努力量と経験値でカバーできるか。
やはり、そんなことでしかない。
だから、「恐怖」という感情に入ったら
自分自身に質問をしたいフレーズがある。
「自分はこのことをやるだけの知識と経験はあるのだろうか?」
足りていないなら、すでに自分は答えを知っている。
自分で答えを出して、こなして、数ヶ月時間がたったら
もう一度やれば、前に感じた感情とは
違った感情で取り組めるであろう。
「無知」または「突発的」に起こることによって引き出される感情。
突発的に起こることは仕方がない。
例えば、今、ここで大地震が起きたらどうしようもない。
しかし、「無知」の部分は自分の努力に
よって解決していくことが可能である。
これを自分の努力量と経験値でカバーできるか。
やはり、そんなことでしかない。
だから、「恐怖」という感情に入ったら
自分自身に質問をしたいフレーズがある。
「自分はこのことをやるだけの知識と経験はあるのだろうか?」
足りていないなら、すでに自分は答えを知っている。
自分で答えを出して、こなして、数ヶ月時間がたったら
もう一度やれば、前に感じた感情とは
違った感情で取り組めるであろう。
知らないというのは恐怖につながる
「無知」は「恐怖」につながる。
「わからない」も「恐 怖」につながる。
「未経験」も「恐怖」につながる。
恐ろしい出来事が急にやってきたとき、
これも「恐怖」につながる。
恐怖という感情は安全な場所への退避する
役目がある。
そのように考えていくと、
恐怖という定義とは・・・。
明日へ続く。